第二章「ヴァルタの日常」(4)
その夜、レンは眠れなかった。
宿舎の天井を見ながら、リアーノの買い物に付き合った結果、模擬戦での膝の異音はやはり自分が無理をさせたのが原因だと理解したからだ。
あの時の感触はまだ身体に残っている。
あのまま押し勝てていたら―――いや、無理だったかもしれない。力を出しきっても機体が限界だった。自分ではなく機体が先に限界を迎えた。
それが悔しいのか、情けないのか、よく分からなかった。
起き上がって水を飲みに廊下に出た。夜中の砦は静かだった。遠くで馬が一度だけ声を上げた。
廊下を歩いていると、格納庫の方に明かりが見えた。
こんな時間に、と思いながら近づくと、格納庫の扉が細く開いていて、魔導照明の光が漏れている。中から話し声がした。
扉を少し開けると、機体を運ぶ魔導運搬車のそばにラフな格好をした二つの影があった。
魔導運搬車―――砦いちの金食い虫、とアイナ副隊長が密かに呼んでいる乗り物だ。
全長は約五メートル。荷台と運転席が一体になった箱型の車体で、荷台の内側には一番機か二番機を仰向けに固定できる構造が組み込まれている。
車輪は太く頑丈 荒れた街道でも機体の重さに耐えられるよう特注で作られている。動力は魔導石で、車体の底部に大型の炉心が収まっている。
もともとは馬車で魔導鎧を運ぶ予定だったが、四メートルの鉄の塊を引ける馬など存在せず、仕方なく設計から起こした特製品である。
走行中は絶えず魔導石を消費する。遠距離の出動ともなれば往復だけで砦の月間予算の二割近くが飛ぶ計算になる。
アイナ副隊長が出動記録書を見るたびに「徒歩で行けなかったか」と一瞬考えてしまうのも無理はなかった。
装甲は一切ない。武器もない。衝突すれば簡単に壊れる。戦闘には参加しない。
できることは機体を運ぶことだけ。それだけを、淡々とこなす。
運転席と助手席が横並びで二人乗れるが、通常は運転手であるドルクかカインが一人で運転する。長距離の場合に助手席に魔導鎧の乗り手が乗ることもある。
その魔導運搬車の運転手である大柄な体格をしたドルクが魔導ランタンを近くに置いて、何かを確認している。
ドルクの隣で好青年風のカインが工具を手に部品を外す作業をしていた。
カインの方がレンに気づいて振り返った。
「あ、すみません。眠れなくて外に出たら明かりが見えたので」とレンが先に声を掛ける。
「大丈夫ですよ」とカインが笑った。「俺もドルクさんも夜型なんで。ドルクさん、少し休みましょうか」
「もう少し」とドルクが低い声で言った。魔導車から視線を離さない。
「……すみません、名前……まだちゃんと聞いてなかったですね」とレンが聞いた。
「俺はカイン、でこっちのデカいのがドルクさん」
「レン・アシュバルです 運搬車の整備はこの時間にやるのですか?」
「今やってるのはただの点検だよ」とカインが答えた。「日中は乗り手の訓練でバタバタしてるので、夜の方が静かに作業できるんですよ。
ドルクさんは几帳面だから、点検は毎日全部自分でやらないと気が済まなくてね」
「任されてるから。任されたものはちゃんとやる」とドルクがレンの方を向かずに答えた。
「責任感強いんですね」とレンが聞くと、ドルクは少し沈黙してから「きちんとやることは、普通のことなので」多くを語る男ではなかったが、言葉の重さがあった。
「レンさんも眠れないことあるんですね」とカインが工具を置いて言った。「不安ですか、新しい場所は」
「そういうわけじゃないですけど……模擬戦のことを考えてたら」
「バッハさんとの? 見てましたよ。すごかったじゃないですか、最後の押し合い。あんなの初めて見た」
「負けましたけど」
「勝ち負けだけじゃないでしょ」とカインが言った。「みんなが驚いてたじゃないですか、あの巻き返しに。俺はレンさんが押し始めた瞬間、来た、と思いましたよ」
来た、という言い方がレンにとっては少し嬉しかった。
「ありがとうございます」
「俺なんかにお礼言わなくていいですよ」カインが柔らかく笑い、続ける。
「ここ、なんだかんだで悪い場所じゃないと思いますよ。 俺はけっこう好きです、この部隊」
ドルクは作業を止めて振り返り初めてレンを見て、少し頷いて「俺も」とひと言、言った。
その夜は、結局三人で少し話した。大した話ではなかった。ヴァルタの食堂の話や、バッハの飯の量の話、
オーグ整備主任が昨日の夕食の最中も機体の整備のコツの話をしていたという話等々。
宿舎に戻ったとき、少し眠れる気がした。
第二章 了




