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第18話 狼は月下に吠える

※フランシス視点になります※

 奥から姿を現したマルディニー大公妃セラフィーヌ・デ・ロンドは、宝石が縫い付けられた天鵞絨のドレスを纏って、仮面の代わりに繊細なレースで目元を覆っていた。


「あら、今夜はその銀髪は隠していらっしゃるの」


 猫なで声で近づいて来た彼女からは、更に甘い香りがする。


「……まるで、死臭でも隠しているかのようですね」


 大公妃は目を丸くして、それからすぐに血のように赤い唇に笑みを閃かせる。


「死臭なんてとんでもない。外から来ると最初は慣れないの。……でも、ここを出る頃にはすっかり慣れるわ」


 そう言って帽子を奪った彼女は、そのまま黒い仮面も剥ぎ取ってベッドへ放り投げた。


「殿下に聞きましてよ? 急に婚約だなんて、どういう風の吹き回しかしら」


「時期が合ったというだけです。それより、大公は今どちらに?」


 白い腕がこちらに伸ばされて、目にかかる銀髪を払いながら「さあ」とはぐらかされた。

 妖艶に微笑んで見つめてくる大公妃を前に、どうしたものかと考える。

 大公妃セラフィーヌが奔放な性格であることは有名な話だった。

 普段は二十も歳の離れた大公を支える淑女といった様子だが、夜は男女の別にこだわることなく愛人を部屋に招いているという。


(それでいて、夫婦仲は悪くないとは……理解に苦しむな)


「大公が婚約の承認を渋ったのは、貴女が原因ですね?」


「ふふっ、そうとも言えるわね。でも、勘違いしないで。私は貴方の婚約に反対なんじゃないの。……誰かのものになる前に、貴方をもっとよく知っておきたいのよ、フランシス」


 しな垂れかかるように首に手を回され、頬を撫でられる。

 精霊除けの呪いと合わさって、甘い香りに頭痛がしてきた。


「私の心には婚約者しかおりません」


「構わないわ。私も心は大公殿下に捧げていますもの。そういえば……」


 埒が明かないと踏んだのか、ぱっと身体を離したセラフィーヌは窓辺へ歩きながら歌うように話題を変えた。


「アンブローシアへ亡命した貴族がいるらしいわ。風の噂ですけど」


「亡命?」


「貴族とはいえ、男爵程度じゃ出世が見込めませんものね。貴方くらい見目麗しければ、私が引き立ててあげられるのに」


 机上のグラスを傾けながら、長い睫毛に彩られた流し目がこちらの全身をゆっくりとなぞる。


「……グレイ男爵のことですか」


 目を細めて微笑むだけで答えはない。

 もしセラフィーヌの言っている人物がグレイ男爵だとすると、今夜の人質解放はベレフの嘘ということになる。


(自ら亡命した者が帰って来るはずがない。マリアも騙されているのか。早く合流を……!)


「特に御用もないようなので、失礼します」


 帽子と仮面をベッドから拾い上げ、彼女へ頭を下げた瞬間、ぐらりと視界が歪む。


「……っ!」


 一瞬前まで正常だった身体に違和感が走る。


(体温の上昇に脈拍の乱れ……やはり、この香りは薬物か……!)


 呼吸する度に視界がぐにゃりと溶けていき、立っていられなくなる。

 依存性があるのかはわからないが、こんな部屋にいるセラフィーヌはすっかり中毒にでもなっていそうだった。


 ベッドに手を着いたところを、嫋やかな身体が押し倒してくる。


「あと少しで香りに慣れてくるわ。大丈夫、私に任せて……」


 彼女のお喋りは薬の効果が表れるまでの時間稼ぎだったのだろう。

 囁きと共にシャツのボタンが外され、素肌の上を蛇のような食指が蠢く。


「……その亡命については、どこからの情報ですか。……答えなければ、反逆罪に……問います」


「ふふふ、それはいいわね。大公妃である私の罪を問うてみなさいな、秘書官殿」


 セラフィーヌの楽しそうな声とは裏腹に、心の中は凍土に吹く嵐のように激しく冷え切っていく。


 彼女はわかっていない。

 国を傾けるような陰謀が仕掛けられるということの恐ろしさが。

 ぐるぐると回り始めた視界の中で、薬物の効果と相まってふつふつと怒りが湧き始める。


 ――今でも忘れたことはない。


 幼い日に突然奪われた家族の命。

 笑顔で出かけて行った家族を出迎えたとき、そこには大きな棺桶がふたつと小さな棺桶がひとつ並んでいた。


 あの日から、悲しみと憎しみを超えたところにある何かが、ずっと胸の奥で燻ぶり続けている。


(こんな思いは、俺だけで充分だというのに……!)


 例え『冷血公』と渾名されても、己に与えられた全てでこの国に忍び寄る影を払い除けてみせる。


「っ!」


 セラフィーヌの指先がベルトにかかったとき、思うように動かない身体を叱咤して彼女の肩を掴み、強引に体勢を入れ替える。

 馬乗りになった状態で、迷わず細い首に手をかけた。


「ぐっ……!」


「あまり俺を見縊らないほうがいい。薬が抜けないのなら、手伝ってやる」


 白い絹のような皮膚の下、青く浮かぶ血管を流れる血流を止めないように細心の注意を払って数秒締め上げる。

 そして、すぐに力を緩めた。


「がはっ! ごほっ、ごほっ……!!」


 激しく咳込みつつ、酸素を取り込もうと彼女の肩が大きく上下する。

 ここまでしてようやく、夫人の目に正気の光が戻ったように見えた。


「もう一度聞く。その情報の出所は」


「ア、アンブローシアの……貴族よ。でも、亡命なんて嘘だって……用済みになったら、処分すると……」


 呼吸が整うのを待つことなく尋ねると、セラフィーヌは途切れ途切れに応えた。


「……踊らされたな、グレイ男爵」


 それだけ吐き捨て、ベッドから立ち上がる。

 少しは香炉の香りから醒めたのか、セラフィーヌは戸惑いがちに口を開いた。


「お、怒らないでちょうだい……私はただ……」


「忠告だ。その奔放な性質をどうにかしろ。ベッドの上で我が国の情報を漏らせばどうなるか……」


 大公夫人という立場であれば、隣国であるアンブローシアの貴族と親交があっても不思議ではない。

 むしろ、彼女の交遊は我が国にとっても貴重な情報源であり、それを期待されている面もあった。


(それが逆に、隣国へ情報を流出させることになるのなら、何かしらの処置を講じる必要がある)


 目を細めて睨むと、彼女は小さく悲鳴を上げて子供のようにこくこくと頷き続けた。


 小国から嫁いできたセラフィーヌが薬や色事に耽るのは生来の気の弱さからだろうと、モリスが言っていたのを思い出す。

 そんな彼女が誤って情報を漏らした場合、恐らく粛清に当たるのは自分だ。


(……巡礼に出る前はモリスが定期的に茶会に招いて安定させていたが……。また、茶会の席を用意するべきかもしれない)


 怯えた視線を向けられることにはすっかり慣れたつもりだったが、女性や子供からのそれは決して居心地のいいものとは言えない。


「それで、大公はどこだ」


 視線を逸らして乱された着衣を整える。


「ち、地下に……」


 大公がわざわざ地下にいるというのは、仮面舞踏会に相応しい悪趣味な部屋でも用意されているのだろう。


(この夫婦は本当に訳が分からないな。似た者同士なのは確かだが……)


 大公に会うためには地下へ降りなくてはならないが、そこで目にするものを思うと気が滅入った。


「ご協力に感謝する。では、失礼」


 廊下に出て通りすがりの給仕に処分するようにと、部屋にあった振り香炉を押し付ける。

 そして、苛立つ頭を落ち着けるため、近くの窓からひんやりとした夜の空気を吸い込んだ。


 こんなことをしている間にも、リリーナが危険な目に遭っていないか不安が過る。

 元はといえば、グレイ男爵とベレフ捕縛の判断が遅れたことが原因だ。


 もし大公主催の仮面舞踏会で貴族が殺害されれば、革新派は声高に保守派を糾弾するだろう。それだけならまだしも、一番恐れるべきは保守派内部の分裂。


 保守派の本流ともいえるランフロンド一派は、国外に総本山を持つ精霊教会を快く思っていない。

 精霊教会を重用しているマルディニー大公が失脚するようなことがあれば、ここぞとばかりに派閥内の教会信者を一掃するに違いない。


(国内の教会関係者に手を出せば、教会本国も黙ってはいない。……革新派の分裂などより保守派の分裂のほうが、我が国に痛手を与えられると判断したのか……?)


 いずれにしても、自分がやるべきことはひとつ――今夜、誰も死なせずにベレフを倒す。

 それが、国王秘書官である自分に科せられた責務だ。


「なんだ、もう面会は終わったのか。大公の居場所は?」


 すっかり頭が冷えた頃、こちらを見つけたのかロイドが駆け寄ってきた。


「地下だ。私は先にふたりの後を追う。大公への説明を頼みたい」


 そう言って、付けていた仮面を渡す。


「今晩のために大公から戴いた物だ。これを見せれば至急対応するだろう」


「わかった。それと、さっき裏口へ向かう二人組の男を見た。着飾っているわけでもないし……あれは明らかに普通の参加者じゃない」


(敵はベレフを含め、三人以上か……)


 互いに頷くと、それぞれの目的地に向かって駆け出す。

 仮面を外したことで招待客の数人に振り向かれたが、構っている暇はない。

 人混みを抜け、裏口の扉を開いてリリーナたちの後を追いかける。


 紺碧の空には白い満月が浮かんでいた。

 ふと、キシンガム家の紋章のことを思い出す。

 紋章には狼が描かれており、幼い頃はよく月下を疾走する狼のおとぎ話を聞かされたものだった。


(本当に狼にでもなった気分だ)


 月明りの道を駆ける靴音に交じって、段々と川の水音が大きくなっていく。

 川沿いに出て目的の水車を目視したとき、耳の奥でぱちんっと音がした。


「っ!!」


 それが、リリーナに施した『おまじない』の発動を知らせるものだと理解した瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「リリーナっ!」


 月光が包む静寂を破って、彼女の名前が木霊した。


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