嗤う三日月
「どうして……」
ここは都心だ。
烏真が暮らしているのは関西だということしか知らない。どんな家に住み、どんな生活を送っているのかも知る由もない。
だからこそ、烏真がこんなところにいるはずがない。
しかし都合の良い妄想ではなく、紛れもなく現実だった。胸の奥で張り詰めていた糸が、少しだけ緩んだような気がした。
そんな烏真の隣から、小柄な少女が一歩前へ出る。その少女のことも緋尋は知っている。イエルという名の少女――その長い一本の髪が静かに揺れていた。
「い、イエルちゃん……」
「マスターの言葉を覚えていますか?」
閉じられた双眸。感情をほとんど感じさせない声色。
「気をつけてください――、と」
イエルの言葉に、緋尋は小さく頷いた。
「うん……」
「マスターが――」
そこでイエルは周囲の敵を見渡す。
「緋尋さまのことを気に掛けて、ここに来た次第です」
緋尋の予定を聞いたあのとき、そして「気をつけて」と声をかけた瞬間から次の行動は決まっていた。
烏真の家から関東のダンジョンに転移し、会長の記者会見は《探索者協会》で行われているのは配信でわかっていた。ならその近くにいれば、と。
「思っていたより、状況は良くないようですね」
イエルは緋尋の手を握り、辺りを見渡せば――黒ずくめの男たちが凶器を持ち、殺気を滲ませている。
その様子を烏真は目を細めたまま拳を握り締める。
「君たちなのか……あのニュースの……《探索者》を殺した犯人は――」
烏真は睨みつけるようにそう言った。
そしてゆっくりと前へ歩き出る。その瞬間、【§】の刺青を刻んだ男たちの表情が変わった。
誰も命令は出していない。それでも全員が無意識に半歩だけ後ろへ距離を取る。
烏真を前に男たちの本能が警鐘を鳴らしていた。しかし烏真は敵を見渡し、小さくため息をつく。
「答えないのか……?」
烏真の問いに答えず、返事の代わりに敵は一斉に武器を構えた。
「……そうか――」
夜風が吹き抜ける。静まり返った路地裏で、烏真は更に一歩だけ前へ出た。
「千ヶ峰さん」
「は、はい……!」
烏真が一言だけだった。
「ここは俺に任せて欲しいんだけれど」
緋尋のレベルならば問題なくこの場を切り抜けられるというのに、烏真が向ける強い眼差しに緋尋は無言で首を上下に振ることしかできなかった。
「なんだ、この男は――」
男たちは顔を見合わせる。
「どうでもいい、処理するのがひとり増えただけだ」
「やれ」
三人が一斉に飛び出す。だが烏真は同時に拳を鳩尾に撃ち込み沈める。そのまま身体を捻り、もう一人の腕を掴んで地面へ叩きつける。
最後の一人が短剣を振るったが烏真は刃を紙一重でかわし、手首を払った。
乾いた音が響き、短剣が宙を舞う。続けざまに腹へ一撃。男は壁まで吹き飛び、そのまま動かなくなった。
わずか数秒。
「やっぱり……すごい……」
緋尋は思わず息を呑む。緋尋の目でも捉えるのがやっとの動き。一瞬で三人を倒すその強さに他の男たちも戦慄していた。
(地上だと……やっぱり《《視えないか》》)
烏真は自身の異常に気付いている。
あっという間に敵を倒すことができたが、いつものように左眼の《看破》の力は発動していない。
そもそも念じて使えるわけではなく、脅威が近づいて初めて発動する。
しかしダンジョンではなくここは地上。敵はモンスターではなく人間。どうやら烏真の左眼は《ダンジョン》のみ限定的に発動する代物だった。
僅かに眉が寄る。
ダンジョンの中なら、左眼は敵の動きも魔力も捉えられる。だが地上では何も感じられなかった。
だから今は自分の勘だけが頼りだった。しかし烏真のレベルならば問題なくこの事態を突破できるだろう。
男たちは突然の乱入者に状況を後手に回され焦燥していた。短剣を構えこそすれど、烏真に襲い掛かろうとはしなかった。
その時だった――
パチ。
パチ。
パチ――と、拍手が起こる。
場違いなほど楽しそうな音が闇夜に響いた。
「ダメダメェ……キミたちじゃあ、どうにもならないからぁ~」
暗がりから、手を叩きながら一人の男が歩いてくる。
「ってか情弱すぎん? 無知すぎて罪すぎるってぇ」
他の男たちと同様に黒いフードを身に纏っているが、顔は隠していなかった。
三十代ほどの片方を刈り上げた髪型をし、右眼に被るように【§】の紋章が刻まれている。他の男たちと比べて異様な出で立ちをしている。
人懐っこく笑みを浮かべ、まるで旧友にでも会いに来たような軽い足取りだった。しかしそれは面のように作った顔を上から貼っているようなほどに不自然だった。
軽快な様子で現われるが、他の男たちはどこか緊張した面持ちでゆっくりと後ろへ下がっていく。
「いやぁ~……こりゃすごい」
倒れている仲間を見下ろす。
「あちゃ~やられちゃったか」
頭を掻きながら笑う。その言葉に倒れた男たちは何も返さない。そして烏真を見る。
「えーっと、自分……蕃弥 唯一っていいますぅ~」
笑顔のまま唐突に自己紹介を始めた。
「えっと、そっちの千ヶ峰……緋尋サン狙いで来たんだけどぉ……まさか話題の【003】サンに会えるとは思わなかったなぁ」
何を言っているのか烏真にはわからなかった。それは掲示板で烏真が呼ばれている通称なのだがそんなこと本人は知らない。
烏真は構えを崩さずに、
「俺を知ってるのか……?」
「そりゃ~もちろん!! 有名人ですぜぇ??」
謎の男……唯一はテンションを上げたまま即答した。
「業界の間でとっても有名。何せあの終焉級をやっつけて、ひと月前の試験でも受験者を守りながらヤバいモンスターをやっつけたんでしょ? めっちゃすごい。かっこいい!」
わざとらしく両手を叩く速度が増し、叩く音も大きくなった。
「もっと怖い人かと思ってたぁ~どこにもいる普通のおっさんじゃん。あ~でも――」
ぴたりと手を止める。
「その左眼は……なんか《《やばそうだ》》」
それでは軽快そうに笑う気さくな男にしか見えなかったが、烏真の左眼についた傷と、白い水晶のような瞳に視線を映した途端、鋭い矢のように烏真を睨んでいた。
「あなた……何者ですか……」
だが間に割り込むように緋尋が言う。
「きみほどの人間ならボクらのことも知ってるでしょ?」
なにを今更と言わんばかりに、つまらなさそうにそう言ってポンポンっと唯一は右眼に刻まれた【§】の紋章を指先で叩くように、
「ボクはただの【REVER§e】の一人だよ。仕事をしに来ただけ」
「人を傷つけるのが……仕事ですか?」
緋尋は双剣を持つ手に力が入る。
「そうそう、天職なんだぁ。お金を受け取って、指示されたヤツを殺す――」
緋尋から視線を外さない。
本能が警鐘を鳴らしている。この男は危険だ……ここで倒さなければ。
すかさず緋尋は両目の《鑑定》を用いて唯一のステータスを開示しようとするが、
「めっちゃ見てくる~。照れるじゃん」
緋尋の視線を遮るように唯一の前に仲間たちが壁になるように前に立ち、緋尋の《鑑定》を逃れるように視界から消える。
《鑑定》は対象を視界に入れなければ発動しない。唯一は自身の能力が知られまいと、姿を隠す。
「いや、まさか……例のおっさんがいるとは思わなかったし、さすがに準備不足だわ」
そのまま小さく「目的は果たしたし」と言っているがその言葉の意味は烏真も緋尋もわからない。だが唯一だけが満足そうに笑ったまま闇夜へと消えていく。
「お~い、おまえらもさっさと帰るぞ」
そう言うだけで武器を構えていた男たちが一斉に脱力し、武器を懐に収め唯一の後を追うように走り去る。
しかし倒れている男たちを連れて帰ろうとはしない。逃げることを最優先にしている。
「千ヶ峰サン」
暗闇の向こう側から厭な声だけが聞こえる。
「次からは夜道にひとりで歩いちゃダメだぞ」
今度こそ気配が消えた。
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