ダンジョンの外で
時間が止まったように烏真は現実を受け止められずにいた。
支倉 晃との死別を知り、もう二度と会えないという事実が烏真を動けなくする。昨日交わした約束だけが、何度も脳裏をよぎった。
《探索者》は常に死と隣り合わせだ。
そんなことは烏真もわかっている――誰もがダンジョンに潜れば命を天秤に掛けられる。しかし、今回は違う。ダンジョンの中ではなく外だ。
『死亡した支倉さんは探索者として活動しており――』
耳には情報が入ってくる。だが、内容は頭へ入ってこない。昨日まで元気だった。あんなに真っ直ぐな目で未来を語っていた。
知っている存在の突然の死を、どうしても受け入れられずにいた。
『現在、警察では詳しい死因について調べています』
その一文だけが耳に残る。死因はまだ分かっていない。烏真は画面に映る現場写真をじっと見つめた。
よく見れば最後に別れたホテルの近くではなく難波ダンジョンの近くの裏路地にブルーシートが掛けられている。
「……ダンジョンじゃない」
モンスターや罠によって死ぬのは《探索者》ならばあり得る話だが、ダンジョンの外ならば話は別だ。原因が変わって来る。
「……」
イエルも画面を静かに見つめている。だが何も言わなかった。
「どうして……」
烏真は嘆くように声を漏らした。《探索者》が死ぬ場所としては、あまりにも不自然すぎる。
胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
やがてニュースは終わり、画面は何事もなかったように天気予報へ戻った。
夏祭りの話題や海水浴を楽しみ人々に明るいBGM。さっきまで訃報を伝えていたとは思えないほど、テレビの向こう側は平和だった。
まるで世界に置き去りにされたような感覚。
ゆっくりと烏真はリモコンを手に取り、テレビの電源を切った。部屋に静寂が戻る。聞こえるのは蝉の鳴き声だけ――
「あの方は……」
「ごめん、いまは――」
余裕のない烏真にイエルも掛ける言葉が見つからず、居間を出た。
「……あ」
テーブルの上に置いていたスマホが小さく震える。
画面に表示されたのは――千ヶ峰 緋尋の文字だった。
「なんだろう……」
何かあったのだろうか、そう思いながら通話ボタンへ指を伸ばした。ボタンを押すと聞き慣れた声が届いた。
『おはようございます、おじさま』
だが、その声は少しだけ張り詰めたようだった。
「おはよう、千ヶ峰さん」
『あ、あの……朝から申し訳ありません』
「こっちは大丈夫だよ。何かあったのかい?」
問い掛けると、電話の向こうで小さく息を吸う音が聞こえた。
『実は……会長が辞任されます』
全くもって予想していなかった情報に驚かされる。
大堰 継雅は《探索者協会》のトップであり、烏真に感謝と《探索者》のライセンスを手渡されたことは今もはっきりと覚えている。
そんな責任者の突然の辞任を知らされて烏真も何と言えばいいのか困ってしまう。
『今夜、正式に報道されるかと思いますが……おじさまも関わりのある方ですし、先にお伝えしたほうがいいかなと――』
「わざわざ、ありがとう……千ヶ峰さんはどうしてそのことを?」
『わたしはクラン経由で……教えてもらいまして』
緋尋はそのまま続ける。
『辞任の理由は二つ――その、五年前の転移事故……なんですけど……」
その言葉に烏真は息を呑む。
『そう、事故なんです……あれは……』
緋尋の声が重くなって、
『おじさまが試験を受けてくださって……会長がこの件を調べてくれたそうなんです』
そして緋尋は躊躇うように息を吸う音が聞こえた。
『本当は《協会》の管理不足なのはわかっていたことです……そ、それを――おじさまの責任にして、逃げた上層部に原因があります』
だが、一度声を上げれば感情を吐き出すように緋尋は話を続ける。
『会長の耳に届くまでにもみ消そうとした……そんな人たちのせいなんですよ』
烏真はただ静かに緋尋の話を聞いていた。
烏真はただあのとき――いっしょにいた受験者を庇っただけで、未来の無い自分より若い子たちを守るべきだと思った。だから嘘を吐いた。
きっと――今頃、いっしょにいた受験者たちは一人前の《探索者》になっていると信じている。
その一人が電話越しにいることも知らずに。
『ご、ごめんなさい……わたしばっかりしゃべって……』
「ううん、気にしないで。教えてくれてありがとう。それでもう一つは?」
『もう一つは……前回おじさまが受けた試験で起きた転移事故ですね。こちらはまだ原因がはっきりしていませんが、おじさまのおかげで死者こそ出ませんでしたが受験した《探索者》を危険に晒したのは事実ですし――』
「でもあれは本当に事故なんじゃ……?」
『ですが五年前の転移事故以外でも……上層部が隠していた案件がいくつも出て来たそうで……おじさまのように《探索者》になる夢を諦めることになった人がいるんです。それを知らずに《協会》のトップに座することはできないと』
会長は最後まで受験者へ頭を下げ続けていた姿が脳裏に浮かぶ。
そんな人が未然に防ぐことが出来ず、これまでの不祥事が繰り返されていたことを知り――その責任を取るために自ら会長の座を退くのはとても残念なことだった。
「……いい人だったのに」
『わたしも、そう思います』
お互いに悲痛めいた声でそう言った。
『夜に記者会見もするそうで……協会の中も朝から慌ただしくて、新しい会長が決まるまでは副会長が代理を務めるそうです』
「しばらく落ち着かないだろうね」
『事情を知る職員も探索者も混乱しています』
緋尋の所属する『ver.horogram』は特に《探索者協会》に協力を要請されていた。
前回の《深層》攻略に、今回のライセンス試験と――《協会》の中枢に関わっていただけに突然の会長の辞任を知らされて困惑しているようだ。
「千ヶ峰さんは大丈夫なの?」
『わたしは大丈夫ですよ。正直、わたしは話を聞いただけで特になにかあるわけではないので……』
少しだけ沈黙が流れる。やがて緋尋が遠慮がちに口を開いた。
『……それと、ニュースはご覧になりましたか?』
「うん」
『今朝、探索者の方が亡くなられたって……』
「俺も見たよ」
『その……わたしは名前しか知らないのですがおじさまと同じ試験を受けた人ですよね?』
緋尋の認識はその程度だろう。現場にいたとはいえ名前と顔もうろ覚えで知っているくらい。ほとんど接点がないのだから当然だ。
「ああ……支倉くんのことだね」
昨日まで笑っていた青年の顔が脳裏に浮かぶ。
「実は……昨日、彼と出会って話をしてね」
『え……』
電話の向こうで息を呑む音がした。
『そうだったんですか……』
「ライセンスを取れたって嬉しそうだった――だから、朝にニュースを見て……」
短く言葉を切る。緋尋も何も言えなかった。
『事故、なんでしょうか』
「……分からない」
烏真は正直に答えた。
「でも、一つだけ気になることがある」
『何ですか?』
「ニュースで映っていた場所だよ」
窓の外へ目を向ける。夏空はどこまでも青く、庭先では蝉が鳴いている。
「ダンジョンじゃなかった」
『……そうですね』
「探索者が死ぬなら、ダンジョンのはずだ……ましてや支倉くんのレベルは【500】に近い。そう簡単にやられるはずがない」
試験のとき【452】と言っていたのを覚えている。あれから時間も経って、しかも晃はもっとレベルを上げて《深層》に挑戦すると言っていた。
それに昨日の会話、《深層》の下見に来たと言っていたがレベルが上がるまでは潜らないと言っていた。慎重さも手に入れ、心機一転した彼の姿を見ている。
何があったのだ。
「ダンジョンの外で……《探索者》が亡くなるのは――」
根拠はない。あるのは違和感。
「ごめん、確証もないのに言葉を並べても意味がないよね」
「いえ……その、わたしも思うところがあって――」
憶測で何を言っても真実に届かないのなら続けるべきではない。そしてお互い何も言えず考え込んでしまった。
「千ヶ峰さん」
『はい』
「その……今日の予定を、聞いてもいいかな?」
他人のプライベートに踏み込むのはどうかと思ったけれど、それでもこんなことがあったせいで烏真はつい緋尋に問い掛けてしまった。
『えっと……わたしは会長が辞任する記者会見に立ち会う予定ですね』
「千ヶ峰さんが?」
『わたしが所属してるクランって……無名のときから会長さんにはお世話になってましたから――失敗しちゃいましたけど《深層》の攻略も打診してくれたの会長さんでしたから』
現場に緋尋がいたところで何も変わらない。それは緋尋だけではなくクランに所属する他の者たちも記者会見に出席するようだ。
「気を付けてね」
『え?』
「こんなニュースが出たばかりだし」
《探索者》がダンジョンの外で亡くなる――烏真は胸中で膨れ上がる不安を吐き出すように、
「考え過ぎかもしれない。でも、念のために」
緋尋の実力は烏真も理解している。《踏破者》である彼女に対して、こんな心配をすること自体間違っている。それでも言わずにはいられなかった。
緋尋は少し黙ったあと、小さく笑った。
『おじさまは優しいですね』
「そ、そうかな……」
そんな風に言われると思わなかったので烏真はつい声が上ずってしまう。
『わかってます。気をつけますね……』
緋尋は嬉しそうに明るい声で烏真の言葉を受け止める。
「うん、それじゃあ――」
『はい』
通話が切れて、烏真はそっとスマホを机の上に置く。
「マスター」
イエルがこちらを見ていた。
「何が起こってるのでしょうか……」
「俺にも、わからないよ……」
烏真は窓の外へ視線を向ける。夏の風が庭木を揺らし、青葉がさらさらと音を立てていた。こんなにも穏やかな景色なのに。
胸の奥だけが、妙にざわついている。
「イエル」
「なんでしょう?」
「記者会見は夜って言ってたね」
「はい」
「なら――……」
烏真は立ち上がる。
「ごめんイエル……イエルのことを調べようって言ってたのに」
「いえ、私もいまのマスターが取るべき選択は《《そちら》》が正しいかと」
せっかく見つけた次の目標が遠のいてしまう。烏真はイエルに謝り、向かうべき場所を告げる。
「確かめに行こう……」
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