第15話 仮面舞踏会(5) -元婚約者の事情-
古ぼけたローブの奥から、隠されていた顔が露わになる。
乱れた金髪に目元に浮かぶ隈。
数週間前までの、いつも身なりに気を遣っていた彼からは想像もつかない姿だった。
「その矢は精霊除けの呪いがしてある。掠っただけでも、しばらくは精霊を呼べないはずだ」
フランシスへ向けられた視線を辿れば、濃紺の上着の左腕部分が破けていた。
南部の豊かな森を領地に持つウォーレンハイム家では、幼い頃から狩猟に必要な弓矢の扱いを叩きこまれて育つ。
マリアに気を取られていたとはいえ、フランシスの腕に傷を与えることができたのは間違いなく、その腕前の証左だった。
「…………」
フランシスはマリアとロイドの両方へ注意を向けたまま何も答えない。
ただ、先ほどまでの肌寒さが嘘のように、室内の温度が元に戻っていく。
「謹慎中のはずだがどうやってここまで来た、ロイド・ウォーレンハイム」
ようやく発された言葉に、ロイドはふんと鼻を鳴らした。
「僕はウォーレンハイム家の長男だぞ。手を貸してくれる使用人くらいいる。それに、馬があればここまで来ることくらい、なんてことはないさ」
「では、ここに来た目的は?」
「ああ、それが一番重要だな。一言で言えば、マリアの家族が無事に解放されるのを見届けるためだ」
その瞬間、私の肩を抱くようにしてナイフを手にしていたマリアの身体が強張る。
「なっ!? どうしてロイド様が人質のことをご存じなの? わたくし、誰にも漏らした覚えは……」
「グレイ男爵邸へ招かれたとき、早く着いたから屋敷を見学させてもらった。そのとき、君の部屋にあった手紙を見たんだ。……『男爵と弟君を誘拐した。返してほしければ言う通りにしろ』だなんて、さすがに古風過ぎて驚いたな」
さらりと言われて私とマリアは青ざめる。
(それってつまり、勝手にマリアの部屋に入って、手紙を盗み見たってこと……!?)
「さ、さすがにちょっと引きましてよ、ロイド様……」
「私もそれは……どうかと……」
「お姉さま、やっぱりこんなのと別れて正解ですわ!」
「う、うーん……でも、慎重だと捉えれば長所かもしれないし……?」
「もうっ、ああいうのを増長させたらダメですわ! 目を覚ましてっ! あと、あの銀髪唐変木もダメです!」
こそこそと耳打ちし合う私たちに対して、黙ったままのフランシスとは反対にロイドは盛大に溜息を吐いて見せた。
「婚約者のいる僕に言い寄って来る女なんて、警戒するに決まってるだろ。現にそれが当たっていたんだから、非難される謂われはないな」
全く悪びれる素振りのない態度に、何を言っても無駄だと私たちは肩を落とした。
(ただ、ロイドの言い分も一理あるわ。……でも、そうなると、あの婚約破棄はマリアのためにした演技だったってこと?)
私の視線に気づいたのか、ロイドは一瞬目を伏せた。
「悪いな、リリーナ。グレイ男爵たちを助けるために、マリアに騙されているフリをするしかなかったんだ。……じゃなかったら、あんな場所で婚約破棄だなんてするわけがない」
「ロイド……」
「本当に、すまなかった」
ずっと胸の奥にあった錘が、徐々に軽くなっていくような心地がした。
彼は私に恥をかかせようとして、あの場で婚約破棄を宣言したわけじゃなかった。
マリアが脅されていることを知って、それを救うために敢えてとった行動。
(あの晩、ロイドと私の婚約を破棄させることがベレフの指示だったのなら、きっとベレフ自身も夜会に忍び込んでいて、あの場を監視していたに違いない)
今思えば、あのときのロイドはいつにも増して辺りの様子を気にしていたし、わざと人目を引くように演技していたのだろう。
「そういう、ことだったの……」
まだ完全には飲み込めないけれど、彼に疑われたわけではなかった。
それがわかっただけで、彼が現れてから強張っていた身体の緊張が抜けていく。
よかった、と呟きかけたとき――。
「……それが、なんだ」
聞いたことのない低い呟きが、その場に零れ落ちた。
見ると、フランシスの氷のような双眸の奥に、雪嵐の如き怒りが吹き荒んでる。
「そんな理由でリリーナを傷つけたのか、お前は」
静かな声に含まれる怒気が、その場にいる全員へ見えない圧をかけていく。
「男爵が誘拐された事実を知りながら通報を怠り、勝手な芝居でリリーナを傷つけた……婚約者でありながら彼女を傷つけるなど……」
ゆっくりと銀色の影が揺らめいたかと思うと、弓矢を番えたロイドに向かって一気に距離を詰める。
「くっ、正気か!?」
矢を放てば間違いなく射止められるにも関わらず、正面から臆することなく迫るフランシスに、ロイドは動揺していた。
それでもなんとか放った矢は、フランシスの肩章を引き裂く。
しかし、その速度を緩めることはできない。
間合いに入られてしまったロイドは弓が使えなくなる。
「やめて、フランシス!」
彼がロイドへ切りかかろうとしたとき、躍り出たマリアがナイフで重い一撃を受け止めた。
「……っ!」
ギン、と剣とナイフがぶつかる音と共にマリアは弾き返され、すぐに身を翻してロイドを庇うように立ち上がった。
「す、すまないマリア。君はその……見かけによらず、強いんだな?」
私と全く同じ感想を口にしたロイドへ向かって、マリアは呆れたような一瞥を送った。
勝手に手紙を読んだことは受け入れられないけれど、彼なりに協力してくれていたことがわかり、マリアとしても見捨てられなくなったのかもしれない。
フランシスもマリアが間に入ったことで、攻撃の手を止めている。
「や、やめて! 今はそんなことで争ってる場合じゃないわっ!」
私たちがここへ来た目的は、大公に婚約を認めてもらうため。
しかし、今回の騒動を引き起こしたベレフも近くにいるらしい。
それなら――。
私は新しく婚約者となる彼へ駆け寄る。
「フランシス、ベレフを捕まえるなら今だわ。マリアとロイドとも協力して、人質も無事に解放しましょう!」
さり気なく剣を持つ手に触れると、私の意図が伝わったのか彼は僅かな逡巡の後、大人しく剣を収めてくれた。
「……マリア、今晩ここにベレフがいるのか」
剣を鞘に納めたことで、マリアも幾分か緊張が解けたようだった。
「ええ。わたくしがあるものを持っていけば、父とカイルを解放してくれるそうです」
「その“あるもの”とは、リリーナのことだな?」
マリアは無言で頷いた。
(やっぱり……だからマリアは私を連れて行こうとしたのね)
「だったら、私がマリアと一緒に行くわ」
そう言うと、フランシスが首を横に振る。
「何を言ってるんだ。そんな危険な目に遭わせられない……!」
再び語気を荒げた彼に、私は微笑む。
ロイドの件といい、この人は本当に私のことを心配してくれている。
(革新派と保守派をまとめるための政略的な婚約だとしても、彼が婚約者でよかった)
「私は、貴方が守ってくれると信じているのだけど?」
「っ!」
そんなことを言われるとは思っていなかったのか、言葉に詰まった彼の様子が新鮮で少しだけ可愛く思えた。
『冷血公』とも呼ばれる彼は頭が回るうえ、簡単には感情を読み取らせない。
けれど、一緒にいる時間を積み重ねてみれば、確かに感情の揺らぎを感じる。
「マリアもロイドもいるんだもの。私たちでベレフを捕まえて男爵たちを解放しましょう。ふたりの罪を問うなら、全てが終わった後でもいいでしょう?」
黒い仮面の奥にある青い瞳を見つめる。
戸惑うように揺れたそれが答えを出すのに、そう時間はかからなかった。
「……わかった。君の言う通りにしよう、リリーナ」




