終りなわけがない
イエルの胸元に短剣が深々と突き刺さる。
床に倒れたイエルを前に、蕃弥 唯一は懐からもう一本、短剣を取り出していた。
わからなかった。
何が起きたのか、理解できなかった。
目の前にいた唯一を左眼で捉えたとき、人であるはずの唯一の身体に線が浮かび上がった。そしていつの間にか唯一は烏真の背後にいた。
「鏑木サンが強すぎるから、こうするしかないんだよね」
「イエル――」
ぐったりと倒れたまま動かないイエルへ、唯一は再び短剣の切先を向ける。
「あ~……これ……人間じゃないでしょ?」
まるで最初からイエルの存在を知っているかのような口ぶりだった。
「だったら、もう一本オマケしときますかぁ」
唯一の持つ短剣がイエルの額に向かって振り下ろされる。
一手遅れた――そのせいでイエルは傷つけられた。
烏真は後悔に圧し潰されそうになった。しかし、ここで動くことを止めてしまったら――今度こそ本当にイエルを喪う。
人間ではない。
そんなことは知っている。
それでも、イエルは烏真にとって命の恩人だ。
余命二年と告げられ――全てを諦め、それでも夢を諦めきれず、潜ったダンジョンの先でイエルと出会った。
契約し、力を貸してもらった。
いまの烏真が存在しているのはイエルのおかげだ。
ここで、奪われていいのか?
ふざけるな。
「――――は?」
振り下ろされた刃がイエルの脳天を貫こうとしていた。
しかし、それよりも早く――烏真は立っていた床を踏み抜くほどの強さで駆け出した。
結晶の剣は烏真の手から消えていた。
その剣はイエルが創造したものだ。烏真のものではない。イエルの意識が途絶えたことで丸腰になった烏真。
しかし烏真はイエルと出会う前から魔力も、スキルも何も持ち合わせていない。
それでもレベルだけは……上がり続けた数字だけは、烏真を強くしてくれた。烏真のレベルは四桁を超えている。人類は未だ到達していない領域。
やるべき行動はたった二つ。
唯一がイエルをもう一度、刺すよりも早く走る――そして、刃がイエルに届くよりも早く拳を叩き込んだ。
唯一の腹部に烏真の右拳がめり込み、そのまま振り切った。唯一の身体は砲丸でも撃ち込まれたようにくの字に折れ、そのまま壁に叩き付けられた。
「もう……別に鏑木サン……ひとりでいいんじゃ、ないですか?」
唯一は烏真の全力の殴打によって壁にめり込んだまま動けない。しかし烏真は唯一の軽口に付き合うつもりは毛頭なかった。
倒れるイエルをそっと抱きかかえる。
胸元に突き刺さった短剣。しかし血は流れず、ただ眠っているようにしか見えなかった。
「イエルちゃん……ッ!!」
イエルを抱きかかえる烏真に勢いよく近寄る。
「はは、なんだ……鏑木サン、どう見てもレベル高すぎますって。べらぼうに強いってぇ……」
烏真に一度、殴られただけで唯一は完全に行動不能になっていた。
「まぁ、いいか――……」
しかし唯一は一人で納得し、静かに両目を閉じている。
「久しぶりだな、外道」
辷が、拳銃型の武装を取り出していた。その銃口は眉間を捉えている。
「えーっと……どなたですかね? いや、その……視界がボヤけてよく視えないので――」
「こっちが勝手にお前のこと知ってるだけだ。名乗らないよ」
辷はそっと引鉄に指をかける。
「その声って……十五年前の――」
ズドンッ!
辷は、すでに引鉄を引いていた。唯一の眉間は撃ち抜かれ――そのまま事切れた。
間違いなく、頭部を撃ち抜いた。
「……ひどいなぁ――話は最後まで聞かないとぉ……」
唯一の額は貫かれている。
血は滴り、瞳から光は抜け落ちている。それでも――唯一は平然と声を上げるのだった。
「……ずっと準備してたのに、こんなところで台無しにされたら我慢した自分がバカみたいじゃないですかぁ――ねぇ?」
そして唯一の身体が泥のように崩れていく。
「……こいつ――」
泥人形のように崩れていくその姿を見て、これが本体ではないことは烏真にもわかった。
「……じゃあ、先に行ってますんで」
そのまま完全に黒い泥のように崩れ、跡形もなく唯一は消えてなくなった。
「リーダー!」
「ごめん、逃げられた……」
緋尋が辷に声を掛けるが、辷は苦虫を噛み締めるような顔をしていた。
「いえ……その……」
だが緋尋は倒すべき敵を逃がしたことよりも、
「イエルちゃん……」
烏真の手の中で動かないイエル。
動かないイエルをずっと見つめたまま――
「お、おじさま……」
あまりの悲惨な光景に緋尋は烏真にどう声をかけていいかわからなかった。
「……くっ」
だが、烏真は今にも倒れそうなほどに態勢を崩した。イエルを落とさないように抱きしめていた。
「鏑木くん」
「す、すみません……その――」
烏真もこの状況を前にどうしていいのかわからなかった。
「いや……それより、鏑木くん。キミは大丈夫なのかい?」
「………………えっ?」
辷の問いに烏真は顔を見上げる。辷は何も言わず人差し指を鼻の近くに向けていた。
「これは…………」
ポタリ、と――烏真の鼻から血が流れていた。
イエルと契約してから、ここまで無傷で戦い抜いてきた。モンスターの攻撃を受けても上昇を繰り返したレベルのおかげで強靭な肉体を手に入れた。
それなのに、何の攻撃も受けていない烏真の鼻から血が流れていた。
「ああ……そうか――」
薄々、気がついていた。
イエルが倒れたことで左眼の力も、結晶の剣も失われた。
左眼はイエルと契約する前から線は見えていたはずなのに――
だが、いまはそんなことよりもイエルが活動を停止したことで、止まっていた余命のカウントダウンが動き出したということだ。
余命二年――そして残り一年を切ったところで、烏真はイエルと出会った。そして本来ならば終わるはずだった命をイエルが繋いでくれた。
しかし、命を繋ぎ止めてくれたイエルはもう動かない。
「情けないな……俺は、イエルに何も返せていないのに――」
それでも烏真は自分の命が終わることよりも、イエルに何一つ返せていないことを悔やんだ。
イエルに出会わなければ、とっくに終わっていた命だ。
「イエルちゃんが倒れてから、突然その不調だ。鏑木くん――キミに何があったんだい?」
「それは……」
烏真は何も言えなかった。
どう説明していいかわからないことだらけだった。
「じゃあ、鏑木くんはこのままでいいのかい?」
「良くない、です。イエルを……助けたい」
烏真はイエルの胸元に深く突き刺さる短剣を抜くことすらできなかった。
「だよね」
辷が大きく頷いて、そっと身を屈める。
「イエルちゃんを助けなきゃね」
辷が立ち上がって、
「だって、あんなワケわからん連中に好き放題とか耐えられないよ」
そして、辷は両手を重ねて床に触れる。
「リ、リーダー……それ、は――……」
緋尋は瞬きすることすら忘れるほどに、その光景を見つめていた。
「あなたは……どうして……?」
烏真も辷の行動を前に驚愕していた。
それはイエルと同じ転移を行うときの光に似ていた。
「こんなところで終わっちゃうのは困るんだよ……」
そして辷は烏真に手を差し出し、
「鏑木くんは、どうしたい?」
烏真はイエルを見つめる。
静かに眠ったように動かないイエル。そして――
「…………」
緋尋は不安そうな表情のまま烏真を見ていた。
「イエルを、助けたいです」
烏真は鼻血を拭い、辷の手を取った。
――《不治なる不死》――
――《進行率:79%》――
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