伝えたいこと
【REVER§E】――蕃弥 唯一。
ダンジョンやモンスターではなく《探索者》を狙う、もはや《探索者》とは呼べない最悪の集団。その中で自ら名乗り、顔も隠さず狡猾に緋尋の命を狙った。
余程、捕まらぬ自信がなければこんな大胆なことはできない。
しかし逃げてしまった。このまま追うべきか――しかしあの異質な男を前に緋尋は単身で追跡する気にはなれなかった。
烏真も首を左右に振って、これ以上深入りするのはやめた方がいいと言わんばかりだった。
烏真はどれだけレベルが高くとも、地上では左眼の力が使えない。なぜかダンジョンでしか発動しない切り札だ。謎の多い敵を相手にするには大きな不安材料だった。
それに路地裏と言えど騒ぎに引き寄せられるようにスマホを持った一般市民たちが近づいてくる。巻き込んでしまう危険性も無視できなかった。
「追跡は推奨できません」
イエルがそう呟く。
「囮の可能性――敵が何人いるかもわからぬ以上、下手に動くのは危険です」
「確かに……イエルの言うとおりだ」
「はい……その、ごめんなさい――わたしが不甲斐ないばっかりに」
緋尋が悔しそうに拳を握る。だが、烏真は首を横に振った。
「いや、仕方ないよ……それに――」
足元へ視線を落とす。先ほど倒した男たちのうち、数人はその場に転がったままだった。気絶しているだけなのか、微かに呻き声が聞こえる。
「全員を連れて行く余裕はなかったみたいだし、情報はこの人たちから引き出せばいいんじゃないかな」
緋尋もその男たちを見る。身体の一部に【§】の刺青。
「おっしゃる通りですね」
緋尋が溜息を吐く。
突然の強襲に緋尋も肝が冷えたが収穫もあった。彼らの正体に繋がる手掛かりはなんとか手に入れられたのだから。
遠くからサイレンの音が近付いてくる。《探索者協会》の車両も見える。
「さすがに速いですね」
イエルが感心したようにそう言った。
それから二、三分もしないうちに路地裏には《探索者協会》の職員と《探索者》たちが駆け込んできた。
その中には緋尋と同じクランの仲間もいた。
「緋尋、大丈夫!?」
数人の《探索者》が緋尋を囲むように声をかけている。
「うん、大丈夫だよ。そっちは……」
緋尋の視線が仲間の身体に巻かれた包帯を見てドキリと反応する。
「それが……こっちも襲われてね――なんとか退けたんだけど……逃げられて」
だが女性の《探索者》は腕をぐるぐる回して「かすり傷だから」と言っているが緋尋はおどおどしていた。だが深呼吸をして意識を切り替える。
「そこに倒れている三人の襲撃者を拘束してくれますか」
「了解しました!!」
職員たちは倒れている男たちへ駆け寄り、拘束具を装着していく。その間にも現場検証が始まり、辺りは一気に騒がしくなった。
やがて一人の職員が烏真へ歩み寄る。
「鏑木さんじゃないですか」
「えーっと……たまたま通りかかりまして」
苦しい言い訳である。
「そうですか……ただ今回の件について、お話を伺いたいのですが」
烏真は困ったように笑った。
「それはもちろん――ただ、今日はどうしても帰らないといけなくて……」
「それでも結構です。後日でも構いませんので、ご協力をお願いします」
「わかりました」
必要最低限だけ事情を説明すると、職員は深く頭を下げた。そう言って別の職員の元へ向かっていく。
「……お、おじさま」
緋尋がおずおずとしながら烏真に声をかける。その表情は、先ほどまでの凛々しい《踏破者》のものではなかった。
どこか不安そうで、迷っているようにも見える。
「ご、ごめんなさい……また、おじさまに迷惑をかけてしまって――」
烏真は首を傾げた。
「俺が勝手にやっただけだよ。千ヶ峰さんが謝ることなんてないよ」
「いつまでも、いつまでも……わたし、おじさまの手を煩わせてばかり……」
それはとてもか細い声で、烏真の耳には届かなかった。
「千ヶ峰さんが無事でよかった。じゃあ……俺たちは帰るよ」
「あ、は、はい…………」
それでも緋尋の視線は烏真から離れなかった。
何か言いたげな緋尋だった。
それなのに、周囲には協会職員が何人もいて、現場検証も続いている。今、この場で話せることではない。
「また何かあったら連絡してくれると助かるよ」
烏真は柔らかく笑うと、イエルと並んで路地裏を後にした。その背中を見送りながら、緋尋は唇を噛む。
(今しか……ない)
五年間――ずっと胸にしまってきた想い。もし今日を逃せばまた言えなくなってしまう。向き合わなければ――助けてもらってばかりで、何も返せていないから。
「……ごめん!」
緋尋は近くにいた仲間に声を掛ける。
「先に帰るね――」
「えっ?」
「ほんとごめん! 何かわかったら教えて!!」
返事を聞くよりも早く、緋尋は走り出していた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
都内ダンジョン入口。
《探索者》たちが行き交うその場所で、烏真は足を止める。ダンジョンを経由すれば烏真はイエルの力で田舎の家に帰れる。
ここが東京だというのに、いつも関西の山奥を行き来しているなんて誰が信じるのだろうが。
「人目のないところまで進んでから帰ろうか」
「はい」
イエルが小さく頷く。
その時だった。
「……おじさま」
背後から聞き覚えのある声に烏真は振り返る。駆け寄ってきたのは緋尋だった。
「千ヶ峰さんが? ……どうしてこんなところに?」
「そ、その……」
声に戸惑いはあるが緋尋は真っ直ぐ烏真を見つめている。
「あの……」
でも言葉が続かない。ここまで走ってきたのに、いざ本人を前にすると胸がいっぱいになる。
烏真は急かすことなく待ってくれていた。
「少しだけ……」
そしてようやく絞り出して、
「お時間を……いただけませんか?」
烏真は少しだけ首を傾げる。
「何かあったの?」
緋尋は視線を落とした。
「その……わたし……」
それだけ言うと、再び黙り込む。
ダンジョン入口には《探索者》たちが絶えず出入りしている。あの《踏破者》の千ヶ峰 緋尋が何故か《上層》にいることに困惑している《探索者》たちが何人もいる。
それどころか配信者としても有名な緋尋を前にザワザワと空気が騒ぎ出す。とてもここで会話できる状態ではなかった。
烏真も周囲を見渡し、苦笑した。
「ここで立ち話するような内容じゃなさそうだね」
「……ごめんなさい、わたし――」
少し考えればわかることなのに緋尋はただ烏真を追いかけることしか頭になかった。
「やっぱり……」
また烏真に迷惑をかけてしまった――そう思うと、緋尋は萎縮してしまい言葉が続かない。
烏真もどうしていいかわからず、だがそのときイエルが緋尋の横に立っていた。そして緋尋の耳にしか聞こえない声で、
「でしたらマスターの家に来ませんか?」
「……へ?」
まさかの提案に緋尋は情けない声を上げてしまう。
イエルは人前に晒される場合は認識阻害を用いて、他の《探索者》たちには存在を気付かれないが緋尋はイエルを認知できるように行動している。
だから顔も見えるし、声も聞こえる。
しかし、まさかそんなことを言われると思わなかったのでわなわなと震えていた。
「ここが人が多いので移動しましょう」
そして烏真はこくりと頷いて、そのまま《上層》を潜る。緋尋も無言のまま烏真の後ろを追いかける。
――「い、いまの千ヶ峰さんだったよね?」
――「見間違うわけねぇけど……なんでこんなところに?」
――「そもそも誰だあのおっさんは?」
背後で色んな言葉が飛び交っているが、烏真も緋尋も無視してとにかく先へ進む。
「お、おじさま……どこに?」
いきなりダンジョンを潜り出す烏真に問い掛ける。しかし人の眼があるところで詳しいことは言えないので、イエルが「ついて来てください」と緋尋に言っていた。
「ここなら、大丈夫かな」
そして烏真たちは誰もいない岩陰に隠れるように移動する。
「千ヶ峰さん、その……俺は家に帰るんだけど――ほんとに、いいの?」
「は、はひ……」
噛んでる。
「イエルが俺の家に来ないか誘ったでしょ……ダメだよ。こんなおっさんの家にキミみたいな若い子が――」
すでにダンジョンをいっしょに移動している時点でダメな気がする。変な噂でも立てられたら大変だ。烏真では責任が取れない。
「千ヶ峰さんは有名人なんだから」
緋尋は呆気にとられた。
まさかそんなことを言われると思わなかった。知らない大人の家に行くわけではない。烏真の家なら是非もない――そう思っていたのに、
イエルが静かに緋尋の前に立っていた。
「問題ありません、私はマスターと同居しています」
真顔でピースしてる。なんだそのピースは。
「いや、そうだけど……」
確かに事実なので否定できない烏真。そんな烏真に対してイエルは真顔のまま続ける。
「ですので、マスターと緋尋さまのふたりきりではありません」
「…………ううっ」
烏真は思わず額を押さえた。
「そ、そういう問題じゃなくてさ……」
イエルはきょとんとしたまま首を傾げる。
「どういう問題ですか?」
「女性が一人で男の家へ行くこと自体が良くないんだよ」
ましてやこんな歳の差のおっさんの家なんて――いや、イエルも女の子だが?と言われれば、烏真に勝ち目はないのだが。
しかしイエルは数秒考える。
「理解しました」
「わかってくれて助かるよ」
「私が緋尋さまと同室で過ごします。」
「…………うーん」
烏真は思わずうなり声を上げてしまった。
「いや、だからイエル……」
すると、今度は緋尋が口を開いた。
「わ、わたしは構いません!」
「え?」
緋尋は顔を少し赤くして挙手してそう言った。なぜ挙手をしている?
「イ、イエルちゃんもいっしょなんですよね?」
少しだけ恥ずかしそうに笑う。
「おじさまと、その……どうしてもお話がしたくて――」
緋尋には烏真を話がしたい理由がある。そして会話をするために誰にも邪魔されず最適な場所があるのなら、緋尋はいっしょに行きたい。
その真剣な眼差しを見て、烏真は言葉を失う。
「それに、おじさまは……わたしのことを心配して、そう言ってくれてるんですよね?」
烏真は答えなかった。
緋尋の眼差しを前に拒絶できなかった。そして何か言ったところでイエルが緋尋を援護するので勝ち目はどこにもない。
「わかったよ……」
降参するように烏真は両手を上げた。緋尋は嬉しそうに微笑む。
「マスター、構いませんね?」
「まさかイエルがそっちに付くとは……」
「裏切ってなどいません。私はこれからもマスターと共にいます。ですが……」
チラリと緋尋を見るイエル。
『あの不逞な輩は……緋尋さまを狙っていました――ひとりにするのは危険です』
烏真の頭にテレパシーでイエルがそう告げる。それに関しては烏真も最初からわかっていたことだ。だが、どうしても異性を自分の家に招くのは烏真にはとても出来なかった。
だが、後悔もしたくない。
また知っている人がどこかで――傷ついて、ましてや――
(やめておこう……悪いことは想像もしたくない)
それ以上、烏真も考えることはやめる。
「それでは帰還します」
イエルが手をかざす。
「あ、これって……」
その光を見て緋尋は理解する。地上に帰してもらった光と同じだと。
「お願い」
烏真がそう呟くと、イエルはそっと緋尋の手を握る。
「お手を離さぬように」
「う、うん……」
おずおずと緋尋はイエルの小さな手を握り返す。
力をこめると壊れてしまいそうなぐらいに小さくて柔らかなその手を。
そのまま緋尋は真っ白な光に呑みこまれた。
烏真がどんな家に住んでいるのか期待している自分がいた。
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