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第3話 売れないものを作る理由

 ガストンの工房では、客を迎えるより先に刃を拭いた。

「そこでお待ちを」

 低い声が飛んでくる。

 セシリアは入口で足を止めた。

 窓際の作業台に、大柄な男が座っている。

 布で刃を拭く。

 明かりへかざす。

 木の覆いを付ける。

 そこまで終えてから、ようやく男は立ち上がった。


「お館様。今日は何か修理を?」

 レオンハルトが答える。

「今日は私ではない」

 隣のセシリアを示した。

「妻のセシリアです。町の仕事を見て回っている」

 ガストンの目がセシリアへ向いた。

 顔。

 服。

 そして、手にした帳面。


「……伺っております」

 何を聞いたのか。

 セシリアは尋ねなかった。


「お邪魔します」

 礼をして工房へ入る。

 昼を過ぎた光が、床へ長く伸びていた。

 奥には炉。

 壁には形の違う道具。

 作業台には、研ぎ直しを待つ包丁が二本置かれている。


 セシリアはその包丁を見た。

「こちらは、頼まれた仕事ですか」

「ああ」

 ガストンが一本を指す。

「刃が欠けた方は、明日までに返す」

 柄には紐が結ばれ、小さな木札に持ち主の名が書かれていた。


 その隣には、別の木箱がある。

 蓋のない箱には、小ぶりな刃物が何本も入っていた。

 棚にも、紙で包まれた品が積まれている。


「こちらも、修理ですか」

「いや」

 ガストンが答える。

「作ったものだ」

「売り先は?」

「決まっていたら」

 ガストンが棚を見る。

「ここには置いとらんでしょう」


 売れていない。

 それなのに、工房では今も作業が続いている。


 奥で、小さく金属が触れ合った。

 若い娘が一人、二枚の刃を見比べていた。

 片方を布へ置き、もう片方を木の柄へ合わせる。

 少し迷ってから、ガストンへ見せた。

「親方。こちらは、もう少しでしょうか」

「そのままじゃ浮く。合わせろ」

「どこを……」

 ガストンが窓を指す。

「昨日と同じだ。明かりに透かしてみろ」

「はい」

 娘は窓へ向き直る。


 作業台の隅には、使い込まれた小さな帳面。

 図の横には短い言葉がいくつも並び、消しては書き直した跡が残っていた。


 セシリアは棚を見る。

 売れていない品。

 今も作られている品。

 昨日の反省を思い出した。

 決めつける前に、聞く。

 そのつもりだった。


「ガストンさん」

「ああ」

「注文がない時にも、こうして作るのですか」

「作ります」

「理由を伺っても?」


 ガストンの手が止まった。

 娘も、作業の手を止める。

 ガストンがセシリアを見る。


「……作るな、という話ですか」


     *


 セシリアは一瞬、言葉を失った。

「いいえ」

 すぐに答える。

「そういう意味では――」

「売れないものに材料を使うくらいなら」

 ガストンが続ける。

「今ある修理だけをやれ、と?」

 セシリアは口を閉じた。

 まさに、その考えが頭をよぎっていた。


「修理が来れば、やっとります」

 ガストンは作業台の包丁を指した。

「来ない間は、手を止めていろと?」

「……ほかに仕事になるものがないのか、知りたかったのです」

「だから、ここにあるものは仕事にならんと」

 声は大きくない。

 だからこそ、一言ずつがはっきり聞こえた。


 帳面を持つセシリアの手に力が入る。

 そう言ったつもりではない。

 そう思った。

 けれど。


 ガストンは木箱から一本の刃物を取り出した。

「これは、この子が初めて仕上げまでやったものです」

 娘が俯く。

「こっちは、刃の角度を変えた」

 もう一本、隣へ置く。

「前の形じゃ、細いところへ届かんかったので」

 二本。

 さっきまでセシリアには、同じような売れ残りにしか見えていなかった。


「作らんと分からんことがある」

 ガストンが言う。

「手を動かさんと、覚えられんこともある」

 娘は、自分が仕上げたという一本を見ている。

「売れればありがたい」

 ガストンは続けた。

「だが売れん間も、この子に教えられることはあるんです」


 セシリアは木箱を見た。

 売れない。

 だから、無駄。

 そう名前を付けるところだった。


 王都でも、同じようなことがあった。

 自分が必要と考えた基準。

 数字。

 納期。

 品質。

 それを守ることに必死で、その向こう側を見落とした。


 今なら言い直せる。

 材料を無駄にしてほしくなかったのだと。

 時間を無駄にしてほしくなかったのだと。

 けれど、それを言えば。

 また目の前の二本を、同じものとして扱うことになる。


 セシリアは帳面を閉じた。

「……何のために作っているのか」

 ガストンを見る。

「伺う前に、私の中で答えを決めていました」


 ガストンは何も言わない。

 娘が二本の刃を、一つずつ箱へ戻した。

 刃同士が触れないよう、間に薄い木片を挟む。

 レオンハルトも口を挟まなかった。

 セシリアを庇わない。

 ガストンへ謝罪を求めることもしない。

 ただ、そのやり取りを見ていた。


     *


「ミナです」

 娘が箱を片付けてから、セシリアへ頭を下げた。

「ここで教えていただいています」

「先ほどの刃は、あなたが?」

「仕上げだけです」

 ミナがガストンの作業台を見る。

「形を作るところは、まだ親方が」

 袖口は擦れ、肘には当て布がしてある。

 セシリアと、それほど年が離れているようには見えなかった。


「ここで職人を続けたいのですね」

 セシリアが尋ねる。

「はい」

 ミナはすぐ頷いた。

 けれど。

 その後で、ガストンを見た。

「……続けられるなら」


 セシリアは次の言葉を待った。

「王都の叔父から、仕事の話が来ています」

「王都?」

「住むところも紹介してくれるそうです」

「行くことを考えているのですか」

 ミナは作業台の引き出しへ触れた。

「商隊は決めています」

「いつですか」

「二か月ほど先です」

 ミナは一度、目を伏せた。

「母の縫い仕事も、毎月あるわけではありません。弟もいますし」

 言い訳をしているような声だった。

 けれど。

 暮らすために必要な話だった。


 ガストンが木箱の蓋を閉める。

「行くまでに、できるところを増やしてやりたいんです」

 ミナが親方を見る。

 ガストンは箱の収まりを確かめたまま、目を合わせない。


「橋が直れば、また注文が来るかもしれません」

 ミナが言う。

 そして、すぐ続けた。

「でも」

 少しだけ笑う。

「橋が直る頃まで、待てるか分からないです」


 セシリアは黙った。

「うちは、来月のお金が要るので」


 橋。

 それを直せば町が変わる。

 そう思っていた。

 けれど橋の調査すら、まだ始まっていない。

 その間にも、

 人は町を出る。


「商隊が出る日は?」

 セシリアが尋ねた。

 ミナが答える。

 あと八週間もなかった。

 セシリアは作業台を見る。

 ガストンが教えられる。

 ミナが学べる。

 その二人が同じ場所にいられる時間にも、

 期限がある。


「仕事が増えれば」

 ミナが言いかけた。

「叔父のところへ断りの手紙を書かなければ、とも思うんですが」

 すぐに首を振る。

「まだ、何も決まっていませんし」


「そのお話は、残しておいてください」

 セシリアは言った。

 ミナが顔を上げる。

「今日ここへ来たばかりの私には、あなたがこの町で暮らせるだけの仕事を用意すると約束できません」

 ガストンが、ゆっくりセシリアを見る。

 セシリアは続けた。

「橋を直すとも、注文を増やすとも、今は言えません」


 期待を持たせるだけなら簡単だった。

 きっと何とかします。

 そう言えばいい。

 けれど。

 その言葉は来月の給金にはならない。


「だから、叔父様の仕事は断らないでください」

「……はい」

 ミナは少し驚いたように答えた。


     *


 工房の奥で、火が小さく鳴った。

 ガストンが炉の様子を確かめる。

 ミナも作業台へ戻ろうとした。

 このまま館へ帰れば。

 帳簿を読むことはできる。

 必要な修理。

 町を出る予定。

 数字として記録することはできる。


 けれど。

 作業台にあった二本の違いを、

 セシリアはまだ知らない。


「ガストンさん」

 セシリアが呼び止めた。

「何です」

「一番よくできたと思うものを、見せていただけませんか」

 ガストンはしばらく黙っていた。

「値を付けるんですか」

「いいえ」

 セシリアは首を横に振る。

「まだ、付けられません」

 そして言った。

「何に使うものなのか。何が違うのか。そこから教えてください」


 ガストンは棚へ行かなかった。

 窓際の引き出しを開ける。

 そこから布に包まれた一本を取り出した。

「売り物じゃありません」


 布を広げる。

 木の柄に、小さな刃が付いている。

 柄はよく磨かれ、握る部分だけ色が濃かった。

「自分で使っとるものです」

「彫刻刀ですか」

「木の細かいところを彫る時に使う」


 ガストンは短い木の板を持ってきた。

 窓の近くへ置き、固定する。

「近づいても?」

「刃の前に手を出さんでください」

「分かりました」

 セシリアが近づく。


 ガストンの手が動いた。

 細い削り屑が、

 くるりと板の上へ落ちる。

 もう一度。

 今度は最初の線の横に、短い曲線が刻まれる。

 大きな手。

 小さな刃。

 その先だけが、細かく動く。

 線の終わりに余計な欠けはなかった。


 ガストンは道具を置く。

 刃の付け根を緩めた。

 刃を外し、別の一本へ替える。

 ミナが横から指した。

「こちらの柄用ですね」

「ああ」

 新しい刃で、また短い線を彫る。


 セシリアが尋ねた。

「刃を交換できるのですね」

「研いでいる間も、別の刃で仕事ができます」

「なるほど……」

「いちいち握りを替えんで済む」


 セシリアは柄を見る。

 握られ続けた部分だけ、色が変わっている。

 飾りではない。

 使うための形だった。


「ミナさんも、これを使いますか」

「はい」

 ミナが答える。

「でも、親方と同じようにはまだ」


 ミナは自分の帳面を開いた。

 さっき彫った線に似た図が描かれている。

「親方は『少し寝かせろ』とおっしゃるんですが」

 困ったように笑った。

「その『少し』が、毎回分からなくて」

 ガストンが鼻から息を出す。

「見てりゃ分かる」

「昨日、それで欠けさせました」

「お前はここへ力を掛けすぎだ」

 ガストンが図を指した。

 ミナは余白へ書き込む。

 セシリアは、その指先を見た。


「ミナさん」

「はい?」

「親方が指したのは、こちらではありませんか」

 ミナの印は、ガストンが指した位置より少し先だった。

 ガストンがもう一度指を置く。

「こっちだ」

「ここ……」

「この先へ送ろうとして力を入れとる」

 ミナは印を書き直す。

 セシリアは図から手を離した。


「もう一度、見せていただいてもよろしいですか」

 ミナがガストンを見る。

 ガストンは板の空いた場所を指した。

 道具をミナへ渡す。

 ミナが刃を当てる。

 一度、帳面を見る。

 そして動かす前に止まった。

 親方が指した場所を、もう一度確認する。


 刃が進む。

 短い削り屑が落ちた。

 線の終わりは、

 欠けなかった。


「……ここでした」

 ミナが板と帳面を見比べる。

 ガストンも板を持ち上げ、明かりへ透かした。

「今の場所を覚えとけ」

「はい」

「次も同じになるか、やってみろ」


 ミナは今度、すぐに刃を動かさなかった。

 先に帳面の印を見る。

 セシリアは一歩下がった。

 邪魔にならない場所から、二人を見る。

 ミナが帳面の印の横へ、小さな丸を付けた。

 そしてセシリアを見る。

 ほんの少しだけ、

 笑った。


     *


 セシリアは、王都の宝飾工房を思い出していた。

 以前、納品書に細かな道具の名前が書かれていた。

 工房主は、ヴェラという女性だった。

 飾り金具を頼んだ時。

 ヴェラは、刃の手入れと調整に時間が掛かった、と書いていた。

 細かな細工ほど、刃先の状態が仕上がりを左右するとも。

 急がせるだけでは仕上がりを守れない。

 そう返されたことも覚えている。


 セシリアは、ガストンの道具を見る。

 ここで木がきれいに彫れた。

 だからといって、

 宝飾工房でも役に立つとは限らない。


 でも。

 ヨハンの荷車には、重い材木をこれ以上載せられなかった。

 この一本なら?

 ヴェラは、刃の手入れで仕事が止まると言っていた。

 ガストンの彫刻刀は、刃を交換できる。


 作る人の工夫。

 使う人の困り事。

 別々の場所で聞いた話が、

 初めて一本につながった。


「ガストンさん」

 セシリアが顔を上げる。

「王都で、使ってもらえるか確かめたいです」


 ガストンの手が止まった。

「誰に」

「宝飾工房の女主人です」

「宝飾?」

「以前、仕事でやり取りをしました」

 ガストンは道具を見る。

「木を彫る道具を?」

「何に使えるのかも、先に伝えます」

 セシリアは答える。

「使えなければ、使えないと答えてもらいます」


 そして、はっきり言った。

「売れるとは言いません」

 ガストンを見る。

「まず、使えるかどうかを確かめたいのです」


 ガストンは布を折った。

 道具を包む。

「悪いと言われたら?」

「どこが悪いのかを聞きます」

 セシリアは答えた。

「どこが使いにくかったのか。何が足りなかったのか」

 少し間を置く。

「私には、それ以上判断できません」

「……」

「ですから、使った人の答えを持って帰ります」


 レオンハルトが入口から一歩進んだ。

「輸送なら、今朝のヨハンに聞ける」

「費用を確認してからお願いします」

 セシリアが答える。

「返してもらう便も、先に決めたいです」

 レオンハルトが頷いた。


 ガストンは布包みを持ったまま、ミナを見る。

 ミナは作業台の削り屑を集めていた。

 細い木屑が、掌から箱へ落ちる。

 やがてガストンが言った。


「この一本だけです」

「はい」

「ほかの柄と刃は置いていく」

「分かりました」

「まだ合わせとる途中のものまで、持っていかれては困る」

「持っていきません」

 ガストンはさらに言う。

「使い終わったら返してもらう」

「はい」

「使い方の分からん者に、好きに刃をいじらせんでください」


「では」

 セシリアは帳面を開いた。

「刃の替え方と扱い方を書きます。確認していただけますか」

 ガストンがミナを見る。

「それなら、ミナに聞いてください」

「私が?」

「お前が説明しろ。わしが見る」

「……はい」


 ミナは自分の帳面を持ってきた。

 セシリアが紙を寄せる。

 ミナは道具を包んでいた布を開き、一つずつ説明した。

 セシリアが書く。

 ガストンが確認する。

「刃を替えた後は?」

 ミナが少し考える。

「ここを確認します」

「なぜ?」

「浮いていないかを見るためです」

 ガストンが頷く。


 セシリアは書き足した。

 借りるもの。

 柄一本。

 替え刃一本。

 試す相手。

 返送方法。

 結果を書いた手紙も付けてもらう。


 ガストンが紙を読み終えた。

 そして。

 布包みを、セシリアの前へ押した。

「持っていってください」


 セシリアはすぐには手を伸ばさなかった。

 棚に置かれた売り物ではない。

 ガストンが毎日使っている道具だ。


「……お預かりします」

 両手で受け取る。

 思っていたより、

 ずっと小さかった。


     *


 工房を出る時。

 ミナが扉を押さえてくれた。

「明日、発送できるか確認します」

 セシリアが言う。

「はい」

 ミナは答えた。

 そして、セシリアの手にある包みを見る。


「あの」

「はい?」

「返事には」

 ミナが少し迷ってから言った。

「どこを使ったかも、書いていただけますか」

「どこ?」

「刃の先なのか。少し奥なのか」

 ミナは自分の指で刃の形を示した。

「『使いにくかった』だけだと、どこを直せばいいか分からないので」


 セシリアは帳面を開こうとした。

 だが、両手には包みがある。

「私が」

 レオンハルトが帳面を受け取った。

 セシリアが頁を示す。

 レオンハルトが短く書き足した。

 ミナは文字を確認し、頭を下げる。

「お願いします」


 その顔は、

 売れると信じている顔ではなかった。

 答えが帰ってくるのを待つ顔だった。


 通りへ出てから。

 セシリアは一度振り返った。

 ミナはもう作業台へ戻っている。

 ガストンの隣に椅子を寄せていた。

 叔父への手紙は、まだ引き出しの中にある。

 それでいい。


「館へ戻りますか」

 レオンハルトが尋ねた。

 セシリアは布包みを抱え直す。

「王都へ出る便を、館で確認していただけますか」

「ああ」

「運び賃と、帰りの便も」

「戻ったら調べよう」

「その間に、手紙を書きます」


 行動する順番が、

 初めて見えた。


 明日の荷に、

 この一本を載せたい。

 帰ってくるものが注文なのか。

 それとも、

 使えなかったという返事なのか。

 まだ分からない。

 それでいい。


 まず、

 使った人の答えを、

 作った人へ戻す。


 ただ。

 その前に、一つ問題があった。


 手紙の差出人は、

 セシリア。


 王都で、悪女と呼ばれた名前だ。


 ヴェラはその名を見て、

 封を開いてくれるだろうか。



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