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第23話 これにて終幕

 もう間に合わないと死を覚悟したそのとき、弾かれるように飛んできた光弾が身体を突き抜けた。


「あ……」


 衝撃で後ろに仰け反った瞬間、曲刀が眼前を過って虚空ごと前髪を数本切り取る。


「リリーナ!」


「ちっ!」


 私を仕留め損なったベレフはどういうわけかその姿を現すと、瞬時に反応したフランシスによって勢いよく蹴り飛ばされた。


「うぐっ! がはっ!」


 小屋の奥へと吹き飛ばされた衝撃で、中で何かが崩れる物音と共に呻き声がする。


「大丈夫かっ!?」


 倒れる私を抱き留めてくれたフランシスの顔を見て、前に夜会から帰るときにもこんなことがあったなと思う。

 あのときは、この人のことを何も知らなくて、まさか婚約することになるとは夢にも思っていなかった。


 だけど、今は――。


「あ、ありがとう……フランシス。私、生きてる……?」


「ああ、もちろん」


 そっと頬に触れる掌の温もりに、まだ生きているのだと実感が湧いてくる。

 月光を受けた青い瞳が、まっすぐに私を映し出す。


「君は本当に、昔から予想外のことばかりする。まさか、こんなところで精霊と契約するとは……」


「昔から? いえ、それより契約って……精霊はどうなったの!?」


 はっとして身体を起こすと、水車小屋の中から動揺した叫び声が響いた。


「な、なんだ!? なんで魔法がっ……! くそっ、どうなってる!?」


(さっきも不可視の魔法が解けていたみたいだけど……まさか!)


 辺りを見回そうとして、すぐに小さな光に照らされる。


「これは……契約を破棄させることができたの?」


 恐るおそる手を差し出すと、それはふよふよと掌に乗ってきた。

 熱くもなければ冷たくもない、ただほんのりと温かい光の塊。


「破棄しただけじゃない。この精霊は君を次の契約者に選んだんだ」


「嘘っ……契約まで!? それなら私よりも貴方の方がふさわしいじゃない」


「俺は呪いの影響がある。ただこの精霊、父の名に反応していたようだが……」


 フランシスは精霊を一瞥して、微かに眉をひそめた。


「いずれにしろ、精霊に名乗って受け入れられたんだ。これからは君が正式な契約者だ」


「……そ、そういえば、書斎で読んだ契約の仕方にそんなことが書いてあったかも!」


(礼儀正しく名乗ったつもりだったのに、契約の手順を踏んでたなんて……!)


 予想外の状況ではあるものの、悩んでいても仕方がない。

 狙い通り、これでベレフは魔法が使えなくなった。

 ちょうどそのとき、水車小屋の中から家具をけ飛ばす音がして、ふらついた足音が近づいてくる。


「……どうやら精霊に見限られたらしいな、ベレフ」


 すっと冷たい声音になったフランシスが視線を向けた戸口の先に、ゆらりと黒い影が立ち上がる。


 先刻までとは違い、ベレフの口元からは不気味な笑みが消え、額には脂汗が滲んでいる。

 彼と精霊の契約が破棄されたという事実は、その余裕を奪うには充分だったらしい。

 微かに肩を上下させているところからも、消耗しているのは明らかだった。

 私たちの視界からその姿を消し続けていたことを思うと、魔法のためにかなりの集中力を要していたとしても不思議じゃない。


 対するフランシスは細かな傷こそ負ってはいるものの、その目は密偵の姿をしっかりと睨み付けている。

 刃毀れひとつない鏡面のような剣が倒すべき敵へと向けられた。


「もっとも、リリーナとお前では比べるまでもないが」


「ふっざけんなぁっ!!」


 挑発に乗ったベレフの獣のような咆哮と共に、曲刀が襲いかかってきた。

 けれど、切り裂かれたのは私たちから数歩離れた何もない空間だった。


「これは……!」


 私は掌でじっとしている光の精霊を見た。

 私たちが錯覚を起こしてベレフの姿を捉えられなかったのと同じように、今のベレフには私とフランシスの姿が見えていないらしい。


「そこかぁぁ!」


「っ!」


 私の声に反応して向きを変えたベレフの攻撃をフランシスがすかさず打ち返すと、衝撃を受け流し切れずにベレフが倒れ込んだ。


(せっかく守ってくれたのに、ごめんなさい! もう音は出さないようにするから、その調子でお願いっ!)


 心の中で呼びかけると、それに応えるように掌の光が明滅した。


「くそっ、くそっ! くそぉっ!」


 苛立たし気に歪む顔に、初めて焦燥感と恐怖が浮かぶ。


「契約破棄だと!? 強制的な契約だとかぬかしておいて……騙しやがったな、ジョバンニ!!」


(ジョバンニ……? 聞いたことのない名前ね。仲間の名前かしら……)


 身を起こしたベレフは、周囲のすべてを切り裂きながら闇雲に外へと突っ込んでくる。


「……」


 変わらず私を背後に庇うようにして、フランシスは突進してくるベレフの攻撃を淡々と観察している。

 それは相手の更なる消耗を待っているようにも、他に奥の手を隠していないか注視しているようにも見えた。

 その視線はまるで、獲物の最期の足掻きを見つめる狼のようだった。


「はぁはぁはぁ……ナメやがって!」


 勢いよく小屋から飛び出したベレフは、こちらが攻撃してこないのを見て取るとそのまま川へと駆け出した。

 いくら精霊魔法が使えなくなったとはいえ、夜の森に逃げられたら追いつけるかわからない。


「リリーナ、マリアを頼む。すぐにロイドが来るはずだ。奴の始末は俺が」


 そう言って、破れたドレスを隠すように上着をかけてくれる。

 その温もりに、このまま彼を見送るのが嫌で袖を掴んだ。


「お願い、私も一緒に行かせて。ただ待ってるだけなんて嫌!」


 ぐっと顔を近づけて頼み込む。


「自分のことは自分で守れるから」


「だが……」


 夜会の日から始まった因縁が、もうすぐ終わろうとしている。


「あいつは私の婚約を滅茶苦茶にしたわ。結末を見届けたいの」


 そう言って、彼の袖を掴む手に力を込めた。


「……本当に、言い出したら聞かないな」


 青い瞳はほんの少し、困ったように微笑んだ。



◇◆◇



 向こう岸へ渡るベレフを追いかけて、川岸にやってくる。

 川幅は広いけれどベレフが渡れるのなら底は深くないのだろう。

 躊躇しつつ、足先を川につけた瞬間――。


「リリーナ、こっちへ」


「えっ……ちょ、ちょっと!?」


 私を横抱きにしたフランシスは、川の上を水音も立てずに駆けていく。

 足元から漂う冷気が一歩ずつ川の水面を凍らせて、彼のだめだけに氷の道が作られていた。

 彼に抱き上げられていることが気恥ずかしく、それでいてそんなことを考えている場合ではないと頭を振る。


「フランシス、もう魔法が?」


「いや、これが限界だ。だが、精霊を失ったベレフ相手なら使うまでもない」


 逃げていくベレフの背中を追って、反対側の岸辺から森へ伸びる獣道を辿る。

 足元が危ないとフランシスは私を抱えたまま森を走り抜け、やがて大きな湖に行きついた。


 時折、水面が風に揺れる以外は静寂が支配する空間。


「鬼ごっこはおしまいだ」


 私を木の陰に下ろし、フランシスは静かに剣を抜いた。

 当たりを木に囲まれているため、精霊のいないべレフであっても逃げの一手を打つことはできる。

 それでも隣国の密偵は激しく呼吸を整えながら、曲刀を構えて銀髪の国王秘書官の前に現れた。

 奇襲を狙わずにその姿を見せたというのは、正真正銘の一騎打ちということなのだろうか。


(すごい……空気がピリピリしてる)


 肌を刺すような張り詰めた緊張感に、私は固唾を飲んでふたりを見つめていた。


「……望むところだ。あんな力なくたって、そのムカつく顔を刻んでやるっ……!!」


 瞬く間もなくフランシスとの間合いを詰めたベレフは、その頭上から一撃を振り下ろす。


「フランシスっ!」


 叫んだ声が湖畔に響き、反響する。

 銀の影は動じることなくギリギリまで凶刃を引きつけ、自らの白刃を打ち上げた。

 刃と刃がぶつかる音はそこまで大きくはなかった。


 けれど、割れた刃の破片が煌めくのと共に、真っ赤な鮮血が勢いよく吹き出す。


「……曲刀は軽く、最小の力で相手を切りつけることができる。その代わり、剣身が薄い。お前のように暗殺に特化した代物は尚更だ」


 ベレフの曲刀ごと彼の首を切りつけてみせた国王秘書官は、自らの血だまりの中に崩れ落ちた黒い影を一瞥して、剣を鞘に納める。


 ふたりの剣戟に揺れた水面はゆったりとした波紋を広げ、やがて何事もなかったように湖面に真っ白な水月を映し出した。


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