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京都で見つけた千年前の恋文――それを書いたのは、これから私が恋をする関白さまでした  作者: EMo


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満月の前に


翌朝、二の宮の邸へ、雅継からの使いが訪れた。


「関白さまが、紗良に参るようにと」


伝えられた言葉は、それだけだった。


いつ、どこへ、何のために。


必要なことは使いの者が続けて説明したが、雅継本人の言葉は短い。


紗良は、少し前に受け取った文を思い出した。


――そなたの願いに従い、今日までは休む。


あの人は、いつも言葉が足りない。


足りないのに、なぜか後になって何度も思い出してしまう。


「何かございましたか」


橘が心配そうに尋ねる。


「いいえ。ただ、関白さまは相変わらずだと思いまして」


「相変わらず?」


「ご用件が、まったく分かりません」


橘は答えに困ったようだった。


関白から呼び出されて、用件が書かれていないことへ不満を言う女など、あまりいないのだろう。


「いつ戻る」


二の宮が尋ねた。


今日は部屋の奥ではなく、御簾の近くに座っている。


庭を歩くようになってから、朝もそこで過ごすことが増えていた。


「お話が終わりましたら、こちらへ戻ります」


「そのまま姫の局へ戻れと命じられるかもしれぬぞ」


考えていなかったわけではない。


二の宮が宴へ出られるほど回復すれば、紗良がこの邸に留まる理由も少なくなる。


「その時は、一度こちらへ戻り、ご挨拶をいたします」


「当然だ。黙って戻ることは許さぬ」


「黙ってはいなくなりません」


「そなたは突然現れた女だ。突然いなくならぬとは限らぬ」


紗良は息を止めた。


二の宮は、紗良がどこから来たのか知らない。


何げなく口にしただけだろう。


それでも、次の満月に帰る道が開くかもしれないと知った今、その言葉は胸に刺さった。


「どうした」


「いいえ。必ず、ご挨拶をいたします」


二の宮は紗良の顔をしばらく見ていたが、それ以上は尋ねなかった。


「ならば、早く行け。関白を待たせて、戻りが遅くなっては困る」


自分で呼び止めておきながら、今度は急げと言う。


けれど、そういうところが二の宮らしいのかもしれない。


「行ってまいります」


紗良は頭を下げ、部屋を出た。


廊を歩きながら一度だけ振り返る。


二の宮はすでに庭へ顔を向けていた。


その背は、初めて会った日のように寝具へ沈んではいない。


自分がいなくても、もう大丈夫かもしれない。


そう思うと安心するはずなのに、胸の中に少しだけ寂しさが残った。



雅継に指定されたのは、宮中で政務を執るために使っている部屋だった。


牛車を降りると、すぐに迎えの者が現れた。


二の宮の邸から伴ってきた女房たちは、別の場所で待つよう命じられる。


「こちらへ」


案内されるまま、紗良は廊を進んだ。


姫の局が遠くないことは分かっていた。


今、この宮中のどこかに姫がいる。


千代も、小夜もいる。


けれど、雅継に召された紗良が、勝手に別の局へ立ち寄ることはできない。


二の宮の邸から来た牛車も、用が済めば紗良を連れ帰るために待っている。


会おうと思えば会えそうな距離にいる。


それなのに、会うことができない。


紗良は、ほんの少し歩みを緩めた。


姫たちとは、秋の宴で会えるかもしれない。


満月の夜。


それまで待てばよい。


そう思った途端、その宴が、この時代で皆と過ごす最後の夜になる可能性にも気づいた。


胸の奥が冷たくなる。


「紗良」


先を行く者に呼ばれ、紗良は顔を上げた。


いつの間にか、雅継のいる部屋の前へ着いていた。



紗良が頭を下げると、御簾の内側から声がした。


「入れ」


御簾が上げられ、紗良は中へ進んだ。


雅継は文机の前に座っていた。


顔色はよく、背筋も伸びている。


以前、姫の局で立ち上がった時に見せた足元の揺れも、もうなさそうだった。


紗良は顔を見たあと、無意識に手元へ目を向けた。


雅継が気づく。


「何を見ている」


「お顔の次は、手を見てしまう癖がありまして」


「なぜだ」


「きちんと力が入っているか、分かりますから」


「私はもう病人ではない」


「はい。もう心配はなさそうですね」


素直に答えると、雅継は少し黙った。


「離れたところから見ただけで、分かるのか」


紗良は雅継を見る。


問いの意味を考えているうちに、雅継が先に目をそらした。


「座れ」


「はい」


紗良は少し離れた場所へ座った。


藤原邸で看病していた時とは違う。


あの頃は枕元まで近づき、額に触れ、身体を支えた。


今は互いの間に、きちんと距離がある。


宮中では、それが当たり前だった。


けれど、二の宮の邸で過ごした日々のあとでは、その距離が以前より遠く感じられた。


「二の宮が、秋の宴へ出る」


雅継が言う。


「はい」


「そなたを伴うことを望んでおられる」


「伺っております」


「主上もお許しになった。私からも異存はない」


紗良は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「礼は要らぬ」


声がわずかに冷たい。


顔を上げると、雅継は文机へ目を落としていた。


それだけを伝えるために、自分を呼んだのだろうか。


使いの者に任せても済む話に思えた。


「私が二の宮さまにお伴することに、何か問題がありますか」


「問題があれば、許しておらぬ」


「では、どうしてそのようなお顔をなさっているのですか」


雅継の眉が、わずかに動いた。


「どのような顔だ」


「本当は、お許しになりたくなかったようなお顔です」


御簾の外で、衣の擦れる音がした。


近侍が身じろぎしたのかもしれない。


また言いすぎた。


紗良はそう思ったが、雅継は怒らなかった。


ただ、黙って文を一通手に取った。


「二の宮さまは、もう池のそばまで歩けるようになりました」


紗良が言うと、雅継の手が止まった。


「そうか」


「お元気になられたことが、気に入りませんか」


雅継が顔を上げる。


「そのようなことを申しておらぬ」


「でも、先ほどから不機嫌そうです」


「そなたには、そう見えるだけだ」


それならば、何が気に入らないのだろう。


紗良は考えた。


二の宮は、主上の弟君である。


もし主上に男子が生まれなければ、次の帝として名が挙がることもあるのかもしれない。


一方、雅継の娘である姫が皇子を産めば、その子もまた帝の位に近い存在になる。


二の宮と、まだ生まれてもいない姫の御子。


二人が同じ位を争うことになるのか、それともまったく違うのか。


宮中の事情など、紗良にはよく分からない。


誰かに説明されたとしても、すぐに理解できる自信はなかった。


ただ、病弱だった二の宮が元気になり、宴へ出る。


それが宮中の勢力を変えることくらいは、紗良にも想像できた。


雅継の不機嫌には、自分などには分からない、政治的な理由があるのかもしれない。


「二の宮さまがお元気になられたことが、政に差し障るのですか」


雅継の目が、わずかに細くなる。


「なぜ、そうなる」


「二の宮さまは、次の帝になられるかもしれない方なのでしょう?」


雅継は答えない。


紗良は、自信をなくしながらも続けた。


「もし姫さまが皇子をお産みになれば、その……お二人は、同じものを争うことになるのではないかと」


「誰から聞いた」


「誰からも。ただ、関白さまがあまりに不機嫌そうでしたので」


雅継はしばらく紗良を見つめた。


「余計なことを考えるな」


「では、政のことではないのですか」


「違う」


「それなら、何を怒っておられるのですか」


雅継は答えなかった。


やはり、政のことなのだろうか。


それとも、別の理由があるのだろうか。


少なくとも、紗良には、自分に向けられた嫉妬だという考えは浮かばなかった。


雅継ほどの立場にある人が、女房の一人を二の宮が望んだからといって、心を乱すはずがない。


「随分と、二の宮のことを案じているらしい」


雅継が言う。


「ご無理をなされば、また呼吸が苦しくなるかもしれませんから」


「宴へ行きたいのも、そのためか」


「それもあります」


雅継の表情が、再び硬くなる。


「ほかにもあるのか」


「姫さまや、千代、小夜にも会いたいです」


「宴が終われば、姫の局へ戻ればよい」


あまりに簡単に言われ、紗良は雅継を見た。


「戻っても、よろしいのですか」


「もとは姫に仕える女だ。二の宮が回復なされば、あの邸に留まる理由はない」


正しい。


何も間違ってはいない。


それなのに、二の宮の邸から戻ればよいとは言われても、雅継のそばへ戻れと言われたわけではない。


そんなことを期待した自分に気づき、紗良は戸惑った。


「姫たちに会うことだけが、理由ではありません」


「申せ」


紗良は御簾の外へ目を向けた。


近侍たちが控えている。


これから話そうとしていることを、誰かに聞かれるわけにはいかなかった。


「その前に、人を遠ざけていただけますか」


雅継の目が変わった。


紗良の顔をしばらく見つめる。


冗談でも、二の宮についての話でもないと悟ったのだろう。


「皆、下がれ」


御簾の外で、衣の擦れる音が重なった。


近侍たちの足音が、一つずつ遠ざかっていく。


やがて、部屋の中は静まり返った。


人の気配がなくなったことを確かめてから、雅継が言う。


「話せ」


紗良は膝の上で、両手を握った。


「私が、どこから来たのかについてです」


雅継は何も言わない。


けれど、その視線は紗良から離れなかった。


紗良は懐へ手を入れた。


布に包んだスマートフォンへ指先が触れる。


残された電池は、五十パーセント。


元の世界と自分をつなぐ、たった一つの物だった。


「私は、この時代に生まれた人間ではありません」


一度口にしてしまえば、もう戻れない。


紗良は息を整えた。


「おそらく、ここから千年ほど先の世から参りました」

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