97 次郎君事件
家族みんなで警察署に被害相談に訪れると、予想通り管轄違いの話が出ました。ただ、この時にお父さんの実家側で被害届が出ている事、更に次郎さんが傷害事件の容疑者として手配されていた事で状況が変わりました。
「此方で被害届を受付をさせて頂きましたが、御婆様のご自宅において物理的な被害が出ているかの実況見分が必要となります。此処からは四日市南署の担当となりますので、そちらの担当者から後ほど連絡が入ると思います」
「それは急ぐ事になるんでしょうか? その、実家付近にまだ次郎さんが居るような気がして怖いんです」
お母さんが主に警察の人と話し合っていました。私達はその後ろに、そして当事者のお祖母ちゃんは疲れた様子でお母さんの横の席に座っています。被害者となるのはお祖母ちゃんだし、そもそも被害場所が四日市だから被害届の提出者もお祖母ちゃんになるんですよね。
「そうですね。所轄の判断次第とは思いますが、まずは容疑者の身柄確保に動くと思います。恐らく、そこまで急いでの話にはならないかと」
実際、私達の話した内容をもとに実家傍の派出所から警察官の人が見に行ってるみたいです。あと、私達も慌ててお手伝いさんの派遣会社に連絡をして、暫くは派遣を中止してもらいました。次郎さんに出会ってしまって怪我でもしたら大変です。
「宜しくお願いします」
その後、幾つかの手続きとやり取りを終えて警察署を後にします。この段階で時間は9時を回っていて、みんなグッタリしています。
「日和さん、ごめんね。僕はここで失礼するね」
「あ、ごめんなさい。此処まで付き合って貰っちゃってありがとう。何かすっかり巻き込んじゃって」
今回の事は思いっきり鈴木家の事で、藤巻君には全然関係無いですから。明日も仕事があるっていうのに遅くまで巻き込んじゃいました。
「途中で帰っても、どうなったか気になって眠れなかったと思うから」
藤巻君はそう言って笑ってくれますが、何か思いっきり鈴木家の厄介な所を暴露した感じです。怪我した被害者は家族なので前科が付くか判りませんが、あちらの家族達は読めない処があります。下手すると親戚筋に前科者が出ちゃいますよね。
「本当にごめんね。今度、何か埋め合わせする」
「それなら、婚約したいな」
「ふぇ!」
雰囲気の欠片も無い状況で、しかも家族みんなが揃っているこの場面で、突拍子も無い事を言う藤巻君に思わず変な声が出ちゃいました。
「あらまあ、そうねえ。そろそろ良いんじゃないかしら? ねぇ、お父さん」
「そ、そうだなあ。だが、そんなに焦らなくてもだと」
「あら、もともとそう言うお話だったでしょ?」
話を聞いていたお母さんが、わざとらしい声色で私を見ながらお父さんを問い詰めます。
「おやおや、目出たいことだね。結納の準備をせんといかんね。この子は素直で良い子だで、宜しく頼みます」
先程までの疲れた様子を思いっきり吹き飛ばして、お祖母ちゃんがニコニコ顔です。
「ちょっとお祖母ちゃん!」
「ほれ、はようお返事せんかね」
思わずお祖母ちゃんを制止しようとしたら、キラーパスが飛んできます。
「え? え、あっと、宜しくお願いします?」
「日和、なによそれ」
「ほっほっほ」
お母さんとお祖母ちゃんの突っ込みに思わず顔が赤くなる。
「それじゃあ、今度詳しく話そう。お休み」
「あ、うん。お疲れ様」
藤巻君は言うだけ言ってさっさと帰って行っちゃったけど、え? うそ、真面目にこの状況を放置して帰る?
「凄いわねぇ。さっさと帰っちゃったわ」
「そもそも、この状況でプロポーズする?」
「あら、プロポーズはとっくにされたんでしょ?」
そういう問題じゃ無いと思うんだけど。そりゃあプロポーズはされたけど、婚約に向けての打ち合わせもしてたけど、何って言うか雰囲気ってものがありますよね?
思わず頬が膨らむのは仕方が無いですよね? ただ、お母さん達はお父さんを除いて笑っていますけど。
そんな何とも言えない雰囲気の中で家に帰ってきたんですが、そのタイミングで和夫さんから電話が入りました。
「はい、わかりました。こっちも気を付けます」
お互いに情報交換です。あちらは、ご両親が傷の治療を受けて自宅へ戻った事。ただ、無傷だった祖父母を含め全員が次郎さんの事を悪し様に罵っているだけで進展なし。こちらは一応警察に行って来たことを伝えました。ただ、お互いに家族を含め身の回りに気を付ける話をして、結局は進展なしですね。
「和夫さんは住所知られてるし、家族は暫く奥さんの実家に避難させるみたい。あ、そう言えば和夫さんって学校の先生をしているみたい。勤務している学校の事もあるから引っ越すかどうか悩むって言ってた」
次郎さんの事もある意味暴力と言う一線を超えちゃっているので、和夫さんとしても自分の家族に被害が出ないか気にしていました。其処ら辺は私達と一緒かなって。話をしている時にも思ったのですが、あまり兄弟仲は良さそうでは無い感じでした。
「テレビのニュースとかで良く見るけど暴力は駄目よね。今までに何度も会ってるけど、そんな子には思えなかったのに」
「大人しい感じの子だったよな。まあ、次男坊なら色々と差別はされていただろう。お父さん的には気持ち的に判らないでは無いがなあ」
あの家で差別されながら育つ事の辛さは、同じ経験をしたお父さんしか判らないのだろう。
その後、お姉ちゃんが仕事終わりに我が家に突撃してきました。
「ちょっと、何か大変だったんだって! あ、お祖母ちゃん! 大丈夫だった? 怪我とか無い?」
どかどかと部屋に入って来たお姉ちゃんが、お祖母ちゃんを発見して駆けつけます。
「おや、日向ちゃんも久しぶりだねぇ。綺麗になってまあ。なんか垢抜けちゃったねぇ」
久しぶりにお姉ちゃんに会えたお祖母ちゃんは、ニコニコ顔です。
「うん、良かった元気そう。ちゃんと定期的に診察受けるんだよ。健康診断の結果は貰ってるけど、ちゃんと薬飲むんだよ」
お祖母ちゃんの様子に一安心したのか、お姉ちゃんはお祖母ちゃんの前に屈んで話しかけます。その内容が健康関係の話に偏るのは仕方が無いですよね。お祖母ちゃんも結構な年ですから。
そして、お祖母ちゃんとの会話が一段落した所で、お姉ちゃんは椅子にドカリと座って私達を睨みつけました。
「で? 何があったの?」
「ちょっと! 別に私達は悪くないよ? 何かこっちが責められてる気がするんだけど!」
不本意ですよという感じを思いっきり態度に表しながら、私は今日の出来事を説明します。お姉ちゃんの表情は最初は怒り、そして次第に呆れへと変わっていくのが判りました。
「はあ、次郎って、あいつもう30歳くらいでしょ? 良い年して何やってるの? 馬鹿じゃ無いの? しばらく会ってないから良く知らないけど、そんなタイプだった?」
うん、それは確かにそう。ただ、何があったかは知らないけど精神の問題って簡単じゃないからなあ。そこはお姉ちゃんも判っていると思うけど、だからと言ってお祖母ちゃんを巻き込んだ事には納得できませんけどね。
「どちらかと言うと大人しい印象だったわよね」
「うん、あんまり会話した事無いから知らないけど」
私達と率先して交流しようってタイプでもなかったし、私の印象もお母さんと同じで大人しいって感じかな。
「頭が冷えたらあっちは訴えを下げるかな? あそこって世間体とか、本家がどうこうとか気にするでしょ? でも、こっちはそれに付き合う必要は無いから。何か言ってくるかもしれないけど、キチンと判る形にしないと駄目だから。何か揉めたら私に回して!」
お姉ちゃんは最後にそう言うと嵐の様に去っていきました。
ただ、私達は顔を見合わせて困惑状態。お姉ちゃんの言いたいことは判りますが、そうなると連日の様にお祖母ちゃんの家に訴えを取り下げろって押しかけて来そう。
「今日はもう遅いから寝ましょうか」
お母さんのその一言で解散になりました。
そして翌日、私が病院へ出勤しようとしていると警察から連絡が入りました。
「判りました。祖母にもそのように伝えておきます。ありがとうございました」
電話を切ると、みんなの心配そうな眼差しが注がれています。
「次郎君、お祖母ちゃんの家の傍で身柄を確保されたって」
「確保?」
お母さんが尋ねて来ますが、そうなんです。逮捕じゃ無くて確保なんです。
「逮捕ってどうなったら逮捕なんだろう? 現行犯とかじゃ無いと即逮捕とかにはならないのかも?」
其処ら辺の事は分かりませんが、とりあえず近くで偶然バッタリと会ってしまう事は無さそう。
「それで出来れば四日市南の警察署まで来て欲しいって。どう? 今日行ける? 私を病院に送ってくれた後の車使ってくれて良いよ」
送迎の車を使って貰えば負担も少ないはずです。まあ、普段から日中に出かける時とかにお母さん達が使ってますけど。
「帰り時間はどうなるのかしら? でも、お祖母ちゃんの家も見て来たいし、そうねぇ、行ってくるわ」
「そのまま帰ったらダメかねぇ」
次郎さんが逮捕されたのであれば帰っても良い気はしますが、事情聴取とかで頻繁に呼び出されたりするとお祖母ちゃんには警察署へ行くまでの足が無いですね。
「一応、話を聞いてからね。そもそも、どうなるのか良く解らないし。それに次郎さんはお父さんの実家の方へ移送されるんじゃないかしら? あっちは傷害事件ですもの」
お母さんが言う様に、事件的な重要度では傷害事件の方が重そうです。
「そうだね。まあ、何にせよ私も行くか。もしかすると次郎君と話が出来るかもだし、同じ鈴木家の次男育ちだからね。他に話せない事も私には話せるかもしれん」
「そこで変に同情しないでよ? 今回のは犯罪だし、実際にお祖母ちゃんに被害が出ているんだからね! どういう経緯でお祖母ちゃんの所に行こうと思ったのか知らないけど、有り得ないからね!」
お父さんは頷くけど、お祖母ちゃんが何やら其処までしなくてもみたいな事を言っています。ただ、ある意味強盗まがいの事をしようとしている訳ですし、なあなあで済ませられる事じゃないですよね。
「そうね。ましてや高齢者に暴力を振るったら、最悪大怪我じゃ済まない事だってあるわ」
自分の親という事もあって、お母さんの方が激怒していますし、事件自体も重く受け止めています。
私もそこは同じだし本当ならついて行きたいくらいですが、流石にシフトの兼ね合いもあります。そう簡単に休めるはずも無く、苦渋の決断をして私は病院へ出勤しました。




