第22話 先代様に代わりまして
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(なんでもいい、ベレフを倒すきっかけになれば――)
そう強く念じた瞬間、視界に小さな変化が起きた。
ベレフの周りを、林檎くらいの大きさの光が必死に飛び回っているのが見えた。
不思議なことに、ベレフはそれに気づいていないのか意に介す素振りはない。
「あの光っているのが、精霊……?」
思わず呟くと、フランシスが頷く。
「ああ……待て、視えるのか?」
「今視えたわ。……そう、あれがベレフと契約した精霊なのね」
洗礼を受けたお陰か、一度視界に捉えてしまえば不規則に動く精霊の姿がはっきりと見える。
先ほどからずっとベレフの顔の周りを飛び続けているそれは、明らかにベレフの行動を止めようとしていた。
「あの精霊、彼を止めようとしているように見えるけど」
「本来、攻撃的な精霊はいないからな。契約上、力は貸すが本意ではないんだろう。……というかリリーナ、君まさか洗礼を……」
「詳しいことはあと! 今はどう対処するか考えないと……!」
出方をうかがっていることに痺れを切らしたのか、ベレフは腰から新たな曲刀を取り出すと、両手で素
早く回転させ始めた。
「これはこれは、『冷血公』。また会えて嬉しいぜ」
フランシスの姿を見たべレフは傷だらけの顔を引きつらせて笑った。
「勝手に喜んでいろ。お前の幕引きに立ち会ってやる」
「つれないなぁ。……今夜はその澄ましたツラをズタズタにしてやるよっ!」
言い終わるや否やべレフの姿と精霊が消え、暗闇から空気を裂く音が襲ってくる。
「っ!」
フランシスは首元に迫った曲刀を跳ね除けて、周囲を薙ぎ払う。
が、ベレフの姿が現れることは無く、不気味な笑い声だけが響き渡った。
「なんだ? 妙に大人しいと思ったら呪いを受けたのかよ! ハハハハッ!」
白い頬から流れる血をそのままに、フランシスは鋭い視線で前方の闇を睨み付ける。
「だ、大丈夫!?」
「問題ない。ロイドが大公の私兵を連れて来る。それまで後ろから離れるな」
冷静でいて、緊張感を孕んだ声だった、
(フランシス……)
精霊除けの呪いを受けていることがベレフに気づかれてしまった以上、向こうは容赦なく攻撃してくるに違いない。
相手の姿が視えず攻撃が読めない状況では、私を守りながら攻撃をかわすのがやっとだろう。
(これじゃ、本当に足手まといだわ……! ベレフが契約している精霊の正体だけでもわからないかしら?)
焦る気持ちを堪えて、攻撃を警戒しながら思考を巡らす。
「自分の姿を消して、他人の姿になることもできる……そんな精霊いるの?」
「聞いたことは無いが、こちらの視界に錯覚を起こさせているのは間違いないな」
曲刀の薄い剣身が空気を切り裂く音に耳を澄ませながら、私達はじりじりと後退する。
水車小屋の脇にある大木に視線を送ると、そこには負傷したマリアがぐったりと身を預けていた。出血のせいか顔が青白い。
(べレフを小屋から出したらマリアも危ない。これ以上、外に出すわけにはいかないのに!)
精霊の正体を探る手掛かりは、錯覚を引き起こすということ。
「錯覚……視覚に作用しているのかしら。昔読んだ小説に、そんなことが書かれていた気がするけど……」
人間の視界は、対象に反射した光を受けることで、初めて対象そのものの形を捉えることができる。
(対象の姿を消したり、姿を変えて見せるということは、その反射光を操っている?)
思考に沈んでいる間も、暗がりから繰り出される攻撃をフランシスが叩き返していく。
彼の背中から出ないように必死にしがみ付きながら、ひとつの考えが閃いた。
「彼が契約しているのは、光の精霊!?」
そう思うと、蛍のように光って飛び回っていた姿が妙にしっくりくる。
確信を持てずにいると、ふっとフランシスが笑った。
「光の精霊とは、随分と似つかわしくない精霊だな、ベレフ」
珍しく挑発するような響きに、返答代わりなのか凄まじい速さでナイフが飛び出してくる。
「ハハハッ、まったくだ! お前と同じ、いけ好かない野郎が用意してくれてなぁっ!」
「っ!」
ガキン、とナイフを弾いて銀髪を揺らしたフランシスは、背後の私へ声を潜めた。
「精霊の正体、どうやら正解だ」
「そうね。でも、光を操って錯覚を起こされているなら、完全にお手上げだわ。あとはもう、魔法自体を使わせないようにするしか……」
ヒュッと風を切り裂く音の間隔が短くなり、ベレフの猛攻が始まる。
「っ!」
フランシスの集中を邪魔しないように口を閉じると、彼は素早い剣さばきで曲刀を跳ね返していった。それでも完璧に防ぎきれずに首筋や肩、胸元の衣服が裂けて血が滲む。
「フランシス……っ!」
私を庇って傷ついていく彼に耐えられず、悲痛な声を上げる。
攻撃を防ぎながら彼はほんの一瞬、肩越しにこちらに視線を向けた。
「ロイドから、精霊除けの矢を貰っておけばよかったな」
私を安心させるためなのか、口元に笑みが浮かぶ。
その微笑みを目にした途端、火を灯したように胸の奥が熱くなった。
(諦めたらダメ。『危機的状況こそ冷静に』よ!)
愛読書である小説の主人公の台詞を思い起こして、深く息を吐く。
そして、もう一度落ち着いて状況を整理することにした。
打開策があるとすれば、それはフランシスの言う通り精霊除けの矢だろう。
(あれは人間と精霊の契約に干渉する呪いだって聞いたけど……似たようなことができればいいのよね。契約を無効化するような何か……)
思い返して気になるのは、精霊の姿がベレフには見えていないこと。
キシンガム邸の書斎にあった本を数冊読ませてもらったとき、その中に同じような現象について記述があったのを思い出す。
(確か、精霊と人間の相性が悪化している際の典型例だったはず)
持って生まれた性質から変化することのない精霊に対して、生きていく過程で心身共に変化していく人間。
例え契約できたとしても、人間側が変化することで精霊側との相性が悪くなってしまうことも少なくないらしい。
それに、モリス様は精霊は生き物を傷つけることを嫌うと言っていた。
これまでアンブローシアの密偵として活動していたベレフが、既に愛想をつかされていたとしても不思議ではない。
(先代キシンガム侯爵はこの相談に対して、精霊と人間の双方に契約の破棄を勧めたと書いてあったわ……。例え人間が応じなくても精霊が受け入れれば、別の人間へ契約を乗り換えることもあった、と)
――精霊の姿が見える今なら、私の言葉も届くかも知れない。
フランシスの後ろから前に出て、彼の横に並ぶ。
「リリーナ、何を……!」
「私、契約を破棄するように説得してみる」
べレフからしてみれば、これは無防備な私を狙う絶好の機会。
そして、私にとってはベレフの精霊に正面から語り掛ける無二の機会。
(もし失敗してベレフに切られても、その瞬間はベレフの居場所が確実にわかる。そうすれば、フランシスが必ず倒してくれるわ……!)
ひんやりとした風が吹き、モリス様に言われた言葉が耳に蘇った。
『ここで洗礼を受けたことを、どうか忘れないでください』
私があのとき洗礼を受けたのは、守られるだけの足手まといになりたくなかったから。
今何もしないのなら、洗礼を受けた意味がなくなる。
「先代キシンガム侯爵――ウィリアム・キシンガムに代わって、リリーナ・エドフォードがご提案します! 高貴な精霊様、そんな奴との契約は今すぐ破棄されてください。お望みなら、他の契約者をお探ししまっ……!」
微かな異音がしたかと思うと、視界の端で何かが光った。
非情な凶刃が、瞬きするよりも早く左胸に迫っているのがわかる。
(まずいっ!!)




