ただいま
――目が覚めた時。
最初に見えたのは、見慣れた木目の天井だった。
「……あれ……俺……」
ぼんやりとした意識のまま、しばらく瞬きを繰り返す。障子の隙間から差し込む橙色の光が、部屋の畳を照らしていた。
時刻は夕方だった。ずいぶん長い時間を寝ていた気がする。いや、そんな曖昧な感覚ではなく身体は理解していた。
異常なほど長く眠ってしまっていた――もう夕方になっている。
「…………っ!!?」
起き上がろうとした瞬間、全身に痛みが走る。
「いっ……たぁ……!?」
体中の筋肉が一斉に悲鳴を上げたような――そんな痛み。
三ヶ月。
そんな長い時間を狂ったように戦い続けていたのに、ダンジョンの中では疲労なんて一切感じなかった。
それなのに地上へ戻った途端にこの有様だった。
「うう……ほんと、何がどうなってるんだ……」
苦笑しつつ、立ち上がろうとするのだが、
「おはようございます、マスター」
「……うわぁ!!?」
横を向くとそこには両目を閉じたままのイエルが座っていたので、驚いて思わず飛び上がりそうになって、さらに激痛が走った。
「いだだだだ……っ……」
まさか枕元にイエルが正座しているとは思っていなかった。白いワンピース姿のまま微動だにせず、じっとこちらを見つめている。
「……え、もしかして――」
「はい」
「ずっと……そこに……?」
「はい」
「ど、どれくらい??」
「三十三時間は経過していますね」
分と秒は言わなくなっていた。いや、そこまで細かく知りたくないので構わないのだけれど。
「俺……そんなに寝てた?」
「はい」
どうやら丸一日以上眠っていたらしい。
いや、そんなことよりも――
「イエル……その間ずっとそこにいたの?」
「マスターが目覚めるまで待機していましたが?」
「……イエルは、その寝なくて平気なの??」
「必要ありません」
「そ、そうなんだ……」
烏真は天井を見上げた。なんだかもう色々ありすぎて感覚が麻痺している。
余命宣告されて、死ぬつもりでダンジョンへ潜って、三か月もモンスターを倒しては食い続けて――気付けばダンジョンコアと名乗る少女が家にいる。
「……そういえば」
ふと思い出す。
「ばあちゃん……家に来てない?」
「昨日から四回、玄関前に生体反応を確認していますが『ばあちゃん』かどうかは判断できかねます」
「……そっか」
「全て応答がなかったためそのまま帰られました」
三ヶ月も失踪して、今になってやっと帰って来たのだ。本当なら玄関を突き破ってでも入って来てもいいぐらいだ。
自棄になってダンジョンに潜ったことは否定できないし、それで唯一の繋がりである祖母を心配させてる時点で烏真は行為は間違っている。
「……連絡、しないとな――」
電池の切れたスマホを充電すれば、そこには何件もの不在着信。その内の半分以上が祖母のものだった。
「俺が悪いんだけど……」
あの時は本当に考えもなしにダンジョンに潜ってしまった。せめて一言、祖母だけには声をかけておけばよかったと心底後悔している。しかし、覚悟を決めて烏真は登録されている祖母の電話番号をタップする。
「も、もしもし……ばあちゃん?」
『――烏真!? あんたどこ行っとったん!!?』
元より祖母は関西での暮らしが長いから西の言葉を使うことも多いが、開口一番から関西弁全開だった。
「いや、ごめん……今はもう家に帰ってるんだ」
『どうせダンジョン行っててんやろ――あんたは父親に憧れて探索者になりたいってのは若いころから言っとったし』
『怪我とかないん?』
「怪我はないよ……」
手当ては済ませてある。
『それならええわ……そっち行かんでもええ?』
「だ、だいじょうぶ……ちょっとまだ疲れててさ、もう少ししたら寝ようかなって」
『ほんまに心配したんやから……明日は絶対、顔見せに来るんやで』
「え? ああ、わかった――」
そのままブツリと切られてしまう。
今から家に来られることがないのは助かった。イエルのことをどう誤魔化していいから上手い言い訳が思いつかないから。
「どうしよう」
「どうしましょう」
慌てる烏真に対してイエルは真顔だった。
「えーっと……とにかくこのままってわけにもいかないよね」
祖母の件は明日の烏真に任せて、未だにボロボロのままの服を着て、汚れたままの身体をどうにかする方が先決だった。
「……先に風呂かな」
着替えを持って風呂場へ向かう。
さすがに三ヶ月分の汚れをどうにかしたかった。脱衣所へ入り、何気なく鏡を見た瞬間だった。
「あれ?」
思わず手が止まる。
鏡に映っている自分の顔――髪も髭も確かに伸びてはいるが、
「おかしいな……」
三ヶ月もダンジョンにいたはずなのに思っていたほど変化が見られないのだ。髪も髭も伸びているが、三ヶ月放置された人間の姿には見えなかった。
「もっと、ひどいことになってると思ってたんだけど……」
爪も異常に伸びていないし、臭いもそれほどしない。汗が乾いてこびりついている感覚すらない。まるで三ヶ月という時間が烏真の身体に反映されていないような違和感。
そして思い出す。
ダンジョンの中では疲れなかった。だからあんな長い時間を寝ずに活動できてしまった。それなのに地上に戻った瞬間、今まで感じなかった疲労が一気に押し寄せてきた。
「いままでそんなことなかったのにな……」
これまでの何度もダンジョンに潜ったけれど、そんなこと感じたことはなかった。余命を宣告されてからダンジョンを潜ってこうなった。
そして鏡に映る烏真の思考が止まる。
左眼が白く濁っている――白内障のように見えるが、光が当たるたびにその白濁した部分が結晶のように微かに煌めいたように見えた。
まるで眼球の中に、何か異物が入り込んでいるみたいに――この眼が道を示し、誰にも見えない入口に映した。スキルも魔力もないはずの烏真をここまで導いた。
「こんなの……前は、なかった――――」
そっと瞼に触れる。昔から残っている上下に走る傷痕も時間が経過して薄っすらと残っているだけだ。痛みはない。しかし視界はむしろ前よりも鮮明だった。
「困った……俺ひとりじゃなにもわからない……」
イエルと契約する前から視たこの左眼はなんなのか……今はもうどうすることも出来ないし、さっさと風呂に入ろう――と、烏真は服を脱ぐのだが、
「湯浴ですね」
「うん」
そのまま服を脱ごうとした時、背後で何気なく声をかけるイエルに対して烏真も普通に返してしまった。
「…………うん?」
隣でイエルも肩紐へ手をかけている。
「……………………うん?」
突然のイエルの行為に烏真は目が点になっていた。服を脱ぎ始めようとしているイエルを前に完全に反応が遅れてしまった。
「あ、あの、なにをしてるの???」
なんとか声を掛けることができた。
「マスターはまだ完全に回復していませんし、痛みで苦しそうな顔をされていましたので……同行して、補助した方が効率がいいかと――」
「いや、だめだって」
「それに契約条件により一定以上離れることは危険ですので」
「一キロぐらいは離れても大丈夫って言ってたような…………」
そう言うと、イエルの頭の上にある一本の長い毛がぴこんと揺れてから、
「念のためです」
「念のために脱がないでくれる???」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「マスター」
「入っちゃダメだよ」
なんとかイエルを脱衣所から退出させて、烏真は風呂から出た。久しぶりの入浴は気持ちよかったのだが、扉の向こうから聞こえてくるイエルの声に焦らされていた。
「マスター」
「もう出るから、もうちょっとだけ待ってね」
どうもイエルは両目は閉じられているのに烏真が視界から消えることが不満のようなのである。風呂に入ってからずっと壊れたおもちゃのように「マスター」と呼んでくるので返事をしながら身体を洗っていた。
そして急かされるように風呂から出たが、少しだけ生き返った気がした。
「マスター」
「あ、ああ、待っててくれたんだね」
そこで初めてイエルが風呂から上がる烏真を前に腰元に両腕を回して顔を埋めている。なんというかこそばゆいが……待たせていたのも悪いので解くのは我慢する。
三ヶ月延々と放置して戦っていたときと違ってたった数分だというのに何度も何度も声をかけられた気がするが――
「マスター……」
なぜかそんなイエルの姿はとても寂しそうに思えて、
(ずっと眠っていたんだっけ……)
女神像の中で永遠にも似た時間を独りで眠り続けて、どれだけ長い時間を放置されていたのだろう。こうしていま烏真と共に活動できていることがイエルにとってはとても大事なのかもしれない。
ほんの数分でもイエルの視界に烏真が消えることは、そんな耐え難い孤独に似たような気がして、だから怖くてついつい何度も烏真と呼んだのかもしれない。
「どこにもいかないよ」
だから、つい無意識に頭を撫でてしまって――
「マスター……?」
「あ、ごめんね。こんな子どもみたいな……いやだったよね」
しかしイエルの頭に手を乗せる烏真に対して、
「いえ……その、もうすこしだけ……」
だけどイエルは柔和な表情を浮かべて、烏真の大きな手をずっと両手で触れたまま。
「ん?」
ふと今になって空腹感が込み上げる。
空腹を告げる音が腹の奥底から聞こえてくる。腰元に頭を埋めてくるイエルにもはっきりと聞こえる音だった。
おかしい。今になって突然、猛烈に腹が減るなんてことがあるのかと。しかもモンスターを食べたいなんておぞましい思考ではなく、単純に腹が減っているだけだ。
「ほんと、どうなってんだ……」
自分の身体だというのにわからない。しかし地上に帰ってきてから人間として当たり前の感覚が戻ってくれたことに安堵していた。
「台所へ行こうか」
このままでは身動きが取れないのでイエルにそう声をかけるが、イエルは残念そうにゆっくりと烏真から離れる。そしてそのまま二人は台所へ。
正直、結末は見えているのだが意を決して冷蔵庫を開けてみる。
「そりゃそうだよね」
そもそも余命を告げられてまともな食事をしていない。冷蔵庫のなかに食べれそうなものなんて何も残っていなかった。
別に食べれるならなんでもよかった。しかしカップ麺やレトルト――希望はことごとく打ち砕かれていく。
どうも食べれそうなものが見つからない。これが最後のチャンスだと冷凍庫の下段の冷凍室を覗いてみた。
「お」
レンジで温めるだけですぐに食べれる冷凍オムライスがふたつ。
「これは勝ちましたね」
「勝ち???」
「これで空腹に打ち勝てそうだよ」
今まででいちばん幸せそうな顔をする烏真だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
レンジが回る――その間、烏真は振り返る。
「イエルも食べるよね?」
「私に食事は必要ありませんが……」
「食べるとなにか悪いことでもある?」
「いえ、この身体はできる限り人間に近づけていますので食事は可能ですが……」
「じゃあいっしょに食べよう」
「機能上、摂取する必要性があまり――」
「食べれるなら、いっしょに食べよう」
イエルを目の前に座らせたままひとりだけで食べるなんて、とてもじゃないが出来そうにない。
イエルは黙る――数秒の沈黙のあと、
「……了解しました」
どこか不服そうだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「いただきます」
「いただきます」
イエルはじっとオムライスを見つめて、スプーンを持ったまま動かない。
「やっぱり無理して食べなくても……」
ほとんど無理やり食事に誘ったようなものなのでさすがの烏真も申し訳なくなってそう言うのだがイエルは「問題ありません」とだけ言って、
「いきます」
緊張感が烏真にも伝わってくるのだが、ついに一口。
そして、その瞬間――
ぴこん。
頭頂部の一本毛の毛先が、ハートの形になっていることに気付いたが烏真は見て見ぬふりをしてイエルは二口目を運んでいた。
「…………」
「…………」
沈黙。
烏真は吹き出した。
「お……おいしい??」
「…………」
イエルは無言のままなのだが、
「~~~~」
ぴこんぴこんぴこん。
めちゃくちゃ揺れていた。
「なんてわかりやすい……」
「……とても、ひじょうに、めちゃくちゃ」
イエルが小さく呟く。
「美味ですね」
「ご、語彙力」
そして烏真は笑った。
こんな風にテーブルを囲んで食事するなんて思っていなかったから、なんだか嬉しくて笑いながら食事を続けた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「私は人間ではありませんので、もし身体が受け付けずに何かしら異常が発生してマスターにご迷惑をおかけしないか心配で……」
どうも食べることを渋っていたのはそういった理由だった。でも、オムライスをその小さな口に運んでいく度に長い一本の毛がパタパタ揺れて、ずっと閉じられていた両目がパチパチ開いて白金色の瞳がまた見れて烏真も満足だった。
「はは、冷凍食品であれだけ喜んでもらえるなら……今度はもっとおいしいものを食べよう」
「こ、これより……美味な……ものが、存在するのですか……???」
なぜか戦慄するイエル。
「い、いや……冷凍食品もおいしいよ? でも、他にもおいしい食べ物はあると思うなぁ――」
「恐ろしや人類……」
「おおげさだよ……」
そのまま食器を片付けて、落ち着いて居間でテレビを見ていた。気付けばもう夜になっていた。いろんなことがありすぎた。春の夜風はまだ少し冷たかったが、気持ちよかった。
食事を終えて、ようやく一息ついたそのときだった。
ブルブルと机の上に置いてあったスマホが震えている。画面を見てみれば、やけに目立つ大きなフォントで『ダンジョンに関しての速報』と表示されている。
初期設定のまま一切触っていない烏真のスマホであっても例外なくダンジョン関連は全ての通信端末に強制的に通知が送られてくる。
【全世界同時中継予定――】
大きく表示されるフォントに続くように、
【本日……二十一時、難波ダンジョンに見つかった新たな深層エリアへ世界最高峰のパーティーが挑戦します!!】
そこには続けて『配信の視聴はこちらから』とURLのリンクが貼られている。若い子たちの間で流行っているダンジョン内の映像を配信しているのは知っている。
しかし、烏真にとってはそもそも自身が最奥へ潜ることが許されず、探索者としてのライセンスを持っていないため配信は無縁だったし、そもそも視聴したこともなかった。
だが深層に関しては興味がある。どんな世界が広がっているのか……深層の光景が配信されるなんて今回が初めてかもしれない。
さすがに烏真も興味が湧いて通知のリンクをタップした。初期設定のままのスマホでも今では配信アプリは自動で導入されているの問題ない。
「これが……」
烏真は画面を見る。そこに映っていたのは数人の探索者。明らかに今まで見たことのある探索者とは装備している武器も、容姿も、何もかもが一線を画している。
圧倒的な強者――世界各地の高難易度ダンジョンの数々をクリアし、世界に貢献し続ける世界最高峰の探索者を超える者。
映し出されている画面の下部には配信を見ている視聴者が書き込んだコメントが表示されている。とてつもない速度でコメントが流れていくのでとても全てのコメントを読むのは難しい。
しかも同時視聴者数は既に軽く千万人を超えている。それだけ期待と羨望の眼差しで視聴者たちは画面に釘付けなのだろう。
【二人の《踏破者》と優秀な《探索者》たちが十数名で結成された世界初の大規模パーティによる深層攻略――】
世界各地に点々と存在するダンジョンの中でも高難度で誰もが最奥まで潜ることができないダンジョンが存在する。そんな危険度の高いダンジョンを攻略する者を《踏破者》と呼ばれている。
持つ装備や、唯一無二のスキルや、膨大な魔力保有――レベル【200】や【300】が当たり前の中で【500】を超える選ばれし存在。
《探索者》を超えし者――確認されているのは未だ十二人しかいない。
そんな《踏破者》の二人と、その後ろで並ぶ《探索者》たちもベテランなのだろう。これならどんな高難度ダンジョンの最奥すら容易にクリアできるに違いない。
「……すごいなぁ」
素直にそう思った。あまりにも輝いて見える――自分とは無縁の世界だ。
そう思っていた……の、だが。
「……マスター」
隣から聞こえた声が違った。気付けばイエルがスマホの画面を眺める烏真の隣にちょこんと座っている。息遣いが聴こえるほどに近かった。烏真はイエルが見やすいように机の上にスマホを置いた。
「イエル?」
だがイエルは画面を凝視しているように見えた。目は閉じられているので見えているのか疑問だが、前のめりのままひたすらスマホを睨むように眺めている。
画面の向こうは手を振る《踏破者》や《探索者》たちと、凄まじい速度で流れていくコメントたち。
その熱さの裏で、イエルはただ冷たく画面を見つめている。
「――該当座標確認」
イエルがそう呟くと、
「…………」
再び沈黙。
「どうしたの?」
返事がない。だが次に出たのは言葉ではなく嘆息だった。
「非推奨」
「うん?」
「現状、難波ダンジョン深層への接近は推奨できません」
「え?」
「…………」
そのまま無言。
「なんで?」
イエルは答えてくれなかった。
ただ、いつも感情をそのまま表す頭の上に伸びる一本毛だけが初めて力を失ったように静かに垂れて下がっている。
烏真はそれ以上、何も聞けなかった。
イエルは答えない――ただそれだけで、嫌な予感だけが膨らんでいく。
そんな不穏な空気とは対照的にスマホの画面の向こうには一人の女性が視聴者たちに向かって笑顔で手を振っていた。
――探索者ランキング:第七位。
それは世界に十二人しか存在しない《踏破者》が一人。
その名は……千ヶ峰 緋尋。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
もし良ければ↓↓の☆☆☆☆☆から応援して頂けると嬉しいです。
ブックマークも追加してもらえるとモチベが上がります。
それでは次回もよろしくお願いします。




