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第19話 逃れざる魔の手

 私とマリアが緊張した面持ちで扉の中を見つめると、そこにいたのは小柄なお爺様だった。


「ありゃ? こんな時間にどちら様かのぅ」


「おじい様、夜分に失礼いたしますわ。こちらにベレフという方は……?」


「おらんおらん。ずーっと長いこと、ワシしかおらんて。……まあ、よう見よったらふたりとも、そんな恰好で寒かろ? 中で温まりんしゃい」


 ドレスの上からマントを被っていた私たちは顔を見合わせて、誘われるままお邪魔することにした。

 水車小屋はカラル離宮で使用される小麦などの粉ひきを行っているらしく、お爺様は水車番として、もう三十年はここで働いているそうだ。


 皴の刻まれた手で、どうやって粉を引いているかなども教えてくれる。

 その様子はどこからどう見ても、人の良さそうな老人だった。


「おじい様、つかぬ事お伺いますが、中年太りのハゲと可愛らしくて利発そうな少年を見かけませんでしたか?」


 他に言い方はなかったのかと思うものの、マリアが言っているのは恐らくグレイ男爵と弟のカイル様のことだ。

 「見かけんのぅ」と言いながら、お爺様はお茶を用意すると言って水車小屋と繋がった奥の小屋へと、慣れた足取りで引っ込んでいった。

 湿気と粉塵の多い水車小屋は生活に向いているとは言い難い。きっと、寝起きする場所は別にしてあるのだろう。

 お爺様が去ると、マリアがすかさず二階と三階の様子を確認する。


「……誰もいませんわ。わたくしたちだけです。ベレフから指定されたのはこの水車小屋で間違いないのに」


「困ったわね。人質どころかべレフもいないなんて……。とりあえず、フランシスが来るのを待ちましょう」


 私たちの話がまとまった頃、お爺様がトレーにお茶を乗せて戻ってくる。


「さぁ、どうぞ」


「あ、私も手伝います」


 トレーに乗せられたカップを机に並べようと手を伸ばして、小さな違和感が生まれる。


(お爺様の左手……こんな傷あったかしら……)


 トレーを持つ手に、くっきりとした傷があった。

 さっき、粉の引き方を教えてくれたときには気づかなかった。

 不思議に思い、まじまじと傷跡を眺める。

 それはまるで、鋭利な刃物で切られたような――。


「マリアっ!」


 私の叫びに彼女は即座に反応した。

 隠し持っていたナイフを手に、お爺様から距離を取る。


「ふぉっふぉっ、どうしたんじゃ。物騒な物を持って危ないのぅ」


「シラを切るのはよして! その左手の傷、さっきまでお爺様になかったわ」


「んんん? 何を言っとるんじゃ。見間違いじゃろ。少し前に怪我をしてしまってな」


 傷を摩る様子は、それこそ本物の老人に見える。

 けれど、私は今もはっきりと覚えていた。


「違うわ。その傷はあの夜、フランシスに付けられた傷でしょう。べレフ!!」


 名前を口にした途端、お爺様の髭に覆われた口元がニィと邪悪な笑みに歪む。

 そして、全身が真っ白な光に包まれた。


「なっ、なに!?」


「眩しいっ!」


 堪らず目を瞑った私たちがようやく瞼を開いたとき、水車番のお爺様の姿はそこには無く、立っていたのは全身を黒い服に包んだべレフだった。

 襲撃されたときと同じく、顔は仮面で覆われている。


(今のは……? まさか、べレフも精霊魔法をっ!?)


「あーあ、バレたか。毒を飲ませて苦しめたかったのに、惜しかったなぁ」


 机の上に乗ったカップを見て、もしあれを口にしていたらとぞっとする。


「魔法で付けられた傷は簡単には治りませんのよ。上手く変装できていたのに残念ですわね」


「ははっ、本当にその通りだ。この国での仕事納めに、アイツはこの手で始末をつけないとな」


 べレフは楽しそうに言うと、玩具で遊ぶように曲刀をくるくると回して見せた。

 そして、刃先を私に向けてピタリと止める。


「ちゃんと獲物を連れてきたことは褒めてやるよ、嬢ちゃん」


「それはどうも。それで、男爵とカイルはどこですの?」


 既に小屋の中に彼らの姿が無いことはわかっている。

 固唾を飲んで答えを待つと、彼はニタリと笑った。


「言いにくいんだが……男爵もアンタの弟も、もうこの国には帰ってこないってよ。アンブローシアで爵位を手に入れて、のんびり暮らすんだと。こっちじゃ、たいして領地もないし、収入も低くてやっていけないって嘆いてたぜ。ま、しょうがないよなぁ?」


「なんですって……?」


 男爵が本当にそんなことを言ったのか、べレフの嘘ではないか、一瞬で様々な考えが脳内を巡る。


(もし本当だとしたら、グレイ男爵は亡命したことになるけど……だったら、マリアは何のために……!)


 ぎゅっと拳を握り締めたとき、彼は「そうそう」と思い出したかのように付け足す。


「男爵から聞いたぜ? お前、生まれる前に捨てられてるんだってなぁ? なのに、まーた親から捨てられて……ホント、可哀そうだよなぁ? あはははは!」


「…………」


 下品な笑い声の中、隣にいるマリアの気配が明らかに変わったとき、私は居ても立っても居られずに湯気の立つカップを中身ごとべレフにぶちまけた。


「うおっ!? あっちちち!」


 完全に油断していたのか、彼は熱湯にのたうち回る。


「可哀そうなのは貴方よ! マリアを侮辱することは許さない!」


 そう叫んだ私に、マリアは弾かれたように顔を上げた。


「リ……リリーナ様……?」


「くそっ、せっかく用意してやったってのに……!」


 熱湯が仮面の隙間から中に入ったのか、ベレフは仮面を外して掌で顔を拭った。

 その素顔は幾つもの傷が生々しく痕になっていて、皮膚は爛れていた。

 一目見て、それが拷問などで意図的につけられた傷だとわかる。

 無数の傷は、彼の歩んできた人生の一端を感じさせるには充分だった。


「お前はあの晩、死ぬはずだったんだ! あの男さえ来なけりゃ、確実に仕留められたものをっ!」


 曲刀が振るわれるよりも先に、迸る殺気が私の心臓を貫こうとする。


 ――刹那、冷気が発せられたかと思うと、凶刃から私を護るように盾の氷塊が出現した。


(これは……!?)


「なにっ!?」


 ベレフの目の前で、刃は私へ届くことなく無残に折れてしまう。

 武器を失った一瞬の隙を狙い、黒髪の小柄な影が舞う。


「そこっ!」


 マリアは身体を捻って、その反動で小型のナイフを連投した。

 一本目がべレフの腕に命中したものの、彼は次の瞬間にはそれを引き抜き、二本目を叩き落として見せた。

 信じ難い速度に目を見張っていた私は、そのまま突っ込んできたべレフによって押し倒されてしまう。


「はっ、離してっ!」


 重みから逃れようと藻掻くけれど、びくともしない。

 べレフはナイフを突きつけながら、私の顔を舐めるように見つめてくる。


「……アンタ、本当にあの男から愛されてるんだな。『精霊の加護』を貰うなんて」


 すぐにそれが、フランシスの言っていた『おまじない』のことだと合点がいく。


(さっきのは、フランシスが守ってくれたってこと……?)


「それなら、たっぷり酷い目に遭わせてから殺してやる!」


「きゃっ……!?」


 ナイフで刺されると思い、身を硬くする。

 しかし、彼は私ではなくドレスの胸元を切り裂いた。


 彼の言う『酷い目』の意味するところを知って、今まで感じたことのない恐怖に肌が粟立つ。


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