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第16話 敵地へ向かう私たち

 カラル離宮の裏口から顔を覗かせると、既に外は真っ暗になっていた。


「ランプは目立ちます。灯りは消していきましょう」


 空に輝く月と星々だけを頼りに、私はマリアの後ろをついて歩き出す。


「それにしても、フランシスが大人しく言うことを聞くなんて……。さては、なんでもいいから都合を付けて本気で婚約したかったパターンですわね」


「フランシスが私と? ふふっ、まさかそんな」


 彼は私との婚約によってベレフの暗躍を阻止し、国内貴族の結束を強めるという目的を持っている。

 マリアの見当違いな想像につい笑ってしまった。


「引く手数多の国王秘書官が、私のような家柄しか取り柄のない人間を本気で好きになるはずないわ」


「……ほんの少しだけ同情しますわ、フランシス」


「え?」


「いえ、なんでもありません。ここから先は足元にお気を付けて」


 石畳が途切れ、庭園の端にある低木の更に奥へと足を進める。

 この先に、ベレフと落ち合う約束をした水車小屋があるらしい。

 あれから話し合った私たちは、二手に分かれることにした。


 フランシスとロイドは大公へ事情を説明し、ベレフを捕まえるために兵を貸してもらう。

 私はマリアと共にベレフの元へ向かい、男爵とカイル様が解放されたら援軍を連れたフランシスたちと合流する。

 こうすれば、仮面舞踏会の主催者である大公の顔も潰さずに、円満に解決できると踏んだのだ。


「それにしても、お姉さまがわたくしのことを信じてくださって嬉しいですわ」


 顔にかかりそうな枝をナイフで容赦なく切り落として進みながら、マリアが嬉しそうに微笑んだ。

 刃物の扱いがここまでうまい男爵令嬢はそうそういない。


「当然でしょう? 国王秘書官の元へ警告の手紙を出した貴女を疑うはずがないもの」


 私の言葉を聞いて、彼女が息を呑んで驚く気配がした。

 頭の中に、お兄様から見せられた手紙の筆跡を思い浮かべて続ける。


「ここへ来て芳名帳へ署名したとき、貴女の筆跡を見て確信したわ。警告文とそっくりだったもの。ベレフに気づかれないように、あれを送ってくれたのよね?」


「まあ! そこまでお気づきでしたの?」


 手紙がマリアによるものだったと分かれば、もし彼女が罪に問われても酌量の余地がある。


「あの芳名帳があれば、手紙と併せて貴女の罪を軽くする証拠になるかもしれないわ。あとでフランシスに相談してみましょう」


 そう言って頷いて見せる。

 父と義弟を助けるために本意ではない謀略に加担させられていた彼女を、罪に問うことはしたくない。


「お姉さま……!」


 頭上に浮かぶ満月と同じくらい丸い瞳を潤ませて、マリアは感極まったように手を握る。


「やっぱり、お姉さまは聡明で慈悲深い方ですわ! この御恩は一生忘れません」


 特に恩を着せたいわけではなかったけれど、純粋に感謝を伝えてくれる彼女に私も微笑みかけた。


「あら、大げさね。でも、貴女がお友達になってくれるなら心強いわ」


「まあ……!」


 先を進みながら、ふと木の枝から垂れた蔦が目に留まる。

 何も考えずに避けようとすると、一瞬早くナイフの軌跡が蔦を両断した。


「え」


 見ると、私が蔦だと思っていたものは蛇だったようで、切断された体がぴくぴくと蠢き、開いた口の中から鋭い牙が覗いている。


 もしかすると、毒蛇なのかもしれない。

 ごくりと喉が鳴る。


「ええと……ずっと聞きたいと思っていたんだけれど……」


「はい?」


 何事もなかったかのように、にこりと微笑んでいるマリアには小動物のような愛らしさがあった。


「貴女はその……どこかで刃物の扱いを学ばれたのかしら……?」


 礼拝堂での立ち回りは、明らかに常人ではなかった。

 ナイフの扱いはもちろん、身のこなしや咄嗟の判断などはそう簡単に身に付くものではないはず。


「教会に保護されるまでの間、あまり素行のよろしくない連中と一緒にいた時期がありまして……基本的なことはそのときに覚えましたの」


 幼い子供が生きていくには、後ろ暗いことにも手を染めなくてはならない。

 マリアの言葉はそんな過去を匂わせる。


「それだけで、今もあんな動きが?」


 フランシスとも渡り合っていた姿を思い浮かべていると、鈴を転がすような笑い声に引き戻された。


「そこから先は教会で習いました。面白いですわよね、接近戦や暗器の使い方を教えてくれる司祭なんて……あ、今は出世して大司教だとか」


「………………」


 今、この国にいる大司教はたったひとりしかいない。

 つい最近も昼食を共にしたばかりの、人好きのする笑顔が脳裏を過った。


(マリアが教え子ということは、モリス様はもっとお強いということじゃ……?)


「お姉さま?」


「ご、ごめんなさい。ちょっと衝撃が大きくて……教えてくれてありがとう」


 今はこれ以上考えるべきではないと判断して、なんとか気持ちを切り替える。

 鬱蒼とした林を抜けると、先ほどまでは聞こえなかった川の水音が近づいてきた。


「あの明かり……水車小屋ですわ」


 なだらかな斜面下って川沿いに進んた私たちの前方に、明かりの灯った水車小屋が見えた。

 茂みの陰から様子をうかがうと、中で人影が揺らめくのがわかる。


(誰かいるのは間違いなさそうね。フランシスは大公を見つけ出せたかしら……)


 ふと、自らの頬に触れる。

 離宮を出る前、フランシスから『おまじない』だと言って頬にキスをされた。

 そんな冗談を言う人ではないはずなのに、余程私が心配だったのかもしれない。


(もしくは、私の緊張を解すために気を利かせてくれたのかしら)


 正直なところ、またあの襲撃者と顔を合わせることには恐怖を感じる。

 けれど、私の婚約を滅茶苦茶にした責任は取ってもらわなくては。


「お姉さま、行きましょう。わたくしが絶対にお守りしますわ」


 決意を宿した紫の瞳を見返して、私も頷く。

 足早に水車小屋へ向かいながら、なぜか収穫祭で出会った狼の仮装をした少年のことを思い出す。


 ロイドでないとするなら、あれは一体誰だったのだろう。


(全て終わったら、もう一度お兄様に聞いてみよう)


 木製の扉の前に立って、マリアが控えめに戸を叩く。


 やがて、ゆっくりと扉が開かれた――。


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