終に到る病
「……っ」
唐突に目を開くイエル。
それを見て烏真が息を呑む。
白金色の瞳が見えるが、いつものイエルとは違った。瞳の光は消え、焦点も合っていない。
「――――損傷を確認」
声もどこか違っていて、平坦で抑揚がない。
「胸部中枢――損傷率、四十七パーセント」
「……イエル?」
「生命維持機能――低下」
イエルは烏真を見ることなく、天井へ視線を向けたまま動かない。そこにいつもの感情はなかった。
「危険度――高」
「イエル、俺が分かる?」
「――認識しました」
イエルの瞳が烏真を捉える。
「契約対象――鏑木 烏真」
「……!」
契約――初めてイエルと出会ったあの日、烏真はイエルと契約したことで命を繋ぎ止めることができた。
烏真の顔が強張るが、イエルは淡々と言葉を続ける。
「現在、契約は解除されています――停止していたはずの余命は――……」
しかしイエルは最後まで言い終えることなく、
「自己修復機能――起動」
唐突に、言葉が変わる。
傷口から白い光が漏れるのだが、それはすぐに消える。
「……失敗」
「え?」
「修復必要魔力――不足」
だが烏真の魔力はゼロだ。イエルを助けるための魔力を、烏真は持っていない。
「必要魔力量計算――」
イエルの瞳が白金に光る。
「現在保有魔力――不足」
「……どれくらい?」
今度は緋尋が近づいてイエルに聞くのだが、
「比較対象――不適切」
イエルは少しだけ首を傾けた。
「人間一名が保有する魔力量では、修復に必要な最低値へ到達しません」
「……」
烏真は拳を握った。
「じゃあ……どうすれば」
「高密度魔力媒体を要求します」
「高密度……?」
「都市機能維持設備」
イエルの声は相変わらず機械的だった。
「稼働に必要な魔力量を――単独で供給可能な規模」
「そんなもの……」
確かにダンジョンが世界に現われてから、そのダンジョン内で手に入った素材や資材を元にインフラ整備を製造したりもされている。
しかしイエルが要求している都市機能を支えるほどの魔力量だ。そんな規模の魔力を供給できるものが、そう簡単に手元にあるわけがなかった。
烏真は言葉を失う。
そんな都合のいいものが。
こんな場所に、あるわけが――
「……」
その時、後ろで話を聞いていた辷が何かに気づいた。
「待って待って」
辷が振り返る。
「……そういえば」
懐へ手を入れる。
取り出したのは、黒く巨大な結晶だった。それは以前、緋尋が烏真から預かっていたもの――
「緋尋、悪いけど《《コイツ》》を使わせてもらうよ。いいね?」
辷が取り出したのは、《黒甲百足》から手に入れたコアだった。
《深層》攻略の際に緋尋たちはこの終焉級のモンスターに襲われたことで壊滅寸前まで追い詰められたが、烏真が現れたことで九死に一生を得た。
烏真が《黒甲百足》を倒し、その際にイエルがコアを回収したが――烏真にとっては不要の代物だったので、緋尋に渡したのだった。
「緋尋さんまだ持ってくれてたんだね……」
きっと終焉級のコアならば世界に様々な恩恵を与えるであろう高度な技術を取り入れることができたかもしれないのに、緋尋は辷に預かっていてもらったようだ。
「せっかくおじさまに頂いたものですけど、わたしもどうしていいかわからなくて……それでリーダーに相談したんです。そのまま預かってもらってたんですけど……まさか、ずっと持ってくれてたんですね」
「そりゃボクだってどうすればいいか困ってたよ。でも、終焉級ぐらい強いエネルギーを内包してるなら……これを――」
そう言って、辷は開いたイエルの胸元に近づけると、イエルの両目が光り、コアはフワリと浮かんでいた。
「終焉級――《黒甲百足》……コア確認――」
そのまま《黒甲百足》のコアが、イエルの胸へ触れた。
――ドクン。
イエルの身体が小さく跳ねる。
「……っ」
膨大な魔力を内包した黒いコアが白い少女の身体の中へと流れ込んでいく。そして開いたままだった胸の傷がほんの少しずつ塞がり始めた。
「……傷が塞がっていきます」
緋尋が呟く。
傷口は時間を掛けてゆっくりと裂けた皮膚が繋がっていく。まだ完全に傷は塞がっていないが、それでも――イエルは生きている。
「よかったぁ……」
緋尋の肩から、ようやく力が抜けた。
それは烏真も同じだった。張り詰めていた呼吸を、ゆっくり吐き出す。
「……イエル――」
その言葉が、自然に口から漏れた。
「おじさま」
緋尋がイエルを見つめたまま烏真に声を掛ける。
「どうしたの?」
その横で、緋尋が何かを言いたそうにしていた。
「その……」
「ん?」
「さっき……イエルちゃんが言っていたこと――」
緋尋は少し迷ってから、意を決して口を開いた。
「よ、余命って……なんですか?」
「…………」
烏真の表情が止まる。
「聞かれちゃった……ね」
「はい……余命って……おじさま……病気だったんですか?」
緋尋は真剣な顔で烏真を見つめていた。無言のままの烏真を前に緋尋は泣きそうになって、
「わたし、何も知りませんでした」
「……ごめん」
「謝らないでください」
緋尋の声が僅かに震える。
「どうして……教えてくれなかったんですか?」
緋尋の表情に陰を帯びたように見えて、
「いえ……こんなこと……ごめんなさい……教えてもらったところで、わたしじゃ何の力にもなれないですよね……」
緋尋が悲しそうな顔で、自分の無力を悔やんだが――烏真は首を左右に振った。
「もう……大丈夫だと思ってたんだ」
「え……?」
「イエルが病気の進行を止めてくれたんだ」
契約したから止まった――なんて言っても、きっと緋尋を混乱させてしまう。それに烏真も上手く説明できなかったのでそう言い換えた。
「だから、もう余命のことなんて考えなくていいと思ってた……」
緋尋は何も言わない。
「イエルがそばにいてくれる限り……大丈夫なんだって……」
だから言わなかった。
言う必要がないと思っていたから、イエルが烏真の病の進行を止めてくれているから余命のことなんて忘れてしまっていた。
しかしこれは完治したわけではなく、進行が止まっていただけだった。
「おじさまがわたしを助けに来てくれたのは……余命があったから……ですか?」
「それは違うよ。もうその時点で病の進行はイエルが止めてくれていたんだ」
烏真は困ったように笑う。
「ただ……出来ることをやっておきたかっただけだよ」
あのとき、まだ烏真は《探索者》と名乗れる存在ではなかった。
魔力もスキルもなく、それでもイエルのおかげで上がることのなかったレベルが上がり、戦う力もイエルが貸してくれた。
イエルに出会わなければ、緋尋を助けることはできなかった。
だから、イエルに借りた力であったとしても――選んだのは烏真だった。
「余命……って、もし進行が止まっていなかったら……あと、どれだけ――」
「二年……しかも一年は諦めて何もしていなかったんだ。イエルと出会ったのは余命が一年を切った後なんだ」
「そ、それじゃあ……」
緋尋は言葉を失った。
これまで烏真が見せてきた姿。
終焉級へ立ち向かったこと。
自分を助けてくれたこと。
誰かを助けるためなら迷わず前へ出ていたこと。
それらすべての裏側に、残された時間への焦りがあった。
「……そんな」
緋尋の目に涙が浮かぶ。
何も、知らなかった。
「だったら……」
イエルと出会う前に既に二年しかない余命の半分は失われている。
そしてもう今は……夏が終わる手前まで時間が流れている。進行が止まっていなければ、烏真の残りの余命は半年を切っているのだ。
しかし緋尋は声を震わせながら、それでも顔を上げる。
「治せ、ないんですか……?」
その問いに答えたのは辷だった。
「治すことはできるかもしれない」
「本当ですか?」
「ただし、まずは病気の正体を知らないといけない」
辷が自分のスマホを取り出し、画面に手を触れる。そこには大量の文字列が流れ始めた。
その中に、烏真の写真が映し出される。
「それは……」
「鏑木くんには黙っていたけど、緋尋は信頼してたのもあるし……でも、やっぱりキミが《探索者》になったとき……気になっていろいろ調べさせてもらったんだ」
そして、辷はもう一度スマホを操作して、
「……鏑木くんが《探索者》になる前はレベルが上がらないことも、魔力もスキルもゼロだったことも知ってる。それに……余命二年だったこともね」
《探索者》になる前にも試験は受けているからレベルが低かったことも、魔力もスキルも無いことも調べればすぐにわかることだろう。
そして余命二年についても当時、身体の不調を感じて病院に行ったのだから、そのときの情報は残っている。
烏真に関しての情報は国内でも最高位のクランであり、そのリーダーを務めている辷なら、どんな些細なことでも見つけられることだろう。
余命二年――そして不治である病を患った烏真。
その病名を聞いたときも、烏真にはどうしようもできなくて何も考えないようにした。いったいなんの病を患っているのかも辷はきっと知っているのだろう。
「キミの病気は、体内の魔力が異常反応を起こして結晶化する病気だ」
辷が淡々と説明する。
「結晶は少しずつ身体の内側を侵食する。血管、神経、内臓……最後には生命維持そのものを壊す――」
しかし烏真の魔力はゼロのはずだった。
「でも俺の魔力はゼロでしょう……?」
「全くのゼロというわけじゃないんだよ。実際には小数点第十位……いや、もっと細かい数字だろうね。鏑木くんの魔力量は他の人間よりも極端に少ない。だからゼロではないんだよ」
「そのゼロではない魔力に反応して、キミの身体は少しずつ結晶化している……」
「だから……余命二年――」
魔力が高ければもっと病の進行は早まり、すぐ死に至るのだが――烏真の身体は極めてゼロに近い数字の魔力しかなかったからこそ長く生きることが出来たのだろう。
「そう」
辷は頷く。
「だから……生きられた」
烏真は黙った。
自分が他の誰よりも弱かったこと――魔力もなく、スキルもなく、しかしその弱さのおかげで、烏真はこうして生きている。
「俺が弱かったから……生きられた?」
「素直に喜べないけどねぇ……」
辷は苦笑した。
「あの……」
そこで緋尋が手を上げる。
「その、病気……本来ならすぐ死ぬって……ことは、おじさま以外にも同じような病気になった人がいたってことですよね……?」
緋尋の純粋な疑問を投げかける。
「なぁ……鏑木くん――十五年前に地上にモンスターが現れただろう?」
しかし辷は緋尋の疑問に答えず、それどころか突然に烏真にそんなことを聞いて来る。
「ボクも知っていることを話すよ……だから、まずは、その左眼の傷について教えてくれないかい?」
「それは……」
烏真が左眼に触れる。
それは十五年前、唐突に現れたモンスターたち――その中の一体に付けられた傷だった。
そして左眼の傷だけではなく、義理の父も喪ってしまった思い出したくない事件だ。
けれど、辷も何か話をしてくれると言うなら……きっとそれは烏真が知らなければならないことがあるはずだ。
「わかりました」
なら、ここではっきりとしよう。
烏真はコクリと頷き、話を始める――あの十五年前の、事件のことを。
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