いっしょに探そう
ライセンス試験から一ヶ月が過ぎていた。
《探索者》となった烏真は何度も難波ダンジョンへ潜っていた。
中層、下層を巡りモンスターを狩る。その素材や核を売ることで生活費を稼ぐ。今まで出来なかったことが当たり前になっていた。
季節はすっかり夏へと変わっていた。
朝日が山の向こうから顔を覗かせ、庭先では蝉が一斉に鳴き始める。窓を開ければ、湿り気を帯びた風が部屋へ吹き込んで風鈴が涼しげな音を響かせた。
チリン――
「……夏かぁ」
縁側へ腰を下ろし、烏真は大きく伸びをする。都会の喧騒とは無縁の静かな朝だった。
「おはようございます、マスター」
障子が開き、イエルが顔を覗かせる。白銀の髪を揺らしながら小さく頭を下げた。
「あれ? 野菜とってたの?」
小さなイエルの身体の両手に持たれたザルの上にはいっぱいの野菜が乗っていた。
イエルと暮らし始めて四か月。この生活にも、すっかり慣れてしまった。
余命二年と告げられ、それから残り一年が過ぎ――そのまま終わってしまうはずだった烏真の人生は大きく変わった。
こんな穏やかな朝を迎えられるなんて思ってもいなかった。
採れたばかりのトマトときゅうりを持って歩くイエルを手伝うように、烏真がザルを代わりに持ってあげた。
「マスター、この程度は私が……」
真っ白いワンピースのような衣装で土を掘っているのに衣服は汚れていなかった。しかし鼻先が土で汚れていた。
「これぐらい手伝わせてよ」
イエルの鼻の上の泥を指でなぞる。
「たくさん出来てよかったね」
「はい、本日はトマトが食べ頃ですね」
「いい感じに育ってきたね」
「マスターも毎日水やりをしてくださいましたので」
両目は閉じられているけれど、イエルの表情は柔らかかった。
「イエルも手伝ってくれてるだろ」
「私は補助に回っているだけです」
「そんなことないよ。これはイエルが作ったんだよ」
そもそもイエルと出会わなければ畑を耕すことなんてなかった。こうしてイエルといっしょに野菜を植えて、育てるなんてまるで夢のようだ。
こんな何気ないやり取りも、今では当たり前になっている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
とりたての野菜もいっしょに朝食をすませて烏真は棚の上に置かれた銀色のカードを手に取る。
《探索者》ライセンス。
叶わなかったはずの夢が現実となって――《探索者》として人の目を気にかけることなく潜ることが出来る。
しかも、これはただのライセンスではない。
《深層探索者》ライセンスと呼ばれる、下層よりも更に底である深層へと進むことも許される証だった。
《探索者》になる夢が叶うだけで十分なのに、《踏破者》と同じ深層へ潜ることが許されるほどの効力を持ったライセンスが発行されるとは思わなかった。
だがまだ烏真は《深層》には潜っていなかった。世界が最も危険だと認知している領域に、理由もなく一人で進むことは出来そうになかった。
「前回、試験は中止になりましたが……あれからすぐ再試験を行い――マスターと同じように《深層探索者》のライセンスを受け取った《探索者》の方々がいるようですね」
烏真の近くで正座するイエルは既に情報を収集していたようで、あれから烏真以外の受験者たちの行末を知っているようだ。
「そっか……そりゃそうだ。俺よりもずっと長くダンジョンを潜ってる人たちが受け取れないのはおかしいからね」
烏真は両腕を組んで、力強く頷いた。
運が良かった――烏真は今でもそう思っている。ライセンスを指先でそっとなぞる。
「……今日も、ダンジョンに行こうかな」
もう他人を気にすることなくダンジョンの奥底へ潜ることが許された。
《探索者》としての夢が叶い、心に余裕が生まれたのか――烏真は調べたいことがあった。
「難波ダンジョンへ向かいますか?」
「うん、その……今日はイエルと初めてあった場所に行こうかなって」
烏真の言葉にイエルは首を傾げる。
「それはまたどうして……?」
「誰も知らないダンジョン。人型のダンジョンコア。あの機械仕掛けの神殿みたいな……イエルも自分のことがわからないままなのは嫌じゃない?」
「私は……」
イエルの目は閉じられているが、じっと下を向いたまま。
「いえ、マスターの選択はいつだって正しいのです」
そのままイエルは烏真に寄り添うように、
「行きましょう」
「俺はもう正式な《探索者》だから、どこへ行っても大丈夫だからさ」
「わかっています。それではお供します」
「ありがとう」
烏真は難波ダンジョンにあるイエルと出会った誰も見えていなかった入口を目指した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
難波ダンジョン。
学生がダンジョンを潜ることも珍しくなく、いまは学校も夏休みに入ったのか《上層》はライセンスも必要ないのでいつも以上に賑わって見えた。
田舎の井戸から難波ダンジョンまでイエルのおかげでまばたきするほどの速さで行き来できるのは便利だった。
だがイエルはやはり他の《探索者》たちと関わるのは控えるべきだと認識阻害を使い、難波ダンジョンに到着してからは誰の目にも映らぬように消失していた。
「よし……もう一度――」
人気の無い通路を烏真とイエルはゆっくりと歩いていた。あれから長い時間が経過していたが、その場所は相変わらず誰もいなかった。
あのときも《上層》に入ったと同時、左眼に映った壁と壁の間に見えた隙間。どうして誰もそれに気づかないのか――手を伸ばせば通り抜けるようになっている不可思議な壁。
辺りを見渡す。
人通りはある。それでもここだけは死角になっていて、誰も烏真には気づかない。
そして手を伸ばして、先へ進もうとしたが――
「あれ?」
思えば烏真が初めて足を踏み入れたとき、突然岩壁が盛り上がり入口を塞がれたことを思い出す。完全に忘れていた。これでは入れない。
壁を壊して入れば――と、思っても、さすがに周りに人がいるこの状態でそんなこと出来るはずもなく。
しかし、
『マスター』
ここでイエルが烏真にテレパシーのように頭の中に声が響いた。
(どうしたの……?)
『おかしいです……これはただの壁です』
(え、ええ……??)
『この壁の向こうに通路はありません』
壁で塞がれて先に進めないのではなく、何もないとイエルは言った。
しかしこの壁の向こうに通路があって、烏真はその道の先でイエルと出会った。だが誰も見えない入口は塞がれたまま、しかもその先はもう存在しない。
「おかしいな……」
岩壁は冷たく、どこを探しても隠された入口は存在しなかった。烏真の左眼も反応することはなく《看破》はできなかった。
壁を叩いても、鈍い音が返って来るだけでイエルもそっと指先が壁に触れているが首を左右に振っていた。
『構造そのものが消失しています』
(そんなこと……ありえるの?)
世界から切り取られたように、存在自体が消えている。
『申し訳ありません……私にも、理由はわかりません……』
あのイエルがはっきりと答えを出せずに困ったようにそう言うから烏真もそれ以上言及することはなかった。
(ごめんね……あのときちゃんと調べて帰れば――)
三ヶ月もの間いたというのに何一つ手がかりを探すこともせず帰ってしまったことは完全に烏真の落ち度だった。
『謝らないでください。私はマスターといっしょにいれば……』
(イエル?)
『いっしょ……いえ、その忘れてください』
イエルは言葉を遮って、壁に触れたままそれ以上なにも言わなかった。
「忘れないよ」
テレパシーで会話ができるのに烏真はあえて言葉に出した。
「イエルにも知らないことがある。それがわかっただけでも収穫かな」
イエルのおかげでいまの烏真がいる。だから今度は烏真がイエルに返す番だ。
「私がどうしてあそこにいたのか、マスターのことを知っていたのか――何もわからないまま、それなのにこんな私と契約してくれました」
イエルもテレパシーで伝えるのではなく言葉に出して、
「私はダンジョンコアです。人間ではありません」
「でも、俺の恩人だよ」
「いえ、マスターが私の恩人なのです」
「……俺はイエルに助けてもらってばかりだよ」
「私も助けてもらいましたよ」
そう言って、イエルは烏真の手を取る。
「なぁ、イエル……俺に出来ることはないか? 俺はキミに貰ってばかりだ――」
戦う力も、生きる術も――そして《探索者》になる夢を叶えてもらった。なら次は、烏真がイエルの夢を叶える番だ。
「……どうして――」
だがイエルは困ったような表情をしていた。
「今の私は、満たされています。マスターと共に過ごす……それ以上は望みません」
イエルの言葉が本心なのは分かった。
だが烏真は頭を掻いて、
「そう言われると困るな」
「困り……ますか?」
イエルは不思議そうに首を傾げた。
「私はマスターから、名前も頂きました……それだけで十分です」
そのまま少し間を置いて、静かにイエルは問い掛ける。
「……どうして、そこまで私のことを気に掛けてくださるのですか?」
「どうして?」
烏真がオウムが返すようにそう言って、
「いっしょに同じ屋根の下で暮らしてるんだ……契約だけの関係じゃないよ」
畑を耕して、食事をして、共に時間を過ごし、どんな危ない場所でもこうして互いを助け合って戦う。
それはもう契約以上の関係だと――烏真は思っていた。
「家族、じゃないか」
両親を失い、イエルと出会うまでずっと孤独のまま生きて来た。しかしイエルのおかげで生きることに希望を見出せた。
だからこの言葉に間違いはないと、烏真は思っている。
「…………」
イエルは沈黙したまま、それでも烏真は言葉を続ける。
「それに……俺はイエルのことまだ何も知らないんだ」
「それは……?」
「イエル自身も覚えていないんだよね?」
イエルは無言のまま静かに頷く。
「だったらさ……」
烏真は優しく笑った。
「いっしょに探そうよ」
手を伸ばす。
「俺はイエルのこと知りたい」
烏真はイエルの手を握って、
「家族のことだから、知りたい」
その一言で、イエルの胸の奥が熱くなったような――
イエルは俯いたまま、やがて小さく微笑む。
「私も――……」
大きく息を吸って、
「私も、自分のことを知りたいです」
閉じられた瞼の端に、小さな雫が浮かんでいることに気付かなかったけれど。
「よし……」
烏真は頷く。
「入口はここ以外にもあるかも」
「はい」
二人は顔を見合わせ、小さく笑い合った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「なんて格好つけたものの……」
烏真は大袈裟に溜息を吐いていた。
せっかくライセンスを手に入れたにも関わらず烏真は《上層》を調べていた。長時間ダンジョンを徘徊していたが、隠された入口を見つけることはできなかった。
「マスター……」
イエルは自分のことだというのに、烏真の無念に満ちた表情を前に項垂れていた。
「時間はたくさんあるんだ。今日は帰ろうか」
「はい……」
そのとき不意に後ろから元気な声が響いた。
「あっ!」
聞き覚えのある声だった。
「お久しぶりっす」
烏真が振り返る。人混みを縫うように駆け寄ってくる一人の青年。
明るい茶色の髪を揺らしながら近づいてくるその男を見た瞬間、烏真は少し驚いた顔をして、
「あれ? きみは……どうしてこんなところに?」
それはライセンス試験で出会った――支倉 晃だった。
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