過去からの怪物
「……ああ、あと一つ、訂正しておかないとねぇ」
唯一の声が低く響いた。
「いや、なんか十五年前のことを、随分と綺麗に覚えてるんだなぁ~って」
十五年前――烏真は唯一の存在を知らなかった。
突然、地上に溢れたモンスターの群れ。その災厄を前に烏真は何も出来ず逃げることしかできなかった。
「……何が、言いたい」
烏真は目を細め、唯一を睨みつける。
「いや、ごめんなさいねぇ……盗み聞きしちゃったんだけど、鏑木サンの……お父さんって鷹文サンって言うんですねぇ」
唯一の口元が歪む。
「……」
烏真の呼吸が止まった。
「いや、なんか鏑木サンって……いや、初めて見たときから――顔は全く違うけど、苗字だけは聞き覚えがあってぇ――」
そして唯一は短剣を取り出していた。
「殺したヒトもぉ……そんな苗字だったなぁ~って」
「……っ」
烏真の横で緋尋が息を呑む。
その横で。
辷だけが、何も言わず唯一を睨んでいた。
「……あ~~! さっき自分の頭、撃ち抜いたヒトじゃ~んッ!!」
唯一が辷へ視線を向ける。
辷はわざとらしく舌を打つ。
「答えろ」
辷の声はただ冷たかった。
「蕃弥 唯一……十五年前に《《死んだはず》》――ボクは確かに見た」
唯一の笑みが消える。
「え……マジですか? 見てたんですか??」
「お前は間違いなく半身を切り裂いたはずだ……」
「一人だけやけに動きが良い《探索者》がいたんですよねぇ――ああ、なんか覚えあるなぁって思ったら、アナタもいましたね」
烏真が一歩前へ出た。
「……誰を殺した」
同じ苗字という唯一は言った。
「ええっと、あとから調べたら鏑木 鷹文って書いてありましたね」
「そうか……」
烏真の声はただ小さく、
唯一は少しだけ目を細める。
「いや……強かったですよ。おかげで元に戻るまで十五年も無職ですよ」
十五年前に既にあった《探索者》が殺される事件。それから十五年もの間、地上が平穏だったのはこの男が傷を癒すのにそれほどの時間を必要としたからだった。
緋尋が驚く。
「じゃあ……」
「そうそう」
唯一は自分の身体を軽く指で叩いた。
「自分はあの日、半分死んでまして」
だから、力を取り戻すまで長い時間が必要だった。
十五年間――表立って動けなかった理由。
そして、
「自分が今の身体に作り変えるのにも時間かかったんですよね」
烏真が眉を寄せる。
「今の……身体?」
だが、烏真の言葉に唯一は笑う。
「現代にダンジョンだけやって来るわけないでしょ」
空気が変わった。
「……なに?」
五十年前――烏真はまだ生まれていない。
だから、そのときのことは知らない。現代社会に突然、世界にダンジョンへと繋がるゲートが姿を見せた。
「モンスターだけ来るパターンもあるって」
ダンジョンの中にモンスターがいる。
しかし、モンスターが地上に現ることはなかった。
「この世界にダンジョンが現れた時、そのダンジョンはどこから来たんですかね?」
唯一は嗤う。
「結局、それがどうしてこの現代に現われたかなんて誰にもわからないけど……自分も一緒にこっちに来たんですよねぇ」
「……は?」
烏真は間の抜けた声を上げてしまった。
「いや、だからダンジョンの中にいたモンスターもいっしょにこっちに来たんですから……自分がここにいてもおかしくないでしょ?」
唯一の身体から、僅かに異質な気配が漏れた。
「なにをふざけたことを……」
「だから、人間の形をしてるけど……自分はモンスターなんですよねぇ」
唯一という名前も、借りの姿も、全て擬態したものだった。
「こっちへ来たばかりの頃は、力をほとんど失っていたんでぇ……だから大人しくしていたわけでして」
そして、少しずつ力が戻った時――唯一は行動を起こした。
「《探索者》を一人、殺した」
唯一が自分の顔を撫でる。
「そいつの身体を使わせてもらった」
それが。
今の《蕃弥 唯一》であった。
「だから最初の犠牲者はこの身体の人間だったわけで。でも、こいつの身体を使って次の《探索者》を殺してから自分が犯人です~って名乗れば誰もこの身体が死んでいるなんてわからないでしょ?」
「……」
烏真は何も言わなかった。
ただ、真っ直ぐ唯一を見ていた。
「んで……上手く行ってたのになぁ……」
だが唯一は烏真に視線を合わせることはせず辷を見た。
「地上にモンスターもバラまいてお祭り騒ぎにしたのに……鏑木サンのお父さん……なのかな? なかなか強くてねぇ……」
「お前は何者なんだ……」
蕃弥 唯一に成り代わる、《《何か》》。
「いや、モンスターにいちいちなんで人を襲うんですか~って聞くんですか? 鏑木サン??」
会話にならない。
だが、唯一から線が浮かび上がった理由は理解できた。ダンジョンで発動する《看破》の左眼は人間に線は浮かび上がらない。
しかし、唯一の身体には浮かび上がった。
人間の形をしたモンスター。
「お前が、父さんを殺したんだな」
「殺したいほど憎いですよね?」
烏真は大きく息を吐く。
「もう十五年経った。……もっと早く知っていれば、俺に力があれば、お前を追いかけていたのかもしれない」
だが、あまりにも時間が経ち過ぎた。
父の死の原因が目の前にいても、ただ静かに烏真は唯一を見ていた。
「お前がなんであれ、二度とこんなことが出来ないようにする――それだけだ」
「大人すぎるのもおもしろくないですよ」
「大人になれたんだよ。俺は一人じゃ何もできない無力な人間だ……だけど、俺に力を貸してくれた人たちのために戦えるぐらいには、心に余裕ができたんだ」
「そこは素直によくも父さんを~って言ってくれた方が良かったのになぁ……結局、自分に殺されて――」
唯一はイエルに視線を向く。
「それを……頂いて、今度は邪魔も入らないから楽しいことになりそうだ」
唯一の目に、今までとは違う色が浮かんだ。
「……それ、だと?」
「そう、それ」
唯一が一歩、踏み出す。
「その子ですよ?」
傷は塞がっているがまだ目を醒まさないイエル。
「鏑木サン、お願いですからそれ――」
唯一が手を伸ばす。
「こっちに渡してもらえます?」
「もう、いい」
烏真はこれ以上、唯一と会話をする気はなかった。
「なぜ……とは、聞かない」
唯一の正体も、イエルを必要とする理由も――この男は、ただ周囲を傷つけることを楽しんでいる。
ダンジョンでモンスターと遭遇すれば、モンスターは躊躇いもなく襲い掛かって来る。そこに会話はない。
しかし、唯一は言葉を使い、烏真を翻弄しようとする。
モンスターよりたちが悪い。
「イエルは渡さない」
烏真の拒絶を前に唯一が大きな声で嗤う。
「そっか、そうですよねぇ~……」
その笑みは、どこか嬉しそうだった。
「いや、そう言って欲しかったですよ――」
唯一の手に一振りの短剣が握られている。
いや、どこから出した?
これまでとは違い、懐から取り出すのではなく瞬きした頃には唯一の手に握られている。
「じゃあ、今度こそ殺して連れて帰ればいいですしね」
(少しでも……情報を――)
緋尋はそこで《鑑定》のスキルを使い、唯一を視界に入れる。唯一がモンスターなら正体や能力を調べて、対策を取ろうとした。
しかし、その瞬間、遠くから凄まじい爆発音が響いた。
緋尋が振り返る。
ここではない――
「自分ひとりに、鏑木サンだけじゃなくて《踏破者》の千ヶ峰サンの相手もするのはキツいんでぇ……」
唯一は自分のスマホを取り出して、画面を表示している。
「あ、あれって……」
画面に映し出される映像を前に、緋尋は青ざめる。
「……《血吸花樹》!?」
「ちゃんと生きてますよ、お仲間のみなさん」
あの無限に増殖する怪物たちは、仲間たちを追い詰め続けている。
映像には燐牙や蒼奈にクランメンバーたちが未だに増殖を繰り返す《血吸花樹》の群れの相手をしているが、半数が床に膝を突いている者が見える。
「ゲスが……」
辷は怒りに顔を歪めている。
「ほら、助けに行かなくていいんですか~? それともこっちの相手しますか??」
「……緋尋さん」
しかし、そんな中で烏真だけは冷静に緋尋の名を呼んだ。
「お、おじさま……」
「みんなをお願いできるかな」
「でも……!」
「――蕃弥 唯一はここで止める」
緋尋が烏真を見る。
「……でも、みんなどこにいるのか――」
クランの仲間たちがどこで戦っているのか、緋尋にはわからない。
「ボクが行くよ」
そこで辷が烏真に声をかける。
「……お願いできますか?」
「見当はついてる……緋尋、ボクがみんなのところまで連れて行く。でも、ボクじゃ役に立たない。力を貸してくれ」
「わ、わかりました……!」
そして、辷は緋尋に触れ――転移のスキルを行使する。
「鏑木くん……鷹文のこと、ごめんよ」
烏真のことを調べたときに、きっと鷹文が引き取った子どもだということは辷は知っていた。
しかし、本当のことを言えずにいた。
「父さんのことを知ってるんですよね」
烏真は辷に訊ねる。
辷は父である鷹文と《探索者》として同期だったと言っていた。ならきっと烏真の知らない父の顔を知っているかもしれない。
とても興味があった。
「あ、ああ……そうだね――」
「なら、帰ったらいろいろ聞かせてくださいよ」
「……ああ、任せてくれ」
そして辷が緋尋の手を繋ぎ、転移のスキルを発動し光に包まれていく。
一端、入口へ戻り――そこから《血吸花樹》と戦っているクランメンバーのところに行くのだろう。
「おじさま!」
少しずつ消えていく緋尋が、叫ぶ。
「必ず、帰ってきてくださいね!」
「もちろんだよ」
短く、けれど力強く烏真は言う。
その言葉に安心した緋尋も笑みを浮かべ――辷と共に消えていった。
そして残されたのは、
「まさか、ほんとに残るなんて……逃げればよかったのに」
なんて敵でありながら、唯一は首を傾げている。
「もう、逃げない」
左眼の傷に触れた。
十五年前――逃げることしかできなかった少年。
何も持っていなかった。
何もできなかった。
それでも、ここまで生きてきた。
「――そうですか」
短剣を構える唯一。
「まぁ、おもしろければなんでも――」
知らぬ内に十五年前から続いていた因縁が、いま――ようやく終わりを迎えようとしていた。
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