↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
海冥の檻〜偶像(かみさま)の言う通り~  作者: 空気人形


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
14/18

File.Final「揺れる思い」

本作は単体でもお読みいただけますが、全3部作の第2作目となります。

1作目となる『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』の世界観を知ってから触れていただくと、より深く楽しんでいただけるはずです。


▼『群青の嘘』はこちらから

https://ncode.syosetu.com/n5968mp/

あいかがいなくなってから、すでに一年という月日が過ぎ去っていた。


季節は巡り、あの血に染まった夏から冷たい秋が訪れ、すべてを凍てつかせた冬を越え、再び命が芽吹くはずの夏が巡ってきたというのに、この家の中だけはまるで季節の針が狂ったように、あの日のままで凍りついていた。


夕暮れ時。茜色と不気味な紫のグラデーションが混ざり合う『逢魔が時』の空が、波須町の街並みを静かに、そして残酷に染め上げていく。

その黄昏の光が差し込むあの子の部屋には、もはや生き物の気配など微塵もなく、ただ冷たい静寂だけが重く満ちていた。

外から聞こえる蝉の鳴き声さえも、この部屋の前ではまるで遠慮するように、どこか遠くの出来事のように感じられた。


「あいか……寒くない? 今日は一段と風が強いわね。風邪をひいていない?」


叶芽ほむらは、誰もいないはずの子ども部屋のドアを、まるで怯えた小動物をなだめるようにそっと、慎重に開けた。

軋むことのない高級な蝶番が、音もなく開いていく。


そこにあるのは、本人がいないとは思えないほどきれいに整理整頓されたままの勉強机。教科書やノートはピタリと揃えられ、その一角には、上品に微笑むツインテールの少女——あの日から変わらない、愛しいあいかの写真フレームが飾られている。

埃ひとつないその机の上は、いつあいかが帰ってきてもいいようにと、母の手によって毎日磨き上げられていた。


あの日から、この部屋の時計の針はピタリと止まったままだった。


ほむらはスリッパの音を立てないように静かに歩を進め、ポツンと置かれた勉強机の前にある椅子に、まるでそこに娘が座っているかのように自然に腰掛けた。

木製の背もたれには、かすかにあの子のシャンプーの香りが残っているような気がして、ほむらはそっと目を閉じた。


生前のあいかは、本当に手のかからない、優しくて誇らしい娘だった。

幼い頃からおとなしく、自分の欲しいものさえ我慢してしまうような気配り屋で、学校から帰ると、吹奏楽部の練習で真っ赤になった唇でフルートを懸命に吹き鳴らしていた。家の中でも「次のコンクールではソロパートに選ばれたんだよ、ママ聞いて」と、嬉しそうに、誇らしげに微笑んでみせてくれたものだ。


あんなに純粋で、音楽を愛し、友達を大切にしていたあの子が。

それがどうして、あんなことになってしまったのだろう。

部屋の隅に置かれたままのフルートケースを見るたびに、胸の奥が締め付けられるように痛む。


大切な友達や、慕っていた先輩たちが、一人また一人と原因不明の事故や事件で姿を消していき、精神的に追い詰められたあいかは、最後には自分の親友をも巻き込むような凄惨な事故を起こしてしまった。そして、すべてを壊して絶望したあの子自身も、その日から忽然といなくなった。警察の大規模な捜索にもかかわらず、遺体も、手掛かりすらも、未だに見つかっていない。


「みんな、向こうの世界であいかと仲良くしてくれているかしら……。あの子、人一倍寂しがり屋だから、お友達がたくさんいないと不安になっちゃうのよ」


ほむらは力なく、切なそうに、けれどどこか現実離れした穏やかな笑みをポツリと浮かべた。

窓の外で夕暮れの赤がさらに濃さを増し、部屋の中の家具の輪郭をドス黒く塗り替えていく。


あんなに優しくて、傷つきやすくて、誰よりも繊細だった自慢の娘。

なぜあの子があんな残酷な運命に翻弄されなければならなかったのか。

その本当の理由なんて、警察も学校も、そして母親であるほむらさえも、今に至るまで誰も理解できていない。

分かっているのは、愛する娘が二度と戻らないという冷徹な事実だけだった。


警察は言った。「彼女もまた、一連の事件の重圧に耐えかねて、自ら姿を消したのだろう」と。

学校の教師たちは同情の色を浮かべながらも、どこか厄介払いをしたような目でこの家を見つめていた。

誰も分かっていない。あいかの本当の優しさも、どれだけあの子が苦しんでいたかも、母親である私以外に誰が理解できただろうか。


ほむらは愛おしそうに目を細め、あいかの座っていた椅子の背もたれを撫で、ふと、机の脇にぽつんと立てかけられていたスクールバッグへと視線を落とした。

その古びた、あの子の形見とも言えるバッグにそっと手を伸ばす。布地は使い込まれて柔らかくなっており、そこに触れるだけで、まるで娘の肌に触れているような錯覚にとらわれた。


「あいか……ママね、今でもあなたのことが世界で一番大好きよ。ずっと、ずっと一緒だからね……」


誰に聞かせるわけでもない、祈りとも呪いともつかない呟きが、静まり返った部屋に溶けていく。

ほむらは切なげに、どこか蕩けるような微笑みを浮かべながら、我が子の体温の残らない、冷え切った部屋をそっと後にした。我が子を失った悲しみが、いつしか歪んだ執着へと変わり、この家全体を支配していることにも気づかずに。


◇


その手には、あいかのスクールバッグから丁寧に取り外され、ほむら自身のバッグへとしっかりとつけかえられた、古びた小さなクマのぬいぐるみ——「みーたん」がぶら下がっていた。


それはかつて、あいかが肌身離さず持ち歩いていたものだ。ほむらが中学生のころに買った紫のクマのぬいぐるみのキーホルダーと並んで、無機質なボタンの目が、夕暮れの薄暗い光を鈍く反射している。


「あいか、寂しくないように、ママがずっと一緒にしてあげるからね」


ほむらは自分のバッグにつけられた「みーたん」を愛おしそうに指先で撫でた。

その瞬間、誰もいないはずの廊下の向こうから、かすかに、鈴を転がすような小さな笑い声が聞こえたような気がした。


パタン、と、どこか重く、沸騰したように乾いた音がして、子ども部屋のドアが静かに閉じられた。


誰もいなくなった薄暗い廊下を離れ、夕闇に包まれた玄関へと向かうほむらの元で——あたかも、昔からの親友を見つけたように、みーたんは不気味に、どこか嬉しそうに、ゆらゆらと揺れ始めていた。

他にも、以下の作品を執筆・連載中です。もしよろしければ、こちらも覗いてみてくださいね!


少女たちに迫る悪夢。青春群像ホラー『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』

▼『群青の嘘』はこちらから

https://ncode.syosetu.com/n5968mp/


1分で読めるショートホラー『隙間奇談 ~日常の「すきま」に潜む、奇妙な短編集~』

▼『隙間奇談』はこちらから

https://ncode.syosetu.com/n5264mo/



二人の不器用なすれ違いの淡い恋『すれ違う思い、重なる夏の記憶 』

▼『すれ違う思い、重なる夏の記憶』はこちらから

https://ncode.syosetu.com/n0281mr/



「面白かった!」「続きが気になる!」「応援したい!」と思っていただけましたら、【ブックマーク登録】や【評価(⭐⭐⭐⭐⭐)】を押していただけると、執筆のモチベーションがものすごく跳ね上がります……!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。