しるし <前>
唯一の短剣に傷つけられた者は、その者のスキルを使用することができる。
イエルは唯一の凶刃によって倒れた。唯一に傷つけられたことで、イエルの力まで使えるようになったのだろうか……。
「殺せば完全に奪えるんですけどねぇ……やっぱ、まだ生きてるから――これが限界かぁ……」
結晶の短剣をまじまじと見つめながら、しかし唯一は残念そうに首を傾げている。
「鏑木サンがどれだけ強くても、これは耐えられますかね?」
一瞬、結晶の短剣が烏真の眼前を通り抜けた。
剣を構える烏真だったが、胸元に痛みが走り、よく見れば横に一筋の傷が入っている。
「どうです? 同じ剣の切れ味は??」
ニタリと不快な笑みを浮かべ、唯一の持つ結晶の短剣の先端には血が滴っている。
「……それは――」
形こそ違えど、その短剣はまるで《踏破ノ担イ手》と同じ結晶の刀身を施し、傷は浅いが烏真の肉体を斬り裂いていた。
「浅かったですかぁ……上手くいきませんね」
唯一は残念そうに眉をしかめて、もう一度結晶の短剣を構える。
「おかしい」
そして唯一は舌を打ち、
「どうして奪えない。またこれだ……確実に傷をつけたはずだ。いや、そもそもぶっ刺したはずだ。なぜ奪えない。なにをやってやがる」
怒りに悶える唯一だが、烏真はその怒りの理由を理解できるはずもなく。
「首を落とせば死ぬかな?」
唯一の獲物を狙う猛禽類のように、結晶の短剣はまるで獣の牙のごとくイエルに向けられている。
「そこまでして何故、イエルを狙う……」
「前にいた世界で――それが何かわかってますか?」
烏真は何も言わなかった。
「それが、もう何かわかってますよね?」
イエルは自分はダンジョンコアだと言っていた。
しかし、それは違った――烏真が遭った十五年前の出来事。そして唯一の言葉。
「……白い竜」
烏真が呟く。
唯一の視線は眠っているイエルへ向いたまま、
「そうですよ……自分よりずっとヤバいモンスターですよ、それ」
烏真の手に力が入った。
「……イエルが?」
「まぁ……なんでそんなちっさくなってるのかはわかりませんけど」
唯一は目を細める。
「自分が知っているのは、白い竜だった頃」
「何を知ってる……」
「そりゃ、自分なんかよりずっとやばい力を持ってることですよ」
唯一の笑みが消えた。
こことは違う異世界で生きていた唯一……いや《魔剣統覚》と名乗る剣のモンスターは、ただ新たな力を求めて人々を傷つけていた。
しかし、
「異世界ってなんか決まって転生者とかいうの来るじゃないですか……この世界よりヤバいんですよ? なんで人間なのにイカれた強さばっかりで――だからこっちに逃げて来たのに……」
短剣を握る手に力が入る。
烏真にとって唯一の過去に興味はない。こちらの世界に来た動機さえ、耳を傾けるつもりもない。
しかし、
「なんでイエルは、お前を追ってきた?」
「……」
唯一の表情が僅かに変わった。
ほんの一瞬――その目が、眠っているイエルへ向く。
「……それはですねぇ――自分を殺すために、ですよ」
「イエルが……お前を?」
唯一が瞼を閉じる。
「自分のいた世界の竜って守り神かなんかなんですかね? 目をつけられまして」
そして唯一は瞼を開いて、
「やっぱ他の竜を殺したのが良くなかったかな……」
イエルがこの世界とは別の存在であり、十五年前に傷ついていた竜であるのはわかった。
だが、
「お前はいつからこの世界に――……」
「さぁ……数えてませんのでそれはなんとも。ただ自分のいた世界とは別の世界に転移したせいで力の殆どを失いましてね」
短剣を振り回して、唯一は溜息を吐く。
「もっとイカつい剣も出せたんですよ? でも今はもう短剣程度のサイズを出すのが限界。世界を越えた代償なんでそこは受け入れてます」
ここではない別の世界では数多くのスキルを手に入れていたのだろう。
しかし烏真たちの住んでいる世界に転移したことで大半のスキルを失い、力を取り戻すまで静かに隠れるように生きていた。
「でも、それはそっちの白い竜も同じだったんでしょうね」
唯一は自分の身体を見る。
「自分は身体を失いかけたんですけどぉ……なんとか存在は失わずに済みました――」
イエルへ視線を向ける。
「ただ、そっちは記憶も無くなったようで」
烏真は息を呑んだ。
「だがイエルは力を使える」
「それですよ」
唯一が手を叩く。
「どうして力を失わずにいる? 鏑木サンもその子のおかげで生きて来れたんですよね?? おかしいですよ。だから奪えるって思って刺したのに……剣を出せるだけなんて――どこに隠してる?」
胸の奥がざわつく。
烏真は黙ってイエルを見る。
あのとき、あの空間で、烏真が見つけた白い少女。
「……だが、イエルはお前のことを何も――」
烏真は呟く。
「記憶を失くしてるとしか思えませんよね。でも好都合でしたよ。こっちは動きやすかった」
「……」
しかし、見るからに不機嫌そうな態度を取る唯一。
「もう一つ、目的があるんですよ。それをあなたのお父さんにも邪魔されました」
そこで烏真の義理の父である鷹文のことを口にする。
「地上にモンスターを解き放ったのもおまえなのか?」
「いえいえ、あれはちがいます。本当に、本当ですって」
だが散々、烏真を挑発するような口ぶりだった唯一だったがそれだけは全力で否定している。
「転移っていっても好きなところに飛んでいけるわけじゃない、ご存知です?」
烏真は唯一の言葉に対して首を縦に振っていた。
イエルの転移もとてつもない力だったが、それでも一度でも足を踏み入れていない領域には飛べなかった。だから最初イエルと出会ったときは、自らの足で帰るしかなかった。
「でも、一つだけあるんですよ。行ったことのない場所でも……転移できる方法――」
「それは……」
「道が用意されてたんですよ」
烏真は黙っている。
だが、ふと、一つの記憶が蘇った。
あの場所――最初にイエルと出会った場所。どこから入ったのかも分からなかった。そこへ繋がっていた、あの見えない入口。
「……それは」
「この場所は――《1E7L層》……これは誰かが作った扉。自分が別の世界へ飛ぼうとしたとき……ここに飛ぶことができたんですよね」
「そんなおぞましいもの……誰が……」
「この世界に自分みたいなモンスターが現れた理由を知りたいなら――」
唯一は短剣を構える。
「ダンジョンに答えはないですよ。見るべきなのは――」
その刃先が、烏真に向けられる。
「ダンジョンの外ですよねぇ」
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