第六章 過去の残響
冬休み初日。
朝六時、俺はすでに近所の公園にいた。
朝の空気は刺すように冷たかったが、腕立て伏せ、腹筋、体幹トレーニングを続ける俺の身体は熱を帯びていた。
額の汗を拭いながら、心の中で呟く。
(今日のトレーニングももうすぐ終わる。あとは長距離ランニングだけだ。)
午前八時には自宅へ戻り、静かに朝食を作った。
食事を終えると、その日の残りの時間は読書と電子関係の仕事に没頭し、本のページと考え事の世界に深く入り込んでいた。
夜になると簡単な夕食を済ませ、そのまま眠りにつく。
そんな日々は、ここ二年間ずっと変わらなかった。
この厳格な生活を、俺はむしろ心地よいと感じていた。
しかし、水曜日の夜――。
カレンダーを見つめながら、小さく呟く。
「見ず知らずの女と出かけるためだけに、二年間続けた生活リズムを崩すことになるとはな……。」
「明日は予定がある。朝のルーティンは早めに終わらせないと。」
翌日の木曜日。
午前十時。
朝の予定をすべて終えた俺は、待ち合わせ場所でヒナタと合流した。
「おはよう、カネキ。」
予想外に明るく柔らかな声で彼女は挨拶した。
(……こういう時、俺は何て返せばいいんだ。)
無表情のまま考えていると、
「行こう!」
そう言って彼女は笑顔で手招きした。
俺たちはしばらく無言で歩き、有名な高級カフェへ到着した。
値段の高そうな料理ばかりが並ぶ店内を見回し、俺は彼女へ視線を向ける。
「本当にいいのか? かなり金がかかるぞ。」
ヒナタは気楽そうに微笑んだ。
「気にしないで。」
席につき、料理が運ばれてくるのを静かに待つ。
沈黙が続く中、ヒナタは少し身を乗り出した。
「一つ聞いてもいい?」
「構わない。」
「中学校はどこだったの?」
俺は落ち着いて答えた。
「確か……札津中学校だったと思う。」
この地域でも有数の進学校。
Aクラスにいる理由を説明するには都合のいい答えだった。
しかし、その瞬間。
ヒナタの表情が変わる。
「……本当に?」
俺は軽く瞬きをした。
彼女は鋭い視線で俺を見つめる。
「私も札津中学校だった。でも、あなたを見た記憶なんて一度もない。」
警鐘が頭の中で鳴った。
(……俺を試しているのか。)
俺は静かに答える。
「ただ気づかなかっただけじゃないか。そういうこともある。」
ヒナタは首を横に振った。
「それはありえない。あの学校は優秀な生徒しか入れなかったし、生徒数も多くなかった。本当にいたなら、絶対に覚えているはず。」
彼女がさらに追及しようとした、その時だった。
ウェイターが料理を運び、テーブルへ美しく盛り付けられた皿を並べる。
重苦しい空気は一瞬で途切れた。
ヒナタは小さく息を吐く。
「……とりあえず、食べようか。」
「ありがとう。」
そう呟き、俺は食器を手に取った。
(助かった……。)
(あら、言い訳一つ思いつかないなんて。今のあなた、本当に馬鹿ね。)
頭の奥から、皮肉な声が響く。
「……黙れ。」
心の中でそう返し、意識を食事へ向けた。
食事を終えたあとも、俺たちは街を歩き続けた。
ヒナタは様々な遊び場へ案内し、一日を楽しませようと懸命だった。
だが、どれだけ彼女が努力しても。
俺の表情に笑顔が浮かぶことは一度もなかった。
夕方。
静かな住宅街を歩いている途中、ヒナタは歩みを緩め、俺を見つめた。
「カネキ……今日は楽しかった?」
少し弱々しい声だった。
「楽しかった。今日はありがとう。」
俺は短く答える。
「じゃあ、どうして笑わなかったの? 楽しそうにも見えなかった。」
「たぶん……表に出さなかっただけだ。」
そう答えると、
「……そっか。」
ヒナタは寂しそうに小さく呟いた。
その時だった。
「――おい!! そこの二人!!」
静かな通りに、怒鳴り声が響き渡る。
路地の影から、八人の男たちが姿を現した。
先頭に立つ男は、ヒナタを見ながら嘲笑する。
「やっと来たな。毎日ここを通るのを待ってたぜ。」
「しかも今日はイケメンの連れ付きか。なら、まずはそいつから始めようか。」
ヒナタは一歩後ずさる。
恐怖が顔いっぱいに広がっていた。
「あなたたち……誰なの?」
男はゆっくり近づきながら言う。
周囲では残る七人が俺たちを取り囲み始めていた。
「ゾランを殺したのはお前たちだろ。」
「奴はお前に執着していた。だからお前が一番怪しい。」
「しかもここは人気のない場所だ。少し遊ぶにはちょうどいい。」
その瞬間。
俺の表情は静かに変わった。
そこに残ったのは、冷たく殺気を帯びた静寂だけ。
俺は低い声で言う。
「遊ぶつもりなら……俺も混ぜてもらっていいか?」
ヒナタは俺の背中で凍りついたように立ち尽くしていた。
胸は激しく鼓動し、目の前には八人もの敵。
(八人……。)
(たとえ彼が殺人者でも……。)
(どれほど強くても……。)
(大人の男八人を相手に勝てるはずがない……。)
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
これから物語はさらに大きく動き始めます。
次の章も、ぜひよろしくお願いいたします。




