episode.09 「断罪の屋上」
本作は単体でもお読みいただけますが、全3部作の第2作目となります。
1作目となる『群青の嘘 ~港の廃屋と消えた少女~』の世界観を知ってから触れていただくと、より深く楽しんでいただけるはずです。
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軋む重い音を立てて、屋上の鉄扉が勢いよく開く。
押し開けられた扉の隙間から、日が沈みかけて夕闇が急速に迫りつつある冷たい夜風が、吹き荒れるように屋上へと流れ込んできた。黄昏時の空は血のように赤く濁り、地表のすべてを怪しく不気味な影へと沈めている。
フェンスの前に、背を向けてぽつんと立っていたきゆ先輩が、背後からの鋭い気配に気づいたのか、ゆっくりとこちらを振り返る。その顔には、かつて音楽室で見せてくれたような、後輩の面倒を優しく見る柔らかな面影など微塵も残っていなかった。そこに浮かんでいたのは、張り詰めた緊張感と、隠しきれない恐怖の色だった。
「……話って何、叶芽さん」
冷淡で、凍てつくような声。その瞳に宿っているのは、わたしに対する純粋な軽蔑と、深い不信感だけだった。
わたしを疑い、まるで見てはいけない化け物を見るようなその冷たい眼差しを直視した瞬間、わたしの胸の奥で、硬質な何かが『カチリ』と音を立てて完全に外れた。
(……あは。もう『きゆ先輩』なんて呼んであげる必要もないや。わたしを邪魔しようとする嫌な人間が、また一人現れちゃった。どうしてこの人たちは、わたしの邪魔ばかりするんだろう。何も知らないくせに、勝手に疑って、勝手に怒って……本当に、鬱陶しい)
すうっと、目の前の視界からすべての熱が奪われ、代わりにひんやりとした青色の世界が広がる。ざわざわと耳障りに響いていた周囲の風の音すらも、みるみる遠のいて消えていった。頭の芯が妙にクリアで、自分の心音だけが冷たく響いている。
かつて憧れていた優しい先輩はもういない。目の前にいるのは、わたしを脅かすただの「佐野先輩」だ。
わたしの唇が、ぞっとするほど歪んだ、残酷な笑みをゆっくりと形作った。
「実は……わたし、あの日、氷雨先輩と港に行ったんです」
静まり返った屋上に、わたしの声が乾いた響きを持って落ちた。
佐野先輩は、その言葉の意味をすぐに理解できなかったのか、しばらくの間、ただぽかんと口を開けてわたしを見つめていた。だが次の瞬間、彼女の顔色から血の気がサーッと引いていくのが分かった。
「えっ……!? 港……? 一体、そこで何があったの……?」
わたしの口から出た予想外の告白に、佐野先輩は怯えたように身を震わせる。その動揺の色をありありと浮かべる彼女に向かって、わたしは首をコテンと無邪気に傾げ、まるで今日あった楽しい出来事でも語るかのように、甘ったるく微笑んでみせた。
「何がって……氷雨先輩を、あの海の底に突き落としたんですよ。だって氷雨先輩、あまりにしつこくてうざいじゃないですか。わたしの邪魔ばかりしてくるんだもの。だから、いなくなってもらったんです。そしたら、すっきりしましたよ」
「な……ッ! 何を言っているの……!? あなた、自分が今、何を口走っているのか分かっているの……っ!?」
佐野先輩は顔色を真っ青にし、あまりの恐怖と衝撃に、その場から一歩、また一歩と後ずさった。足元がもつれそうになりながらも、彼女は信じられないものを見る目でわたしを睨みつけ、絞り出すような悲痛な声を張り上げる。
そんな彼女の怯え切った表情を見ていると、胸の奥からドス黒い快感がむくむくと湧き上がってきて、面白くてたまらなかった。わたしはさらに一歩、ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めていく。
「どうしてそんなに驚くんですか? 氷雨先輩なんて、わたしが何をやっても……テストで上位を取るし、一年生なのにソロパートだって綺麗に吹けちゃうから、きっとわたしに嫉妬していたんですよ。佐野先輩も、氷雨先輩と仲良くしてたし、わたしのことが面白くなかったんでしょ? わたしを犯人扱いして、ねちっこく追い詰めて……そんなの、許されるわけないじゃないですか」
「違う! れいはそんな子じゃない!! 私もそんなこと思っていない! ただ私は、あなたが何か知っているんじゃないかと……っ!」
佐野先輩は声を荒らげ、ぎゅっと両拳を強く握りしめた。その目からはポロポロと大粒の涙が零れ落ち、夕暮れの光に濡れてキラキラと反射していた。
「あの子は誰よりも真面目で、音楽に対して誠実で、部員みんなのことをいつも考えてた! あんたに……あんたにれいの何が分かるっていうのよ……!! 氷雨を殺したお前なんて……許さない……! 絶対に、許さないから……っ!」
怒りと、親友を失った悲しみに全身を震わせながら叫ぶ佐野先輩。
その姿を見て、わたしは確信した。
ああ、そうなんだ。やっぱり佐野先輩も、もうわたしの味方なんかじゃない。わたしを理解しようともせず、わたしを犯罪者扱いする、ただの敵だ。
わたしの味方じゃない人間なんて、この世界には一人もいらない。邪魔なものは、すべて排除すればいい。氷雨先輩のときと同じように、ここから下へ落としてしまえば、誰もがわたしに逆らえなくなる。誰もがわたしを賞賛し、わたしの邪魔をする者はいなくなるんだ。
「やっ……やめて! こっちに近寄らないで……! 来ないでーーっ!!」
彼女は悲鳴を上げながら背を向け、校舎の出口へと走り出そうとしたが、もう遅い。何もかも、手遅れだった。
わたしはためらうことなく両手を思いきり伸ばし、フェンスの脇へ追い詰められた佐野先輩の華奢な背中を、全体重を乗せて力任せに強く突き飛ばした。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁッ——!!」
黄昏時の夕空に引き裂かれるような断末魔の悲鳴がこだまし、その数秒後、下からドスン、と冷たい地面に何かが叩きつけられたような重い衝撃音が返ってきた。
「……バイバイ、佐野先輩」
静まり返った屋上。
冷たい夜風だけが、わたしの乱れた髪を優しく揺らしている。
わたしはフェンスの下を覗き込もうとはせず、ただ満足げに息を吐き出した。
「……ふふ、これでまた静かになったね」
制服のポケットの中で、あるいはスクールバッグの横で、みーたんが満足したように小さく揺れていた。
わたしは整えられたツインテールの毛先を指先で優しく愛おしそうに撫で直し、スカートについた微細なホコリを軽く手ではたき落とす。
そして、後ろ髪を引かれるような感情は一切抱くことなく、何事もなかったかのように平然とした足取りで鉄扉を開け、再び静まり返った校舎へと戻っていった。
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