第五話 雨の日
明日は、スポーツテストか。俺はそう胸の中で呟く。
窓の奥には、土砂降りの雨が瞳に映る。家に帰ってきてからも勢いは止まることがなく、むしろあの時間に帰れたことが不幸中の幸いなのではないかと思うほどの激しさへと変わっていった。アパートから見えるあたり一帯は、薄暗く、雨が激しく地面を打ち立てている。傘を忘れた何人かの子供たちが必死で走っているのが見えた。ただ、少し楽しそうで、豪雨というイベントを楽しんでいるようにも見える。それに、少しうらやむ自分がいた。
—そして、窓の手前には土砂降りに濡れた俺がいた。髪はとうに濡れて髪が多くの人の感情を表すように落ち込み、前髪が顔にかかる。制服にも水がしみこみ、雨特有の悪臭が漂っている。顔も濡れて、まつ毛にしずくがおしかかる。こんな自分を見ても、あまり何とも思わない。どちらかというと、制服を乾かすことがめんどくさいと思う自分の方が強い。
俺、――鬼谷冬莉という人間は、何も感じない、無感情人間というわけではない。喜怒哀楽、感動、嫉妬、人らしい感情はあるし、感情がないっていう厨二病じみた感情を抱くこともない。悪口を言われたら人並みに傷つくし、感謝されたら人並みにうれしい。三大欲求、というものもある。むしろ、強いくらいだと思う。高校生が思う、高校生が感じそうなことくらいはしっかりと心の中に現れる。それなのに、今のこの姿を見て、飛花落葉のような喪失感とか、ツイていないみたいな気分を味わうことが俺には到底できない。ただ、雨に濡れちゃったな、っていう事実しか受け止めることができなくて、本当にそれだけしか思えない。
気づけば、窓の周りにはしずくが垂れて、床が水浸しになっていた。気の向くままに、浴室へと向かう。服を脱ぎ、かごに入れて、扉を開ける。
明日はスポーツテストか。再三、俺の中のだれかがそう呟く。出てくる水の温度を確かめようと、水に手を当てる。俺らの先生は、今日の感じを見るにバスケットボールをしそうな雰囲気だった。本当は違う。学習指導要領を見る限り、明日はスポーツテストで間違いないはずだ。きっと、間違いないはずだ。
もっとも、みんな知らないようだけれど。
熱湯となった水が手にふれ、当てる部位を体へと移動させていく。眼の前にある鏡には自分の全身は映らない。映るのは自分の顎ぐらいまで。こうして改めて見ると、身長が伸びたのだなと思う。毎日こうやって何気なく鏡を見ていては気づかないものがある。上を見たら天井が近く感じるし、床がとても遠く思える。いつかの夏、山で見た星空が人一倍近く感じたように、今は空がより近くになっているのだろうか。あの夏の大三角形に手を伸ばせば届くのだろうか。いつか確かめたいと、そう思った。
石鹸で体を洗う。あまり水は無駄にはできない。できる限り効率的に体と頭を洗い流す。壁にかかった水が蒸気となって自身の身体へと当たる。
毎日と同じように、体を洗い流し、火照った体をタオルで拭きながら自分の部屋へと向かう。自室の扉を開けると、ゲーム機の駆動音と、雨の音でその場は仕上がっていた。雨の音がいつもの暮らしに変化をもたらす。だが俺は、そんな音も気にもせずに、勉強の机へと向かった。リュックから今日配られた課題を取り出し、ペンを走らせる。いつの日か、見た瞬間で大体の物事を察することができるようになってきた。課題もその日中に終わらせることが多くなり、人生に余裕が生まれた。人生に余裕が生まれたなんて、少し大袈裟に言い過ぎかも知れないけど、それでも確かに、時間というものは増えていったのだと思う。ただがむしゃらペンを走らせるのではなくて、なにか根拠をもったまま書くことが多くなった。特に学校の宿題や課題はそうだ。いつ指名されても完璧に言えるように、いつの日かそんなふうにできてしまった。これが良いか悪いかと問われれば、少なくとも、今のところは良い方での効果が出ている。筋書き通りに文章を書くことで、時間の節約というか、思考時間の削減をすることができる。そうして、いつの間にか終わった課題をリュックに片付け、駆動音で自分を主張していたゲームを手に取る。テレビの画面が鮮やかに光り、駆動音がさらに主張を強めた。
「あ、忘れてた。」
そう言いながら、テレビに接続していたケーブルを抜く。次いで、別の機器を起動する。VRゴーグルだ。俺のやっているゲームは、VRゴーグルをつけた方がやりやすい。もちろんテレビでもプレイすることができるけど、俺はVRの方が、没入感もあるし、何より視野が広いということも相まって、よくこっちでプレイしている。別のゲームなら、テレビでプレイしているけど。ゴーグルを装着すると、聞こえてくるはずの雨の音や、ゲーム機のモーターが回る音が消えて、にぎやかな電子音と、低いビートを奏でるBGMが聞こえる。視界が、世界が、入れ替わる。初めてこうなったときの感動はすごい。映像ということを忘れてしまうほどの精密さで、俺を魅力した。今ではそんな感動は薄れて、いつも通りに何の感慨もなしにゲームモードを選択していく。俺のやっているゲームは最近発売されて、瞬く間に世界が歓声を上げたいわゆる神ゲー。大体の賞をとって、このゲームの世界大会が去年から開催されていった。幅広いユーザー層と、キャラ数の豊富さや、それぞれのキャラの強さをできる限り統一しようという姿勢であったり、たまにそれを打ち壊すようなモードを導入したりして、ユーザーからの信頼は厚い。聞けば、この会社の株はうなぎのぼりらしい。
そういうことを考えながら、試合を開始する。ボイチャを入れれることもできるけど、俺は好んですることはない。友達とならするけど、野良の人とはあんまりしたくはない。理由は緊張とかもあるけど、純粋に初対面の人と声で息を合わせられる自信がない。ついついしゃべりすぎてしまう気がして、それなら聞いてその指示を聞きながらやっていた方が気が楽だ。
試合合図とともに、味方と一緒に一斉に飛び出す。敵を倒して、味方を支援しながら、攻撃も仕掛けていく。大抵、俺がこのキャラを選ぶと、ボイチャを通している人は少しの非難を浴びせてくるものだ。まあ、わからなくもない。弱いと言われているキャラを使うのは少しやめてほしいと思うのだろう。このキャラ以外にも育てているやつはいる。いるにはいるが、安定性を求めるのならやはりこれになってしまう。
最後の敵を倒し、勝負が決したも同然となる。相手の陣地に足を踏み込み、勝負を終わらせる。そのあとも、試合を回していく。淡々と着実に。
「あ、レートいった」
とうとう、レートが上位10%に入った。もしかしたら、このキャラでそのレート帯に達成したのは俺が初めてなのかもしれない。少しのうれしみを覚えながら、ゴーグルを外す。時間的にもうそろそろやめたほうがいいだろう。やりすぎたら目が疲れる。
「そういえば、あいつ…」
今日急いで帰っていた、神谷。大丈夫だろうか。俺の時も雨は強かったが、神谷が帰ったときは俺よりも雨が強くなっていて、雨粒の一つ一つが大きくなっていた。その景色を俺は電車から見ていた。無事に帰れているのかな、とか思ったり。外を見ると、まだ雨は強く降っていた。
「まあ、平気か。いつも元気そうだし。」
神谷はいつも明るい。それは、知り合ってすぐにわかった。もちろん、落ち込んだり、悲しそうな顔をうかべていたりするけれど、それでも、誰かと喋るときは、そういう怒りと悲しみの感情も見せながら、結局笑顔でいる。俺は感情を顔に出すことが苦手なのだと思う。中学校の時に、お前何考えているかわかんない、と言われたことがあるのだから、きっとそうだ。自分では、しっかり表情を出せているはずなのだけれど、もしかしたら違っているのかもしれない、とそのときはじめて思った。その時は悲しかったな。俺自身を否定されたような気がして。今までそんな風に生きていたのに、それを否定されたような気が捨て、悲しかった。今は、時間の経過とか、高校のこととかで悲しいという感情はだいぶ薄くなってしまったけど。
ゲームの電源を消して机に向かう。勉強の続きだ。今週の分と、来週の分の大体の予習。時間がない時にも、少しの予習で授業が楽になることが多い。初めてみるよりも二回目の方がその分未知な感覚とかは無くなっていくし、一度見たっていう余裕が生まれる。だから、時間がなくても予習はするべきだと思う。今回は時間があるから、しっかりと予習をする。大切そうなところに線を引き、問題を解いていく。ゆっくりと、時間が過ぎていく。
「ただいまー」
扉を開ける音と同時にその言葉が聞こえた。
「おかえり」
そう返事をしながら自分の部屋を出る。来週ぶんまでの予習を終わらせ、ペンによって汚れた教科書とノートを机に放置しながら。
「料理、電子レンジで温めておくね。」
「ありがとう冬莉。やっぱり、作り置きに限るわ。平日のご飯は。」
「確かにね。」
電子レンジに冷たくなった料理を移しラップをかけて、電子レンジを閉める。ワットと時間を選択すると、特徴的な音をたてながらオレンジ色にまばゆく光る。そんな光景を他所に、テーブルを布で拭いて、食卓の準備をしていく。母さんも、温め終えた料理を食卓に持ってきて、食卓からはカレーの香ばしい匂いが目立った。
「じゃあ、いただきます。」
手を合わせて言うと、母さんもそれに合わせて、
「いただきます」
と相槌を打った。カレーは作り置きをしてもおいしく、やはりカレーだった。少しの辛さがちょうどよくて、美味しさは倍増していている気さえする。
「母さん、明日も仕事?」
「そうねぇ、仕事だわ。またしばらく、家にはいなくなるかも」
「そう、頑張って。」
「うん、ありがとう。」
母さんが笑顔でそういえばと言いながら、爆弾発言を机に落とした。
「恋人とかもできたら、すぐ母さんに報告してね。私ずっと待っているからね!家には誰呼んでもいいから。」
飲んでいた水が吹き出る。母さん、たまにこうやってぶっこんでくる。
「できても言わないよ」
「あら、言ってくれた方が絶対にいいにきまっているじゃない、なんてったて特典がもらえるわよ?」
「特典?」
不思議そうにそう尋ねると、母さんが指をたてながら、こういった。
「スーパー特典よ。全部で二つ。その一、恋人特別お小遣い。彼女との遊びは私が負担してあげるわ。奢るっていうかっこいい所見せてあげないと。五割くらい払ってあげるから、しっかりと払ってきなさい。その二、お泊まりの許可が緩くなるわ。私が仕事行っている間は家の戸締りをしっかりしていれば、泊りにいったり、連れてきたりしてもいいのよ。」
「…そう。」
「あら、全然興味なさそう。でも、私は待っているからね。冬莉の恋愛、応援してるから。」
そう楽しそうに言いながら、食事を進める。母さんは、なぜかわからないけど、恋に対して積極的だ。よく口を出される。大体抽象的なものばかりだけれど。アドバイスというアドバイスも、ほとんどが努力論で、とりあえずアタックが大事とか、気持ちで押せとか、そういうのばっかり。アドバイスも俺は求めていないのに勝手に言っちゃう始末。そんな母さんが、俺は好きだけど。この前にあったことも母さんは、すごく謝ってくれた。ごめん、ごめんって。俺は、母さんもやっぱり人だからそんなことも起きちゃうって、謝られる度にそういうんだけど、それでもなかなか自分の中では許せないみたいで、たまに、謝ってくる。あんなことで、気持ちが軽くなるのなら全然いいのに。
最後の一口を食べ終えて、食器を片付け始める。ごちそうさま、という感謝の言葉を告げた後に。
「それじゃあ、俺の部屋で少し勉強した後に寝るよ。母さんおやすみ。」
「うん、勉強頑張って。」
そう笑顔で母さんは俺を自室へと送り出した。
壁にかけている時計が、0時を過ぎるころ、俺は勉強をやめて、洗面台へと向かった。コップに入っている自分の歯ブラシを手に取る。水にぬらして、歯磨き粉をつけて、歯を磨く。割と丁寧にする方で、生まれてこの方虫歯というものはできたことがない。中学二年生の時に、謎に一度学校の歯科検診で引っかかって、そのあとすぐに歯医者へと向かったけど、異常なしという検査結果を受けたことがある。結構不思議だったな。うがいをして、再び自室へと戻る。布団に入って、スマホをいじったり、単語帳を見れば、気づけば時計の針は1時を示していた。スマホを目覚まし時計の隣において、電気を消した。部屋が暗くなり、静寂が漂う。その中には、ずっと振り続けている雨の音が勢いは落としつつも確かに音を鳴らし続けていた。
どうも!作者のおかピーです。今回は鬼谷目線でのお話です。
次回の更新予定は七月中です。




