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灰の中から王は生まれる〜しかし王冠は、何人かの血で染まっている〜  作者: 水縒あわし
第2部

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【第64話】



 春も深まり、心地よい風が吹き抜ける灰谷はいたにの石畳を、重々しい車輪の音が進んでいく。



 南の軍事国家テネブラシアの国章である『双頭のわし』が深く刻まれた、堅牢けんろうで威圧的な黒塗りの大型馬車。


その前後に完全武装の黒鋼の重装騎兵を従えた車列は、辺境の泥と活気にまみれたグレイヴァルの風景の中において、明らかに異質で圧倒的な質量を放っていた。



 それは、大国ヴェルミリアの侵攻を牽制けんせいするための巨大な防壁——テネブラとの軍事同盟の成立を物理的に証明する、政略の花嫁の到着であった。



 城門の前では、簡素な灰黒色の外套がいとうまとったヴェインと、大剣を背負ったクロードが静かに立ち並び、その車列を出迎えていた。



 馬車がきしみ音を立てて止まる。



 御者がうやうやしく扉を開けると、まず地味な灰色の服を着た侍女のアンネが音もなく滑り降り、主君の足元へ手を差し伸べた。


そして、深い藍色あいいろ豪奢ごうしゃなドレスに身を包んだセレーナが、ゆっくりとグレイヴァルの土の上に降り立った。



 金茶色の髪は、長旅の疲れを微塵みじんも感じさせないほど完璧に結い上げられ、背筋は研ぎ澄まされた剣のように真っ直ぐに伸びている。



 セレーナは、出迎えたヴェインに一瞥いちべつをくれる前に、まず自らが嫁ぐことになったこの国の心臓——グレイヴァル城の全容を、冷たい青灰色ブルーグレーの瞳で静かに見上げた。



 それは、彼女が生まれ育ったテネブラシアの、天を突くような威圧的で巨大な石造りの要塞ようさいとは全く違う。


度重なる戦火とバルトの搾取によってあちこちに修復の跡が残り、華美な装飾など一つもない、ただ泥臭く生き延びるためだけに機能する小さく実用的な城。



 だが、その背後に広がるのは、テネブラの黒々とした針葉樹の森に遮られることのない、果てしなく広大で、高い春の空だった。



「……テネブラより、空が広いですね」



 セレーナが、城を見上げたまま、微かに硬い声でつぶやいた。



 それは感嘆でも、辺境の長閑のどかさへの皮肉でもない。


ただの物理的な事実の観測。



「森がないからだ」



 ヴェインは、挨拶の言葉すら省き、極めて平坦に答えた。



 風を遮る防壁となる巨大な森がない代わりに、敵の動きを遠くまで見渡せる開けた荒野。


それがこの辺境の現実だ。



 セレーナは視線を城から下ろし、ヴェインの薄灰色の瞳を真っ直ぐに射抜いた。



「慣れるでしょうか」



 彼女の問いには、他国へ嫁ぐ不安など欠片かけらも混じっていない。


自らが機能するための環境適応への、冷徹な自己評価の響きがあった。



「どちらでも構わない」



 ヴェインは、瞬き一つせず、氷のように冷え切った声で宣告した。



「あなたの仕事は、ここでするものだ」



 冷酷なまでの合理主義。



 ここは安らぐための家ではない。


両国を生かすための『政略』の盤面であり、環境に慣れるか否かという個人の感情や感傷など、最初から計算式に組み込まれていないのだと、ヴェインははっきりと線を引いた。



 その血の通っていない言葉に対し、セレーナは深い緑の瞳を一瞬だけ鋭く細めた。


しかし、彼女は反論も、哀しげに目を伏せることもしなかった。


ただ、自らが道具ではなく「意志を持ったプレイヤー」としてこの場に立つという、テネブラの密室で交わしたあの冷たい共犯関係を再確認したかのように、無言で微かにあごを引いただけだった。



「……長旅、お疲れさまでした」



 二人の間に流れるヒリつくような静寂を割って、透き通るような声が響いた。



 ヴェインの斜め後ろから、エラが歩み出たのだ。



 彼女は豪奢なドレスなど持っていない。


丁寧に洗濯された質素な平民の服を着て、両手を前で軽く組み、セレーナに向かって真っ直ぐに歓迎の挨拶を述べた。


身分という概念すら希薄な裏街で育った彼女の立ち振る舞いには、貴族に対する卑屈さも、王の傍らに立つことのおごりも一切ない。


ただの、純粋な一個の人間としての無垢むくな存在感があった。



 セレーナの視線が、ヴェインからエラへと移る。



 冷たい青灰色ブルーグレーの瞳と、平坦な鳶色とびいろの瞳。



 大国の姫君として徹底的に研ぎ澄まされた冷徹な刃と、辺境の泥の中で誰にも染まらずに祈り続ける無垢な水面。



 決して交わるはずのなかった二人の視線が、冷たい春の風が吹き抜ける城門の前で、ぴたりと交差した。



 一秒。



 正確に一秒間だけ、二人は無言のまま互いの顔を見つめ合った。



 そこに、女同士の嫉妬しっとや敵意はない。


かといって、初対面の親しみや温もりも存在しない。



 ただ、極めて純粋で、透明な『観察』。



 セレーナは、氷のように冷たい王のすぐ傍らに、なぜこれほどまでに無防備で純粋な少女が自然に立っているのかを測ろうとした。



 エラは、ヴェインが「感情の問題ではない」と切り捨て、共に国を背負うことを決めた相手が、どのような重さを持った人間なのかをただ静かに見極めようとした。



 背後で控える侍女のアンネだけが、その一秒間の無音の交錯の中に潜む、決定的な質の異なる二つの「質量」のぶつかり合いを、息を詰めて見守っていた。



「……ご丁寧に、ありがとう」



 一秒の後、セレーナが先に視線を外し、完璧な貴族の礼を崩さずに短く応えた。


エラもまた、小さくうなずいて一歩後ろへと下がる。



 挨拶は終わった。



 ヴェインはひるがえした灰黒色の外套のすそを揺らし、無言のまま城内へと続く石畳を歩き始めた。


セレーナもまた、一切の躊躇ちゅうちょなくその後を追って歩みを進める。



 これから巨大な歯車を回すための、最も重要で、最も冷酷な「駒」が盤面の中央に置かれた。



 この城に集い始めた異端者たちが、やがて来る過酷な試練の冬——そして血みどろの大戦争に向けて、互いの運命を音もなく絡み合わせ始めた、静かなる昼下がりであった。



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