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界渡りの物語  作者: 九重


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107/111

人間に 1

「あっ、アキ、どこへ行くんだ?」


夜明け前の冷えた空気に、少し低めの少年の声が響く。


「シッ!静かに。みんなまだ眠っているでしょ。起こしちゃ悪いわ。」


翠子の言葉に、少年――――いや、もはや青年と言ってもよいほどに背が伸びて、大人びてきたキサは、慌てて周囲を窺う。


黎明の光がようやく空を染めはじめた時刻。谷間の村はシンと静かに眠っている。

翠子は黒い大きな翼を広げた。


ここは、人間世界の谷間の村。

あの後、粘りに粘ってロウド達の許可をもらった翠子とヤトは、無事谷間の村に戻ってきていた。



とはいえ、翠子はまだ竜のままだ。

竜の姿でこの村を飛び去った翠子。その行方をキサや村の人々が気にかけていたと聞いた翠子は、とりあえず竜の姿でみんなの元に戻り、安心させようと考えたのだ。


(それに、なんていうか……元の人間の姿をヤトに見せるのは、まだちょっと恥ずかしいっていうか……怖い、みたいな?)


自慢じゃないが翠子は、どこにでもいるような平々凡々な15歳の女子中学生だった。

あれから3年近く経っているから、本当なら花も恥じらう18歳の女子高生?になっているはずなのだが……あのまま成長した自分が、ポンッ!キュッ!ポンッ!なウルトラ美人に成長しているなんて思うほど、楽天的な性格を翠子はしていない。


(ヤトは、イケメンだもの。……私の人間の姿を見られて、ヤトががっかりしたら立ち直れない。……だから人間に戻る時は、一人でこっそりと!そして多少なりとも身なりを整えてから、ヤトに見せたいわ。)


翠子は、そう決意していた。

――――健気な乙女心である。




そんなこととは露知らず、当然翠子が人間になれるなんて夢にも思わないキサ。――――周囲を見回した少年は、自分の声が誰も起こさなかったことを確認してから、竜の巨体を見上げた。


「大丈夫だよ。こんな早い時間に起きだす奴なんかいない。」


「キサは……また早朝鍛錬?」


翠子に聞かれて、キサは頬をうっすらと赤く染めた。

動きやすい服装に、手に持った長い木刀。――――答えはなくとも、キサの目的は一目瞭然だ。


「熱心ね。そんなにヤトを守る騎士になりたいの?」


「当たり前だろっ!……俺は陛下の剣になるんだ!」


少年らしい憧れに瞳をキラキラ光らせながら、キサは自分の夢を語る。


自国の無謀な戦を止めるため、自分の父王を陥れ玉座を奪った前王を討ったヤト。そのヤトを支持し一緒に戦った者達の中心は、この村の住民だった。

元騎士団長だった村の長老――――翠子がキサと一緒に救った老人は、今では王城で復活した騎士団の指南役になっているのだという。

本当はこの谷間の村も全て引き払い、王都でそれなりの暮らしを保証するとヤトは申し出たのだそうだ。

しかし、一部の住民はこのままここで暮らしていくことを望んだ。

以前、翠子が立ち去る時に、悪意のあるものがこの村に出入りできない結界を張ったおかげで、谷間の村は、格段に安全で暮らしやすくなっている。王都の賑やかで、でも気忙しい暮らしよりも、のんびりとした村の暮らしを好む者も多かった。


……キサの母親もそんな住民の一人だった。


「ここには、弟の墓もあるからな。」


静かに笑うキサ。


そんなキサだが、彼の夢はヤトの元で騎士になることだった。母と離れ離れになることは寂しいけれど、いずれは独り立ちするのだと、毎朝鍛錬を積み、体を鍛えている。

今度ヤトが帰ってきた時は、王都に連れて行って欲しいと頼むつもりなのだと、翠子にこっそり教えてくれた。




……そう、今ヤトはこの村にいなかった。


翠子と一緒にこの村に来たヤトは、数日前にどうしても外せない用件があるからと、一人で村を出て行ったのだ。

戻って来たら、一緒に王城に行こうと言われている。


もちろん、その時は人間の姿でと。


――突然俺が“花嫁”を連れ帰ったら、全員びっくりするだろうな――と、笑ったヤトのどこか艶めいた表情に、翠子の心臓はバクバクと鳴った。


(もうっ!もうっ!……急に“花嫁”とか言い出してっ!ヤトったら。)


思い出して、翠子はうろたえる。




「――――それで、アキはどこに行こうとしていたんだ?」


「へっ?」


一人であたふたしていた翠子は、キサに聞かれてハッとなった。

そう言えば、そもそもそんな質問をされたのだったなと思い出す。


「ちょっ、ちょっと散歩よ。……えっと、夕方までには戻るわ。……多分。」


そうか?とキサは首を傾げる。キサの視線の先には、翠子の鋭い爪の先に引っかかっている布があった。視線でそれは?と聞かれた翠子は、慌てて口を開く。


「た、ただの布よ。……あの、散歩に行った先で、何か珍しいモノでもあったら、包んで持ってこようと思って……キサのお母さんに用意してもらったの。」


スッと翠子はその布をキサの視線の先から隠すように背後に回した。

――――実は、これは翠子が人間の体になった時に、体に纏う服代わりの布だった。


そう、翠子は……今日ヤトが留守の間に、他人のいない場所まで飛んで行って、そこで人間になってみようと思っているのであった。


その時に、いくら誰もいなくても素っ裸は恥ずかしいからと、布を用意したのだ。

本当は服が欲しかったのだが、竜の身で何に使うのか?と聞かれそうで、そう言い出せなかった翠子である。


(とりあえず今日はこれで過ごして、人間になった時のサイズとかを確かめて、後はヤトに用意してもらうしかないわよね。)


自分の体のサイズを好きな男の人に伝えるなんて、どんな拷問かと思うけれど、仕方ないかと諦める。竜になってからは食事の必要がなかったために、そんなに気をつけていなかったから、あまり太っていませんようにと祈る翠子であった。


翠子の説明を聞いたキサは「ああ。」と頷く。


「そう言えば、昨日母さんが、竜様に頼まれたとか言って、大きな布を探していたっけな。……できるだけ可愛い模様がイイって、言ったんだって?アキもやっぱり女の子だったんだな。」


ニヤリとキサは笑う。

やんちゃで可愛かった男の子の生意気そうな笑みに、翠子は口をパクパクさせた。


じゃあなと、手を上げて去っていくキサ。



(……キサのくせに!)



男の子のあっという間の成長に、複雑な思いを抱く翠子だった。


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