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第17話 現婚約者と元婚約者

※フランシス目線になります※

「これは『おまじない』だ。災いから君を守れますように」


 裏口へ続く薄暗い廊下の手前で、柱の陰に隠れるようにしてリリーナの頬へ軽く口づける。


 柔らかな肌から顔を離した瞬間、ふわりと白薔薇の香りがした。

 教会で会った日に渡した白薔薇を、彼女は律儀に寝室に飾っていると言っていた。

 近くにいない間、代わりにこの香りが彼女に寄り添っている――そう思うと悪くない気分がした。


 自らを取り巻く状況が一変したことは、リリーナに精神的負担を与えているに違いない。

 婚約を迫った自分にその一端があるのは疑いようもないが、取り逃がした密偵から国を守るため、彼女を守るためには必要なことだった。


(それすら建前にした、単なる利己心かもしれないが……)


 不意の口づけに見開かれた瞳が何度か瞬くと、「もうっ……」と顔を背けられてしまった。


「嫌だったか?」


「……いえ、ちょっと驚いただけ」


 そう言って振り返った彼女の顔には、白薔薇よりも愛らしい照れたような微笑みが咲いていた。


「じゃあ、行ってきます。また後で」


「ああ、必ず迎えに行く」


 裏口からリリーナとマリアを見送って、外壁にもたれかかって寝息を立てている衛兵に視線を落とす。

 ここから城内へ侵入したというロイドの証言通り、離宮の裏口を守るはずの衛兵はすっかり眠りこけていた。近くには酒瓶が数本転がっている。


「酔った参加者のふりをして酒を勧めたら、あっさり入れてくれたんだ。まったく、衛兵のくせに仕方のない奴らだ」


 そう仕向けた張本人が偉そうに評するのは違和感がある。が、今はそんなことはどうでもいい。


「行くぞ。大公を探す」


「あ! ちょ、置いてくなっ……!」


 踵を返すと、背後から慌てた靴音が付いてきた。

 本来なら、大公から兵を借りる必要もない。

 我が国に忍び込んだネズミなど、俺ひとりで充分対処できるはずだった。


「……」


 精霊除けの矢を受けた左腕に触れると、今もそこに嫌な気配を感じる。


(掠っただけでこれほどとは……)


 試しに何度か精霊の名を呼んでみたが、酷い耳鳴りに似た高音が頭に響いて頭痛がする。

 精霊との繋がりを無理やり断ち切られている状態とでもいうのだろうか。


(大公の私兵には精霊魔法を使える者もいる。万全を期するなら数人借りておくに越したことは……)


「キシンガム侯爵……その、さっきは悪かった。あのままだとマリアが危ないと思ったんだ。……痛むよな?」


 傷を確認しているのが気になったのか、気まずそうな声がした。


「いや、問題ない」


 傷から手を離して、あのときの弓矢を思い出す。

 こちらの回避行動を先読みして放たれた矢はロイド・ウォーレンハイムの狙い通り、致命傷になり得ない、それでいて呪いの効果を発揮するには充分な傷を与えることに成功した。


 事前に読んだ報告書では、彼の弓がここまでの腕前とは一言も書かれていなかった。

 人気のない廊下を進みながら、ロイドについての特記事項として脳裏に刻み込む。


「その傷も、リリーナのことも……侯爵の怒りはもっともだ」


「……」


 彼に対して思うところがあるとすれば、それは矢を射られたことではなく、リリーナを傷つけたことだ。

 くだらない猿芝居のせいで、何も知らない彼女は深く傷ついた。

 べレフを撃退した夜も、月明りの中で彼女の目元が赤く腫れていたのを覚えている。

 婚約破棄を宣言された夜会の場ですら、エドフォード伯爵令嬢として気丈に振舞おうとしていた彼女が、屋敷に戻ってひとり泣いていたと思うと拳に力がこもった。


(だが、リリーナはロイドを許すつもりだ。……婚約者として、俺も彼女の気持ちを尊重しなければ)


 夜会では、リリーナの気持ちを無視して勝手に婚約を申し込んだことで彼女を傷つけてしまった。

 同じ過ちは絶対に繰り返さない。


 ――なぜなら俺は、彼女に選ばれなければならないのだから。


「リリーナが許すというなら、俺から言うことは無い。だが、グレイ男爵家に脅迫状が届いていたことを通報しなかったのは、ウォーレンハイム家の責任を問われるぞ」


「……わかってる。考えたうえでの判断だ。言い逃れはしない」


 リリーナと同じ一八歳という年齢の割に、落ち着いた返答だった。

 特別人徳がある人間ではないらしいが、保身のために下手な言い訳をしないのは少し意外だった。


「人質のことがあったから、これまで両親や革新派の連中にも黙秘していたんだ。無事に男爵たちが解放されれば全部話す。もちろん、国王秘書官室からの取り調べにも協力する」


 横に並んだ金髪の青年はそこで言葉を切って考える素振りの後、口元をにやりと歪める。


「この場合、キシンガム侯爵が取り調べの担当か? だったら、暖かい暖炉のある部屋でお願いしたいものだ」


「手配しよう。取り調べの後、ウォーレンハイム家には氷塊が届けられることになるだろうがな」


 冗談を口にしてから、大広間へ続く扉を開く。

 来たときよりも時間が経ったこともあってか、大広間に集まる人影が増え、賑わいも大きくなっていた。


 ざっと見ただけで、見覚えのある背格好がそこかしこにある。

 大公主催ということもあって、招待客は保守派の貴族が多いのだろう。


 通常、貴族が多く集まる催しには必ず諜報を担う者も参加するしきたりになっているが、王室関係者主催の催しについてはその限りではなかった。

 万が一にも大事があってはと過去に部下の派遣を打診したことはあるものの「お前自身が来れば良い」と、毎回招待状を押し付けられる始末だ。


(刃物を携帯したマリアに、招待状を持たないロイドの侵入、それと衛兵の意識の低さ……今後は改める必要がありそうだ)


「はぁ、ここから大公を見つけるのは面倒だな。ただでさえ、みんな仮面を付けているっていうのに」


 そう言うロイドも参加者に扮するために適当な仮面を付けていた。

 そのまま辺りを眺めるが、仮面越しの視界では上手く観察できないのか、首をきょろきょろとさせている。


「大公と親しい人物を見つけられれば、そこから今晩の衣装を聞き出せるかもしれない」


「なるほど。大公の取り巻きとなれば衣装も派手そうだな……それっぽい奴を探してみるか」


 適当な人間がいないか目を凝らしていると、丁度二階から降りてきた給仕が酒の入ったグラスを持って目の前にやって来る。


「お飲み物はいかがですか?」


「悪くないな、貰っておこう」


 受け取ったグラスにさっそく口を付けるロイドには何も言わず、グラスの中の液体を軽く回す。

 国王秘書官となって以来、外で出された飲食物には手を付けないことにしていた。


(……エドフォード邸の紅茶は飲んでおけばよかったな)


 リリーナが母親との思い出だと語っていた姿が脳裏に過り、もう彼女が恋しくなっている自分に気がついた。


「失礼ですが、キシンガム侯爵とお見受けいたします。大公妃殿下がお呼びです」


 給仕の男は、仮面を付けたままの俺に声を潜めた。


「……すぐに酒を飲まないのは、そんなに怪しいか」


「いえ、そんなことは。ただ、侯爵は大変用心深い方だと、大公妃殿下から聞き及んでおりますもので」


 愛想笑いを浮かべる男に案内を頼むと、二階の奥にある部屋へと通された。


「キシンガム侯爵おひとりでお願いいたします」


「なっ! 僕だって、大公妃にご挨拶くらい……!」


「一階の様子でも眺めていたらいい。この廊下からなら招待客の様子がよく見える」


「……くそっ。ああ、わかったよ」


 大人しく引き下がったロイドが肩を落として廊下へ戻っていく。

 おかしな動きをする人間がいないか監視するよう伝えたつもりだが、彼が理解しているのかは不明だ。

 ロイドが出て行ったあと、ようやく給仕が部屋の奥へと声をかける。


「大公妃殿下、キシンガム侯爵をお連れしました」


「入っていただいて」


 気だるげな了承を得て、「失礼いたします」と部屋に入る。


 ドアが閉められると、中は甘ったるい匂いで充満していた。

 見ると、ベッドの近くに小さな振り香炉が吊るされている。

 教会でも教話の際に使用されることがあるが、それはここまで下品な香りではない。


「お待ちしておりましたわ、キシンガム侯爵」


 奥から姿を現したマルディニー大公妃セラフィーヌ・デ・ロンドは、宝石が縫い付けられた天鵞絨のドレスを纏って、仮面の代わりに繊細なレースで目元を覆っていた。


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