人間に 2
鬱蒼と茂る森の真ん中に深い青が煌めく。
ここは、翠子がこの世界で最初に落ちた湖。ヤトとはじめて出会った場所だった。
なす術もなく湖にダイブしたあの時とは違い、湖畔に翠子は静かに着地する。
――――自分が人間に戻るのは、この場所だと翠子は決めていた。
キョロキョロと周囲を見渡し、他の生き物の姿が見えないことを確認して、持ってきた布をそっと手近な木にかける。
(このくらい低い枝なら、人間になった時に手が届くかしら?)
巨大な竜の感覚では、その辺の加減が難しいと思う。
もう一度辺りを見回して…………そして、翠子は覚悟を決めた。
(ここなら、人は来ないし、人間になった後で湖の水に姿を映して確認できるし――――、うん、大丈夫。)
小さく頷くと、祈るように頭を低く垂れた。
人間になりたいと……以前の地球にいた時の自分の姿に戻りたいと、一心に願う。
キラキラとした光が溢れ出して――――、やがて、黒い竜の体は、その光に呑まれた。
輝く大きな光球がゆっくりと回る。
竜の輪郭が光に溶けて――――そして、徐々に徐々に……小さくなっていった。
生い茂る樹木より大きかった光が、樹木と同じくらいになる。
なおも小さくなる光球は、木々の下に潜り、象ほどの大きさから馬ほどに縮まっていく。
ギュッと凝縮されていくほどに、強くなるように感じる光。
眩しいかたまりは……ついには、小柄な人ほどの大きさになった。
目の眩むような光球の中心に白い影が浮かぶ。
仄かに浮かぶ輪郭は……人の形をしていた。
小さな頭、細い手足――――柔らかな輪郭のパステル画のような、ぼやけた人物象。
光が、ゆっくりとその人物に吸い込まれていく。
輝きが収まり、消え行くにしたがい……人物の輪郭は、はっきりとしていった。
色彩が浮かび上がる!
黒い髪に象牙色の肌。色の薄かったその肌が、ほんのりピンクに染まっていく。
あまり大きくはないものの、ピンと張った形の良い胸と、ほっそりとした腰にしなやかな手足。
腹部とお尻が柔らかな丸みをおびていた。
それは、10代と見られる少女だった。
裸の体に消え行く光を纏った少女。
完全に光が消えると同時に、少女は目を開く。――――それは、夜空のような黒色だった。
空に浮いていた少女のつま先が、トンと地面に着く。
少女――――翠子は、そのままその場に両膝を着き、ペタンと座り込んだ。
「ハァ、ハァ、ハァ…………」
荒い息を吐きながら、翠子は両手を開いて自分の目の前にかざす。
五本の指を確かめるかのように、握って開いた。
「ハァッ……私の手だわ。人間の手――――」
そのままその手でペタペタと自分の顔を触り、次いで首から肩、胸へと手を滑らせる。
目で見る形も手で触れる感触も、それは界を渡る前の自分の――――人間の少女のものだ。
「あっ……あ、やったわ!私……人間に、戻った。」
体が、ジンと痺れるように震えた。
ジワジワと、感動が心に満ちてくる。
その時――――
「アキ!」
聞こえるはずのない声が聞こえた!
「――――えっ?」
慌ててそちらを振り向く。
一際大きな木の影から、一人の男が走り出してきた。
遠目でも一目でわかる背の高い鍛えられた体つき。長い手足に俊敏な身のこなし。
「え、え、えぇっ?……ヤトっ!」
それは、間違いなくヤトだった。
「なんでっ、なんで、ヤトがここにいるの!?」
どうしても外せない用があるからと、数日前に谷間の村を出たヤト。
そう言えば、谷間の村からこの湖までは、数日の距離だったなと翠子は思い出した。
「アキっ!」
自分の名を呼び、真っ直ぐに走ってくるヤト。
今更ながらに、翠子は自分が素っ裸だということに気がついた。
「キャアァァァッ!!……来ないで!こっちに、来ないでヤト!」
叫びその場にうずくまる翠子。パニックを起こした頭では、竜に戻れば良いのだという簡単なことにすら思い至れない。当然、枝に引っかけた布を取りに行くような動きもできなかった。
できるだけ体を小さくして地面に伏せる翠子の耳が、近づくヤトの足音を拾う。
直ぐ側に来たと思ったら……背中から暖かく大きな体に抱き込まれた。
「アキ、アキ、アキ!」
痛いほどの強さで、抱きしめられる。
「ヤ、ヤト……」
「アキ――――本当にアキなんだなっ!ああっ、夢じゃないっ!」
体が持ち上げられ、フワッと浮くとあっという間にひっくり返され、今度は正面からヤトの胸にギュッと抱き締められた。腕も動かせないほどに抱え込まれるから、胸も……アソコも隠せない。
ヤトにピッタリとくっついているおかげで正面は見えないものの、背中やお尻は丸見えのはずだった。
頭が沸騰して爆発するんじゃないかと思う程に、恥ずかしい。
「ヤト――――」
「アキ。……ずっとこうしたかった。」
耳に囁かれる感極まった声。熱い吐息が耳朶にかかり、翠子は泣きたくなる。
自分もだと思う。
自分だって、ずっとヤトに抱き締めて欲しかった。
(でも、この格好は恥ずかし過ぎるでしょう!)
なんとか腕だけでも動かしたいとジタバタするのに、逞しいヤトの手はそんな動きすら許してくれない。
「ヤト、ヤト、お願いっ、ぬ、布――――」
頼むから、体を離して、布を取って欲しいと頼みたい。
だがヤトは、そんな翠子の言葉を途中で悲鳴に変えさせた。
なんと、ヤトは翠子の両肩を掴み、自分の体から彼女をベリッと引きはがしたのだ。
腕の長さの分だけ離れたヤトの目の前に、翠子の裸体が晒される。
「キ、キャァァァァァァァァッツ!!」
「あぁ、アキ……キレイだ。」
慌てて両手で胸を隠し、体を丸めた翠子だったが、その前に全てをヤトに見られたことは間違いないだろう。……しかも、ヤトの両手はまだしっかりと彼女の肩を掴んでいるため、翠子は完全にはうずくまれないでいた。
つまり、胸から下は、微妙に隠せていないということだ。
「……本当に、俺達と同じ人間なのだな。」
ヤトがゴクリと唾を呑みこむ音がした。
「ヤ、ヤト――――」
震えながら翠子は声を出す。そのまま真っ赤な顔を上げた。
羞恥から涙目になってしまう翠子。潤んだ黒い瞳が、ヤトを見上げた。
ヤトの顔も赤くなる。
「――――――――ヤ、ヤ、……ヤトの、エッチィィっっっ!!」
叫んだ翠子の右足が、動く。
裸足の足と白い太もも……そしてその上の部分に、ヤトの視線が吸い付けられる。
思いっきり振りきった翠子のキックが、ヤトの股間にキレイに決まったのは、天罰と言うしかないだろうと思われた。




