《探索者》殺し
腹部へ衝撃が走る。
(――しまった)
緋尋がそう思ったときにはすでに遅かった。凶刃の先端は間違いなく腹部を刺突する。
しかし、
ギィィィィンッ――!!
夜の静寂を裂くように、金属音が響き渡る。
「……なっ!?」
男が目を見開いた。
その顔に浮かんでいたはずの確信は一瞬で驚愕へと塗り替わった。だが緋尋自身も何が起きたのか理解できなかった。
刃は確かに腹部へ届いた。
避けきれなかった――いや、避けられなかったと言うべきか。
(気配が……なかった)
目の前の男は、一般人を装っていた。
緋尋には殺気すら察知できなかった。敵意も感じなかった――すれ違う、その瞬間まで。
通り過ぎたと同時に左袖の内側から滑るように現れた短剣。黒い刃が見えた頃には緋尋の腹部に目掛けて刺しこまれた。
《踏破者》でありながら、しかも《探索者》として世界で七位の実力を持っているにも関わらずその不意打ちに対処できなかった。
しかし刃は服装の表面で止まっていた。
緋尋の着ている装備は《深層》攻略の際に壊れてしまったが、イエルに終焉級《黒甲百足》の素材を編み込んで修復してもらった。
素材に《黒甲百足》のものを使われたことで、刃を通さぬ効果が得られていた。そのおかげで緋尋の命が断たれず、間一髪助かったのだ。
また救われた。
ふと脳裏に烏真とイエルの顔が浮かんだ――助けてもらってばかりだと、
「なにぃ……!?」
男が思わず声を漏らす。
刹那、男の動きが一瞬遅れたことを緋尋は見逃さなかった。
「先に手を出したのはそっちだからね」
赤い軌道が奔り、緋尋の左手が男の手首を掴んだ。
そして、
「――っ!!?」
逃がさない。
そのまま踏み込み、腰を捻った。
ゴキリ、と鈍い音。
「がぁぁぁぁぁっ!!」
男の悲鳴が夜へ響いた。
手首が不自然な方向へ曲がり、短剣がアスファルトへ転がる。
命を奪ろうとした者に対して緋尋は決して容赦しない。そのまま横腹へ鋭い蹴りを叩き込む。
男の身体が数メートル吹き飛び、背中から地面へ叩き付けられた。
「かはっ……!」
息が詰まり、男は立ち上がれない。緋尋は一気に距離を詰め、双剣の片割れを取り出す。
「どうして……こんなことを?」
しかし返事はない。
「答えて」
緋尋は刃を向けたまま、淡々と言う。それでも男は額に汗を滴れながら苦しそうに笑った。
「……さすがは、《踏破者》――まさかそんな装備まで……」
「質問に答えて」
「くくっ……」
男は笑うのをやめなかった。しかし緋尋の問いに答えない苛立ちよりも男の様子に違和感を覚えた。
(笑ってる……?)
片腕の骨を折り、横腹を容赦なく蹴り入れたにも関わらず男はどこか余裕を残しているようにも思えた。
「……時間稼ぎ?」
だが緋尋の言葉に、男は何も答えない。だが緋尋は男を視界に捉えたまま剣先を向ける。
まるで話にならない。しかし男は気味悪く笑みを浮かべたまま腕の袖を捲った。
その露わになった右腕――そこへ刻まれていたのは、不気味な二本の線が絡み合った紋章のようなものだった。
【§】
「それは――――」
緋尋の声が強く響く、それと同時に息が止まる。
その印を緋尋は知っている。いや、誰もが知っている。その紋章を刻む者は決して関わってはならないと言われている。
《探索者》でありながらモンスターを狩るのではなく、人間を狩る《探索者》の成れの果て。
決して近づいてはならない。
しかし、それは向こうから獲物を狙うように近づいて来る。
「【REVER§E】」
「ほう、知っているのか」
「知ってるよ。《探索者》殺し――」
緋尋も知っているのは名だけだ。
だが今朝のニュース、それを見たとき緋尋は頭の片隅でこの名が浮かんでいた。
【REVER§E】を名乗るクランに所属する者はどれだけの規模か、何人いるのか、何一つ情報がない。わかっていることは、ただ人間を狙う狡猾で姑息な連中でいるということだけだ。
何故そんなことをするのかも、その実態もほとんど掴めていない犯罪集団でしかない。
「今朝のニュース……あれも――《《そうなの?》》」
「なんのことだぁ? どうでもいい、ただあんたには死んでもらいたくてね――千ヶ峰 緋尋」
「人気者は辛いなぁ」
配信者としてもトップ層にいる緋尋の知名度はもはや知らぬ者などいないレベルだ。だが、今日まで生きてきて命を狙われるようなことはなかった。
「でも、今日は……やめておくよ」
男は懐から白い丸い玉を地面へ叩き付けた。
パンッ!!
弾ける音と共に白煙が一気に広がった。
「こいつ……!!」
緋尋はすぐさま追いかけようとしたが視界が真っ白で、何も見えない。だが、このまま逃がすわけにはいかない――掴まえて、情報を引き出す必要がある。
煙を吸い込み咳き込みそうになるのを堪え、緋尋は気配へ集中する。
(右……!)
煙の向こう。足音が聞こえる。
このままでは逃げられる――緋尋は迷わず煙の中へ飛び込んだ。白煙を超えた先で男は路地裏を一直線に駆け抜けていく。
「逃がさないッ……!!」
緋尋のスキルを持ってすれば追い付けないわけがない。
即座に両目が朱く光り、《過機動》を使用する。朱い奔流のように緋尋は加速し、距離を一気に詰める。
緋尋が加速したと共に白煙を吹き飛ばし、逃げる男の距離が一瞬で縮まった。
腕と脇腹には間違いなく緋尋の攻撃を受けて、常人ならば動くことすら困難だというのにまるで痛みを無視するかのように、ただ緋尋から逃げることだけを優先している。
しかし逃がすつもりもない緋尋は加速する速度を止めず、進み続ける。
「追い付いたッ!!」
男が角を曲がり、緋尋も続いて飛び込む。だが、そこで男は突然、足を止めた。
「……え?」
逃げない。突然、立ち止まり振り返った男の口元がゆっくりと歪む。
「若いねぇ……」
まるで最初からこうなることが解っていたように。
「独りでこんなところまで来て良かったのかな?」
その笑みを見た瞬間、緋尋の背筋を冷たいものが走った。
(……まずいなぁ)
男は逃げていたのではなかった。緋尋を誘っていたのだった。
路地裏を超えた先、人気のない高架下。街灯の光も届かない細い路地。男は折れた手首をぶら下げたまま、不気味な笑みを浮かべている。
カツン、と――背後で小さな足音が響いた。
暗闇の奥から、一人の男が姿を現した。柱の裏、壁の隙間、棄てられたコンテナの陰。次々と人影が現れる。
一人。
二人。
三人――まだ増える。
全員が黒い装備に身を包み、それぞれか頬に刻む者もいれば、手の甲に【§】の紋様を刻み込んでいる。
胸の奥がざわつく。
(囲まれた……)
退路も、いつの間にか塞がれている。最初の男が口元を吊り上げた。
「いかに《踏破者》とはいえ、この数を相手にできるかな?」
緋尋は静かに息を吐く。視線だけで敵の位置を確認する。
正面に四人。
左右に二人ずつ。
(こんなに……)
緋尋ですら気配を察知することができなかった。気配を遮断するスキルを持っている者がいるのだろうか。
ジリジリと獲物を囲み、確実に仕留める暗殺者たち。
その複数の中で顔がはっきりと見えている最初に緋尋に襲い掛かった男に対して緋尋は《鑑定》を発動する。
――――――――――――
レベル【100】
魔力:なし
スキル:なし
――――――――――――
(どういうこと……?)
おかしい。
いくらなんでもレベルが低すぎる。にも関わらず緋尋に察知されず、しかも片腕を折られ、横腹に蹴りを食らい吹き飛んだにも関わらず平然としている。
問題は魔力もスキルも持っていない。それはまるで――
「逃がすなよ」
薄気味悪く嗤う男――そして【§】の紋章を刻まれた暗殺者たち。拭えぬ違和感。しかし緋尋は双剣を下ろさなかった。
「全員……倒せばいいか――」
空気が張り詰める。最初に飛び出した男の短剣が喉元を狙う。
「遅い」
赤い刃を振り払う。
ガキィンッ!!
短剣が弾き飛ばされ、そのまま柄頭が男の顎を打ち抜く。そのまま男は意識を失い、その場に崩れ落ちた。
背後。
風を裂く音。振り返ることなく、そのまま肘を叩き込む。
「ぐっ……!」
二人目も倒れる。
だが、それで終わらない。
陰から四人組が姿を現し、一斉に襲い掛かる。敵たちは息つく間もなく黒い短剣を振りかぶる。
しかし緋尋は動じない。双剣が夜を裂く。
順番に斬り伏せて行く。一人倒れると他の襲撃者たちはすぐに離れ、距離を置く。決して一人では戦おうとはしない。
(統制が取れている)
全員を《鑑定》していないので他の男のステータスはわからない。しかし、動きは高難度ダンジョンを潜る熟練されたパーティそのものだった。
それでも緋尋は表情を変えない。
レベルは緋尋の方が遥かに高い。実力はこちらが上のはず――だが油断はしない。 しかし、この人数を相手に無傷で武装解除できる自信はなかった。
その時だった。
「こんなところで、何をしてるんだ?」
穏やかな声が路地裏に響く。戦闘がピタリと止まる。一斉に入口へ視線が集まった。
そこには、一人の男が立っていた。
左目を走る傷痕。
それは緋尋の知っている――
「……おじ、さ、ま?」
思わず緋尋が呟く。
「ごめんね、気を付けて……なんて、無責任だなって思って」
烏真は困ったように笑った。
「間に合って良かったよ」
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