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灰の中から王は生まれる〜しかし王冠は、何人かの血で染まっている〜  作者: 水縒あわし
第1部

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【第44話】



 長く厳しい冬が完全に明け、グレイヴァルの大地に青々とした草の匂いが満ち始めた頃。


修復された西の街道を歩いてくるのは、アイゼンブルクの商隊だけではなかった。



 泥とほこりに塗れ、全財産を詰め込んだ粗末な背負い袋だけを手にした、流浪の民たち。



 最初は、バルトの圧政から逃れ、ダスクマーレの泥濘でいねいで息を潜めていたグレイヴァル出身の農民たちが帰還し始めただけだった。


しかし春が深まるにつれ、その波は予想外のうねりとなって辺境の関所を越え始めたのだ。



 大国ヴェルミリアの国境付近で重税にあえいでいた者。


他の小領主の下で土地を奪われた者。


彼らは皆、口を揃えて同じうわさを口にした。



『グレイヴァルの新しい王は、農民と誓約書を交わしたらしい』


『三分の一の税しか取らないと、自ら法を定めたそうだ。あそこに行けば、生きていける』



 それは、飢えと暴力に支配されたこの大陸において、奇跡のような福音だった。



 グレイヴァルは決して豊かではない。


むしろ、長年の搾取によって財政は死に体であり、国庫は常に空に近い綱渡りの状態だ。


だが、為政者の気まぐれで明日の麦を奪われないという『絶対的なルールの保証』は、黄金の山よりも強く、絶望した民衆の魂を惹きつけたのである。



 しかし、急激な人口の流入は、即座に物理的な限界という名の新たな危機を盤面に生み出していた。



「……人が増えすぎる。現在の農地だけでは、秋の収穫を待たずに土地がパンクしますぜ」



 領主執務室に広げられた領内地図を前に、老工兵のハインツが渋い顔でうなった。



 傍らには、ミレイユが徹夜で弾き出した人口増加の推移グラフと、食料消費の危険水域を示す赤い線が引かれた羊皮紙が置かれている。


人が増えれば労働力は上がるが、彼らを養う土地そのものが足りないのだ。



 ヴェインは机の上で両手を組み、薄灰色の瞳で地図の「空白地帯」を静かに見据えた。



「新しい農地を作る」


「作るって……まさか、西の荒野を開墾かいこんするおつもりで?」



 ハインツが驚いたように顔を上げた。



 ヴェインが指差したのは、グレイヴァルとダスクマーレの中間に位置する、長年放置されてきた境界地帯の荒野だった。


岩肌が露出し、水はけも悪く、およそ作物が育つような土地ではない。



「ダスクマーレからの流浪の民は、あの過酷な泥濘を生き抜いてきた者たちだ。さらに他領から逃げてきた者たちも、死に物狂いで『生きる場所』を求めている」



 ヴェインは一切の感情を交えず、極めて平坦な声で計算式を口にする。



「彼らにおのくわを与えろ。あの荒野を切りひらき、水路を引いた者には、その土地の永代所有権を認めると布告する。……生きるための明確な報酬ルールがあれば、人は岩をも砕く」


「……無茶苦茶な荒療治ですが、あの切羽詰まった連中の熱量なら、やり遂げるかもしれませんね」



 ハインツは深いため息をついた後、図面を引き寄せて水路の設計を頭の中で引き始めた。



「わかりました。俺が工夫たちを連れて、荒野の土壌改良の指揮を執ります。水回りの基礎さえできれば、あとは連中の腕力次第だ」



 数日後。



 開墾計画が発表されると、城下に溢れていた流浪の民たちは、歓喜の声を上げて西の荒野へと殺到した。



 ヴェインは単騎で城を出て、少し離れた丘の上から、黒いありの群れのように荒野を切り拓いていく人々の姿を静かに視察していた。



 つちの音、岩を砕く音、掛け声。


それらが春の風に乗って、かつて死の匂いしか立たなかった荒野に、力強い生命の脈動として響き渡っている。



「……ヴェイン様」



 背後から、枯れた声がした。



 振り返ると、各村のまとめ役として開墾の調整に奔走しているコル老人が、つえをつきながら丘を登ってきていた。


その顔は泥と汗にまみれているが、深いしわの奥にある瞳は、驚くほど澄んだ光を宿している。



「ご苦労。進捗しんちょくは」


「皆、目の色を変えて土を掘り返しております。秋には、わずかばかりでも麦が植えられる土地になるでしょう」



 老人はそう報告すると、目を細めて眼下の荒野を見下ろし、深く、感慨深げなため息を吐き出した。



「私がこの歳になるまで、このグレイヴァルの土地が、こんなにも人でにぎやかなのは初めてでございますよ」


「……」



 ヴェインは微かに眉を動かした。



「父の時代は?」



 先代領主ヴァルター。


領民を我が子のように愛し、常に寄り添い、その優しさゆえに大国の毒牙にかかって死んだ、ヴェインにとっての絶対的な喪失の象徴。



 コル老人は、かつての心優しき主君を思い出すように、ゆっくりと首を横に振った。



「ヴァルター旦那様は、本当に良いお方でした。私どもの苦しみを我が事のように悲しみ、涙を流してくださった。ですが……この土地は、常に貧しかった。どんなに旦那様が優しくても、税は重く、大国に怯え、人々は少しずつ夜逃げをして、村は寂れていく一方でした」



 老人はそこで言葉を切り、真っ直ぐにヴェインの薄灰色の瞳を見上げた。



「今は、あの頃よりもさらに貧しい。誰もが腹を空かせ、明日のパンにも事欠く有様です。……けれど、人が集まってくる。外から次々と、この土地で生きたいと願い、人が押し寄せてくる。ヴェイン様、これには決定的な『違い』があります」



 善良さだけでは、人は救えない。



 共に泣いてくれる主君よりも、冷徹な計算と法で「生きるための構造」を作ってくれる王こそが、真に民を生かすのだ。



 父の誠実さと、ヴェインの氷のような狂気。


その二つが交差して初めて、このグレイヴァルという辺境の土地は、大国すら飲み込むほどの質量を持った『国家』として産声を上げようとしている。



 ヴェインは何も答えなかった。



 ただ、広大な荒野で土を耕す何千という民衆の姿を見下ろしたまま、小さく、だが深く、一度だけ無言でうなずいた。



 その顔には、相変わらず一切の表情は浮かんでいなかった。


しかし、外套がいとうの奥で静かに脈打つ彼の心臓の最も深い場所には、父が残せなかった『豊かさ』とは別の、確かな熱が宿っていた。



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