episode.07「だいきらいなせんぱい」
本作は単体でもお読みいただけますが、全3部作の第2作目となります。
1作目となる『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』の世界観を知ってから触れていただくと、より深く楽しんでいただけるはずです。
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翌朝登校すると、校内はどこか落ち着かない、肌を刺すような異様な雰囲気に包まれていた。
教室に入り、自分の席に座ってもざわめきは収まらない。あちこちで昨日の放課後の噂が囁かれ、誰もがスマホの画面や窓の外を気にかけて落ち着きがない。
そんな中、つみきとゆうちゃんが顔を真っ青にさせて、わたしの席へと駆け寄ってきた。
「ねえ、あいか聞いた……? 吹奏楽部のれい先輩、昨日の夜から家に帰ってなくて、行方不明なんだって……」
つみきの切迫した声に、わたしの心臓がドクリと激しく跳ね上がった。
「え……? 氷雨先輩が……行方不明……?」
「うん。警察もすでに動き出してるらしくて、今朝も職員室の前で先生たちがすごく慌ててたよ。部活のグループラインもみんなパニックになってるの」
ゆうちゃんの言葉を聞きながら、わたしの脳裏にとある情景が鮮明にフラッシュバックする。
夕暮れ時の港。冷たい潮風。波の音。そして、暗い海面へ沈んでいった人影——。
(あ……)
頭の奥で、自分が先輩を突き落としたという残酷な映像が一瞬だけ鋭くよぎった。
——けれど、その直後。頭の中でカチリと音がして、霧が晴れるようにその映像がスッと消えていく。
(ううん、違う。昨日の放課後、わたしはたしか神谷みそら先生に楽譜の質問をして、それからすぐに一人で帰ったはず。……そうだよね? わたし、ずっと教室にいたんだよね……?)
自分の記憶の輪郭が曖昧に溶けていくような、得体の知れない強いめまいを覚えた。
◇
その日の放課後、すべての部活動の停止が言い渡された。
音楽室に集められた部員たちを前に、顧問の神谷みそら先生が、いつもの威厳ある姿からは想像もつかないほど青ざめた悲痛な面持ちで口を開いた。
「昨日の下校以降、氷雨さんの足取りがどうしても分かっていません。警察による捜索も始まっています。どんなに小さなことでも構いません。昨日最後に氷雨さんを見かけた人や、何か心当たりのある人がいたら、遠慮なく私か警察に教えてください」
部員たちの間に、鉛のように重い不安と動揺が広がっていく。誰もが息を潜め、隣の部員の顔をうかがっていた。
そんな中、副部長のきゆ先輩は、今にも決壊しそうな涙をこらえるように自身の唇を強く噛みしめ、全身を小刻みに震わせていた。その怯えた横顔が、やけにわたしの脳裏に焼き付いて離れなかった。
音楽室の重苦しい空気から逃れるように、わたしとつみき、ゆうちゃんの三人は、静まり返った通学路を並んで歩いた。
「氷雨先輩、一体どこに行っちゃったんだろう……。事件とか、事故にでも巻き込まれちゃったのかな……」
ゆうちゃんの震える声に、わたしは「そうだね……」と返すのが精一杯だった。声がかすれ、喉の奥がカラカラに乾いている。
胸の奥が、まるで冷たい氷を押し付けられたかのように嫌な冷や汗で湿っていく。
昨日、氷雨先輩に冷たく突き放され、悔しくて、悲しくて、怒りに狂って——(あんな嫌な先輩、いなくなればいいのに)と、心の中で泥のようにドス黒い願いを抱いてしまった。
(わたし……先輩なんて消えちゃえばいいって、本気で思っちゃった。でも、それが本当に現実になっちゃうなんて……)
自分が心の底で願ったせいで、先輩がこの世界から消えてしまったのではないかという、身の毛もよだつ罪悪感。
そしてそれ以上にわたしの背筋を凍らせていたのは、スクールバッグの横でゆらゆらと不気味に揺れている、小さなクマのぬいぐるみだった。
(……もしかして、みーたんがわたしのお願いを叶えて、先輩を消しちゃったの……? )
手の中で、みーたんはいつものように、変わらぬ無機質な可愛らしい顔でただ沈黙を守っていた。
ねえ、どうしてこんな時に何も言ってくれないの……? わたしをただ冷たく見つめているだけなんて。
◇
数日後、午前の授業が終わり、三人で机を寄せ合ってお昼を食べていたときのことだった。
「ねぇ、あいか。この間、駅の近くに新しくできたファミレス、知ってる? ゆうちゃんと学校が終わったら行こうと思ってたんだけど、あいかも一緒に行かない?」
沈黙に耐えかねたように、つみきが明るく話を振ってくれた。
一人で家に帰れば、あの頭に浮かんだ不気味な映像や、見えない恐怖と向き合うことになってしまう。現実逃避をしたい気持ちもあり、わたしは二人の誘いにすがるように頷いた。
夕方、ファミレスの明るい照明と、周囲のざわざわとした賑やかな生活音が、わたしを現実の安心感へと引き戻してくれるようだった。
「それにしても、れい先輩の失踪、本当にショックだよね……」
「完璧な感じの先輩だったのに……。何か学校に言えない悩みでもあったのかな」
とりとめもない憶測が飛び交う会話の中で、わたしはただ「早く無事に見つかるといいね」と相づちを打つのが精一杯だった。冷たいグラスの水滴が、テーブルに小さな輪を作っていく。
「ねえ、このパンケーキすごくない? めっちゃ美味しい!」
「こんな田舎町にも、こういうお洒落な専門店とかできればいいのにね」
話題はいつの間にか、スイーツの味や、次の定期テストの範囲といった、どこにでもある他愛のない女子高生の日常へと移行していった。気がつけばわたしは、さっきまでの身の毛もよだつ恐怖が嘘のように、ホッと安堵のため息をついていた。
しかし残酷にも、警察の大規模な捜索も決定的な手がかりを見出せないまま、一週間という時間が過ぎ去っていった。
学校も、いつまでも沈み込んでいるわけにはいかないと、表面上は「うわべだけの平穏」を取り戻そうと必死になっていた。
「あいかさん。ちょっと、今いいかな?」
平穏が戻りかけた放課後のホームルームが終わった直後、神谷みそら先生に声をかけられた。
「ほら、来月には市のコンクールも控えているでしょ? 氷雨さんの件は本当に心配だし、学校としても心を痛めているけれど……コンクール自体は、なんとか辞退しないでこのままのメンバーで出場する方向でいきたいの。部活も明日から再開するから、みんなを引っ張ってあげてね」
先生の言葉に、安堵と同時に重く冷たいプレッシャーを感じながら、わたしは教室をあとにした。
◇
翌日、部活動が再開され、音楽室に部員たちが再び集まった。
集まったみんなは、ここ最近の暗い空気を払拭しようと必死に笑顔を作り、懸命に平静を装っていた。
そんな中、副部長であるきゆ先輩の様子だけは、どう見ても正気とは思えないほど異様だった。
かつて音楽室に響いていた、あの美しく伸びやかなフルートの音色はすっかり鳴りを潜め、今の彼女の演奏は聴く者の背筋を凍らせるほどに不安定で、刺々しいものになっていた。
練習の合間も、きゆ先輩はうつろな目で自分の楽器を磨き続け、常に何かに怯えるように周囲を警戒している。
時折、きゆ先輩の視線が、わたしの座っている席へとジトっと向けられた。
拒絶と恐怖の入り混じった鋭い視線。何かを言いたそうに、青白い唇をかすかに震わせている。けれど、その目に宿っているのは単なる怯えだけでなく、わたしに対する得体の知れない「確信」のようなものだった。
——彼女は、何かを知ってしまったのだろうか。
わたしを見つめるその怯えた眼差しを見ていると、胸の奥でふつふつと、あの時と同じ冷たい狂気が再び目覚めかけてしまう。
声をかけたくても、怖くてわたしから声をかけることなど到底できなかった。
放課後の音楽室には、再び誰も口に出せない重苦しい不穏の空気が、じっとりと澱み始めていた。
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