第60話 混乱する第一層 ーーオパール視点
私たちがバニラの小屋へ駆けつけた時、そこはもぬけの殻だった。
ーーそう。 ナナシが、バニラを拉致してダンジョンに潜ったのだ。
小屋の前で頭を抱えていたのは、ここの警備を任されていたはずの冒険者。
彼らは真っ青な顔で、途切れ途切れに語り始めた。
「す、すまねえ……防げなかった。 あの男が、暴れて……気づいた時には、バニラ様を担いで消えちまってた」
「まったく懲りないね。 ……しかし、聖女を誘拐か」
「ああ。 あの動き、ただ者じゃねえ。 止めに入った俺たちは、指一本触れられなかった……」
ーーナナシ。 彼がまたやらかしたんだ。
エメラルドが彼らに尋ねる。
「それで、その男はどっちへ?」
「だ、ダンジョンだ。 バニラ様を担いだまま、『死のダンジョン』に潜っていった……」
どうして。 どうしてナナシが、バニラを連れてダンジョンなんかに。
考えたって答えは出ない。 答えは、あの馬鹿の口から直接聞くしかない。
「追うわよ!」
「そうだね、お灸を据えないとね」
◇◇◇
死のダンジョン、第一層。
急ぎたい。 一秒でも早く追いつきたい。 ーーなのに、全然前へ進まない。
「ちょっと! なんでこんなに詰まってるのよ! たしかにここはいつも混んでいるけど……これって異常じゃない?」
姉さんが苛立ちながら、疑問を口にする。
通路は冒険者でごった返していた。 どうやら前方でトラブルがあって、隊列が進まないらしい。
「おい、前で何があった!」
「わ、わからねえ! 先頭の連中が急に止まったんだ!」
それどころか、だ。 一部の冒険者が、方向も無視して悲鳴を上げながらこちらへ駆け戻ってくる始末。
「ど、退けッ! 戻れ! 戻れえええ!」
「きゃっ……!?」
すれ違いざまに突き飛ばされ、私はよろめいた。 逃げてきた男は意も介せず飛び出していく。
「……ねえ。 様子がおかしいわ。 ただのトラブルじゃない」
「ああ。 ……嫌な気配がする。 これは」
やがて、前方の異変にようやく気づいた。 けれど、その時にはもう遅かった。
『ゴオォーォ……オオオ……ォォォォ……』
その音が第一層全体に響き渡った。
「な、なによ……今の……」
音は壁を、床を、そして私たちの骨まで震わせる。 聞いているだけで、心の奥を直接撫でられるような、怖気の走る音。
その瞬間、第一層は混乱の場へと化した。
人心を削るような音だ。
「う、うわあああ! なんだこの声は!」
「逃げろ! 出口はどっちだ!」
「押すな! 押すなって……ぐあっ!」
我先にと出口へ殺到する冒険者たち。 転んだ者が踏まれ、怒号と悲鳴が入り乱れる。 もはや誰も、統率なんて取れていない。
ーーだが、逃げる人だけじゃない。 向かって行く連中もいる。
結果、押せや引けやの大騒ぎだ。
人の波に飲まれそうになりながら、姉さんは必死に叫んだ。
「落ち着きなさい! 押し合ったら余計に……」
「……変だね。 さすがにあり得ない。 何が起きているの?」
わからないことだらけだ。 でもーー
ーーナナシ。 あんた、この先にいるんでしょう。
この呻き声の主が何なのかは知らない。 でも、確信だけがあった。
ナナシはまだ、この中にいる。
「行くわよ! 人波に逆らってでも、前へ!」
私たちは悲鳴の奔流をかき分けて、呻き声の響く奥へと踏み込んだ。




