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第14話 仮面舞踏会(4) -彼女の事情-

 僅かに触れただけなのに長い黒髪が幾筋か零れ落ち、白い首筋にはじわりと赤い線が浮かび上がる。


「フランシス!!」


 マリアの背後に揺らめく銀色の影を認めて、彼の名を叫ぶ。


「……裏から回り込みましたのね。しっかり施錠しておいたのに、相変わらず野蛮な方」


 よく見ると、礼拝堂には私が入ってきた入口とは別に、最奥の女神像の脇にも扉があった。


「リリーナ、すまないが少し離れてくれ」


「わ、わかったわ!」


 言われるまま、椅子の間をふらつきながら壁際へと避難する。

 私が離れたことを確認して、フランシスは薄い唇を開いた。


「あんなもの、最初から壊されると分かっていただろう。ベレフと違って、お前は俺が契約者だと知っているはずだ」


「……本当に嫌な男」


 背後から剣を向けられたまま、マリアは落ち着き払って前方を見据えている。

 その瞳に浮かぶのは、後ろに佇むフランシスへ向けられた憎悪にも感じられた。


(このふたり、まさか知り合いなの……!?)


 状況がわからずに固唾を飲んで見守っていると、マリアは横目で私を見てふわりと笑う。


「僭越ではありますが、ロイド様はリリーナ様にふさわしくありません。ですから、人違いだったことも、婚約破棄も、あまりお気になさらず……。それより、問題はこちらですわ。ロイド様より、もっとふさわしくない男……」


 溜息交じりの言葉が終わらぬうちに、流れるような動作で素早くその場に伏せたマリアは、背後に強烈な足払いを仕掛ける。

「っ!?」


 その動きはまるで、然るべき場所で訓練を積んだそれだった。

 ドレスを着た男爵令嬢と暗殺者のような動きが結びつかず、唖然として言葉を失う。


 しかし、フランシスはそれ以上に素早く後退し、改めて剣を突き付けた。

 ようやく正面から向き合ったふたりの間には、殺伐とした緊張感が走る。


「女性の背後を取るなんて、恥ずかしくはないのですか? キシンガム侯爵」


 マリアはドレスの下から、小柄な身体には似つかわしくない大ぶりのナイフを取り出して、微笑んだまま牽制するように構えた。


「意外だな。私に女性として扱って欲しかったのか。次があれば留意しよう」


 目に見えない火花を散らすふたり。

 さすがに、ここで大きな騒ぎを起こすのはまずい。

 一触即発という状態を宥めようと、私は恐るおそる口を開いた。


「あの、ふたりはお知り合い……?」


「昔、同じ教会にいたことがある」


 それを聞いて幼馴染という単語が頭を過るけれど、火に油を注ぎそうな気もして口を噤む。


(フランシスが教会で過ごした時期があるのは知っているけれど、マリアも教会に?)


 彼女はグレイ男爵の長女で、年の離れた弟もいる。

 男爵令嬢が教会に預けられることなどあるのだろうか。


「リリーナ様はわたくしにお尋ねになったのよ。唐変木は黙っていなさいな」


 そういうつもりではなかったものの、余計な刺激をしないように黙ってマリアの言葉を待ってみる。


「わたくし、身重の母と一緒に父に捨てられたのです。父としては身分の低い母とは遊びだったのでしょう」


「な……なんですって?」


 いきなり聞かされたグレイ男爵家の混み入った話に呆気にとられる。


「母が流行り病で亡くなり、路頭に迷った私は教会に引き取られました。この唐変木と出会ったのはその頃です」


 マリアが語る間もフランシスは黙ったまま警戒を緩めない。


「……その後、今の夫人との間に子供ができなかった父は、渋々私を引き取ることにました。まあ、ほどなくして弟が産まれましたけど……さすがに二度も我が子を捨てるようなマネはできなかったようですわ」


 目線はフランシスから外すことなく、マリアは他人事のように言ってのけた。


(グレイ男爵がそんなことを……)


 これまでマリアは男爵の命令で動いていると考えていた。

 けれど、そんな仕打ちをした父親に彼女が従うだろうか。


(大人しそうなマリアなら……とも思っていたけれど、見た目通りの性格じゃなさそうね。父親との仲も良好とは言い難いようだし、簡単に従ったりしないはず)


 私は立ち上がると、改めてマリアに向かって歩み寄る。


 こうして近づいても、マリアは私へは殺気を向けない。

 それだけ脅威だと思われていない証拠かもしれないけれど、私自身へ危害を加える気はなさそうにも思えた。


「マリア、どうか教えて。貴女はもしかして……グレイ男爵を人質に取られているの?」


 問いかけに、マリアは元よりフランシスも微動だにしなかった。

 彼自身もその可能性があることをわかっているのだろう。


「私たちは最初、男爵がベレフと結託していると思っていたわ。あなたも男爵の指示で動いていると。……でも、貴女はそんな馬鹿なことをするようには見えない。もし、男爵が誘拐されていて、解放するためにベレフの指示でロイドに近づいたのなら、正直に話してほしいの」


 そうでなければ、マリアも男爵も国家反逆罪に問われかねない状況だ。国に対する背信行為は極刑に値する。

 しかし、もしも彼女が止むに止まれぬ事情で協力させられているというなら、話は変わってくる。


 薄緑色のドレスを身に纏った小柄な少女は微かに眉をひそめた。


「……わたくし、あんな人はどうなってもいいのです。ただ、グレイ男爵夫人は血の繋がらないわたくしにも良くしてくれて……彼女を悲しませるようなことはしたくありませんの。それに……残念ながら、誘拐されたのは父だけではありません」


 感情の色の薄い平坦な声が僅かに揺らいではっとする。


「まさか、弟君も……?」


 黙ったマリアは悔し気に小さな唇を噛みしめていた。何かを振り切るように首を振る。


「全部、目先の欲に駆られたあの男が悪いのです。アンブローシアの密偵と渡り合えるはずもないのにまんまと騙されて、まだ幼いカイルまで危険に晒すなんて……。国を敵に回してタダで済むとは、わたくしだって思っていません。ですが、継母とカイルのため……選べる道は限りなく少ないのです」


「マリア……」


 彼女を取り巻く状況に胸が痛んだ。

 けれど、彼女自身が計画に前向きではないことは朗報だった。


(ここまで話してくれたのなら、まだ説得の余地があるわ)


 彼女と協力してベレフを倒し、人質を解放できれば、ロイドとの婚約破棄に端を発した一連の陰謀に止めを刺すことができる。

 機会を逃すまいと、一歩踏み込んだそのとき――。


「リリーナ!!」


 フランシスの警告を理解するよりも早く、まるでそよ風のように軽やかに距離を詰めたマリアが、間合いに入った私へ抱き付いてくる。

 そして、抵抗する間もなくナイフの輝きが目に映る。


「絶対に危害は加えません。ですから、大人しく一緒に来てくださいませ」


 マリアの体躯からすると大ぶりに見えるナイフを、彼女は木の葉でも扱うようにくるりと回して見せた。


「一緒にって……まさか、この近くにベレフがいるの?」


 彼がまだ私を狙っているなら、マリアに私の身柄を抑えるよう命じていてもおかしくない。

 思わず尋ねた瞬間、視界の端――フランシスの背後にある祭壇で何かが光った。

 空気を割くような音と共に一本の弓矢が放たれる。


「危ないっ!」


「っ……!」


 私の叫びによって、ギリギリのところで身体を捻ったフランシスは、そのまま反撃とばかりに祭壇に向けて氷の矢を飛ばした。


「誰だ!?」


 氷の矢が突き刺さった祭壇は衝撃で崩れ、中からボロボロのローブを被った人影が現れる。


「っ!」


 既視感のある背格好に、一目でそれが誰なのか分かってしまう。

 夜会の夜からずっと、会いたい気持ちと会うことへの恐怖とが入り乱れていて、今でも自分の気持ちが分からない。


 けれど、いつかはこうして会う日が来るだろうと覚悟していた相手。

 困惑する胸を抑えて、私はその名を口にする。


「ロイド……」


 元婚約者であるロイド・ウォーレンハイムは、少しやつれた姿でそこに立っていた。


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