新たな一歩
烏真が会長とのやり取りで、ついにライセンスを受け取ったその頃。
応急処置を終えた蒼い髪の少女が、肩に掛けられたブランケットを握り締めながら、落ち着かない様子でじっと烏真を見つめていた。
救護テントの中では、まだ多くの受験者が治療を受けている。
消毒液の匂い。慌ただしく行き交う救護班。怪我人を運ぶストレッチャー。
つい数十分前まで命懸けの戦いをしていたとは思えないほど、試験会場は騒がしく、それでいてどこか安堵の空気が漂っていた。
(あのひとにお礼を……)
探していたのは自分を助けてくれたあのひとだった。
(ちゃんと、お礼を言わないと)
何度も頭の中でその言葉を繰り返す。
迷いの森――終焉級――巨大な怪物を前に身体は動かず、呼吸すらまともにできなかった。
諦めていた――だけど、
「……あ、あんなところに」
《探索者協会》の会長が立ち去ると、辺りは再び慌ただしさを取り戻した。
職員たちは後片付けや受験者の誘導に追われ、救護班も慌ただしく行き交っている。
そんな喧騒の中、烏真は手の中のライセンスカードへ視線を落とした。銀色に輝く小さな一枚。ずっと欲しかったはずなのに、いざ手にすると現実味がない。
「……俺も、今日から――」
思わず苦笑する。
「これでマスターも正式な《探索者》ですね」
イエルがそう呟いて、
「正式、かぁ……」
その言葉を噛み締めるように烏真は感極まっていた。
叶わぬ夢は、永遠に形になることはない――しかし諦めていたはずの夢はついに現実となった。
その証明がいま烏真の手の中にある。
「……あ、あのっ!!」
少し離れた場所から、小さく弾んだ声が聞こえた。振り返ると、一人の少女が人混みをかき分けるように駆けてくる。
「はぁ……はぁ……」
烏真の前で立ち止まると、少女は肩で息をしながら胸に手を当てた。
「よ、よかった……」
安堵したように力が抜け、その瞳が少し潤む。
「その――……」
少女は慌てて姿勢を正すと、
「さっきは助けていただいて、本当にありがとうございました!」
肩にかかる蒼い髪が床にさらりと垂れ落ちたまま少女は頭を下げる。その姿を見て、烏真は「えっと……」と小さく声を漏らしたが、
「きみも森でモンスターに襲われてたね……怪我はない?」
「はい!!」
顔を上げた少女は、嬉しそうに何度も頷く。
「お兄さんのおかげでこの通りピンピンしてます!」
「お、お兄さん……」
緋尋とイエルの中間の背丈の女の子にまさかそんな風に呼ばれると思っていなかったのでさすがの烏真も動揺した。
「ちゃんとお兄さんにお礼を言いたくて……」
その真っ直ぐな言葉と、とても烏真には似合わない呼び名に少し照れくさそうに頬を掻いた。
「きみが無事ならよかったよ。でも、もっと早く辿り着けてれば……」
モンスターに捉えらて、ましてや身体から花を生やされて怖い思いをしたのは間違いない。
「謝らないでください! あたし……本当にもう駄目だと思ってたんです。でも……」
言葉を詰まらせ、小さく息を吸う。
「助けに来てくれて……、まだ生きたいって思えて――」
手を合わせたまま蒼い髪の少女が言葉を紡ぐ。
「あたし、まだ生きてる……それはお兄さんのおかげなんで。だからありがとうを伝えたくて……」
烏真は困ったように笑う。
「あっ……!」
少女は何かに気付いたように声を上げる。
「ごめんなさい。あたし……自分のことばっかりで――まだ名前も名乗ってなくて……」
慌てて背筋を伸ばして一礼する。
「一之瀬 蒼奈って言います」
蒼い海の水面に反射するような太陽ぐらい眩しい笑顔で少女は名乗った。
「一之瀬さん、か」
そのまま烏真は名乗ろうとしたが、
「お兄さんのことは知ってます」
「そうなの?」
「さ、さっき……会長さんとおしゃべりしてたの聞いてたので」
そう言って、もう一度頭を下げる。
しかし頭を上げたあと蒼奈の表情が凍り付いたような。
「……あ」
ぴくりと、肩が跳ねた。息が詰まり、瞳が大きく見開かれた。
「なん、で……?」
先程までの明るさを失った蒼奈を見て、烏真が声を掛けようとするが、
「う……」
頭の奥が、ずきりと痛んだような――
「ご、ごめんなさい……まだ調子、良くないみたいです」
「それじゃあ付き添うよ」
近くの救護班のところまで烏真が蒼奈を連れて行こうと手を伸ばした。
「いえ、その……だいじょうぶ、なんで。その……お兄さん……また、どこかで――」
青ざめた顔のままの蒼奈が逃げるようにその場から離れるが、あまりに突然のことで烏真は何も言えずに小さくなる蒼奈の背中を見ることしかできなかった。
「どうしたんだろう……」
気掛かりなのは蒼奈の視線は烏真ではなく、烏真の足元に隠れるように立つイエルに向けられていた気がした。
(……なんで、そこにいるの――)
その疑問だけを胸に、蒼奈は逃げるようにその場を離れた。だがその視線は烏真ではなく――イエルに向けられているような――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
唐突に消えるように走り去ってしまう蒼奈を見つつ、烏真はイエルに視線を向ける。
「誰もイエルのことは……見えてないんだよね?」
「そのはずです。ですが――」
イエルは、蒼奈が消えた方角を見つめていた。
「間違いなく、私と目が合っていました」
「どうして……?」
他の誰もがイエルを認識できていないはずなのに、それではまるで蒼奈だけはイエルが見えていたということになる。
イエルの目がわずかに開いていた。白金の光が漏れている。
だが答えは見つからないまま。イエルがわからないのであれば、烏真が答えに辿り着くことなど不可能だった。
そんな二人の間に沈黙が訪れる。
「あのぉ……」
しかしその沈黙はすぐに破れる。烏真が振り返れば、そこには緋尋が立っていた。
先ほどまで他の《探索者》や《探索者協会》の職員と話をしていたのか少しだけ疲れたような表情を浮かべながらも、その瞳は真っ直ぐ烏真へ向けられていた。
「さっきの子も……受験者のひとりですよね?」
「うん……まだ調子が良くないみたいで――」
「そうですか。では、わたしが様子を見ておきますので」
緋尋は蒼奈が去った方向に目を向けたまま、そう小さく頷いた。
「その……お願いしてもいいかな?」
「もちろんです」
そのあと緋尋は言葉を探すように口を閉ざして、やがて意を決したように顔を上げる。
「それと、帰りの件ですが」
「帰り?」
「協会のほうで車を手配してますので」
そう言うと、遠くから《探索者協会》の職員がペコリと会釈していた。
「今回は試験中止という異例の事態になりましたし……受験者の皆さんを無事にお送りするところまでが、協会の責任です」
烏真は苦笑する。
「いやいや、そこまでしてもらわなくても……」
「ダメです」
緋尋はぴしゃりと言い放ち、思わず烏真も目を丸くする。
「いちばんの功績者に自力で帰れなんて言えません」
「いや、でも……」
「おねがいします」
その一言には、責任感だけではない何かが滲んでいた。
五年前――緋尋は烏真に守られてこの場所にいる。そして《踏破者》として人々に羨望の眼差しを向けられるほどの地位まで登り詰めた。
あの後悔だけは、今でも消えていない。だからせめて今できることくらいは自分の手で。そんな想いがその言葉には込められていた。
そんな強い眼差しで、そう言われてしまっては烏真もさすがに断れなかった。
「……そこまで言われたら断れないよ」
その返事を聞いて緋尋はようやく肩の力を抜いた。
「ありがとうございます」
安心したように緋尋は微笑んで、その視線は烏真の右手へ。その手には一枚のライセンス。
烏真はやっと《探索者》を名乗ることを許された。
「……改めまして」
緋尋は他人行儀な口調で頭を下げる。
「ライセンス……おめでとうございます」
五年前、渡せなかった言葉。
やっと約束が果たされた。
「ありがとう」
たった一言、烏真はそう返して――けれど緋尋はいまにも泣きそうな顔をしていた。
長かった。
本当に、長い道のりだった。
だけど後悔はなかった。レベルが低かったことも、魔力もスキルも無いことも事実だった。
そして緋尋を庇って夢への道が途切れたことだって自分の選んだことは間違っていないと。
それから余命二年と告げられ、一年の時を捨ててしまったけれどそこからイエルと出会えて、あまりにも長い遠回りをしてしまったけれど――確かに烏真は《探索者》になる夢を叶えることができた。
なんて幸せな――
「千ヶ峰さん、力を貸してくれてありがとう」
今度は烏真が深々と緋尋に向かった頭を下げる。
「い、いえ……そんな……当たり前のことをしたまでですから……」
そんな頭を下げる烏真に対して緋尋は動悸が激しくなった。
力を貸してもらったのは緋尋の方だ。これまでのことも、緋尋の未来は烏真のおかげで守られている。
彼の夢の犠牲の先に緋尋の大成がある。
五年前のあの日からずっと緋尋は烏真に対して自分の過ちを隠したまま生きている。
だから、今度こそ――
「お、おじさま!!」
烏真の夢が叶ったこのタイミングでいうのはあまりにも卑怯だけれど、それでもやはり黙ったままではいられなかった。
「どうしたの?」
「わ、わたし……おじさまに……言いたいことが――」
だが、それと同時に緋尋の胸元で突如として鳴り響く着信音。
「あ…………」
「出なくて、いいのかい?」
何度も鳴る着信音に対して、緋尋は石化したように身体が動かなくなった。
「す、みません……」
緋尋がわなわなと震えたまま胸元のポケットに入れたスマホを取り出して、ディスプレイを見た。
「……おじさま、ごめんなさい――また、今度……お時間、いただけますか?」
「もちろんだよ」
「ありがとう……ございます……」
そして小さくお辞儀をして緋尋は電話に出てしまった。何か言いかけていたが烏真には緋尋が伝えたかった言葉が何だったのかわからぬままだった。
《探索者協会》の職員が烏真に向かって歩いて来る。
帰宅のための車が用意できたのか、そのまま烏真は招かれるように職員の後ろを追いかけるように歩くのだった。
「もしもし……」
内心、間の悪いタイミングで鳴った着信音に緋尋は眉をしかめる。ディスプレイに表示される名前を見て溜息を吐きながら受話器のボタンを押していた。
電話の主は緋尋が所属する《ver.horogram》もリーダーからだった。
「はい……」
電話越しで告げられた言葉。
「……はい――」
本当に自分が情けなくなる。
逃げてばかりだ。電話が鳴ったのも本当は助かったと思っている。
《《お前》》は誰も助けていないのに――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
それから――
受験者たちの帰宅準備も終わり、会場の喧騒は少しずつ静けさを取り戻していた。協会が手配した車へ乗り込むと、静かにドアが閉まる。
エンジンが低く唸り、車はゆっくりと走り始めた。窓の外には高層ビルが夕日に照らされ黄金色へ染まっていく。
賑やかな市街地を抜けると、景色は少しずつ変わっていった。
「本当にここで良かったのですか?」
都心から関西までの長い道のりを送迎してもらったが烏真は田舎の家ではなく難波ダンジョンで車を止めてもらった。
「ここで大丈夫です。ここまで送ってもらってすみません、助かりました」
この長い道のりを送迎してくれた《探索者協会》の職員に感謝を告げ、烏真は車を降りる。
「ここから家までまだあるんですけど……近くまで送ってもらうのは、ちょっと落ち着かなくて……」
車もほとんど走っていない文字通りの田舎に直接送られると目立ってしまうだろう。
「そうですか……では、こちらで」
「ええ」
職員に会釈し、車から出る。そのまま帰って行く車が見えなくなるまで烏真は凝視していた。
「マスター」
車の姿が完全に消えたと同時、イエルがそう口にして、
「ずっと静かにしてもらっててごめんね」
「いえ、それは仕方のないことですので」
職員たちは烏真が一人しか車に乗ってないように見えているだろうが実際は認識を阻害させてイエルも同じ車内にいた。
「難波ダンジョンから一気にマスターの家まで転移します」
「ほんとすごいね……ダンジョンの間なら瞬間で移動できるの――」
だがそんなことが出来ることを他の誰かに知られるのは良くないと思っている烏真はイエルのこの力は密かにするべきだと自負している。
そんなふたりだけの帰り道で――夕日に照らされたダンジョンのゲートへと進んでいく。
「《探索者》ライセンスも手に入れたことですし……このまま潜りますか?」
「いや、さすがに今日は疲れたよ……でも、これで明日からいつでも気兼ねなく中層も、更にその下の階層にも進めるのは嬉しいね」
夢の続きが、ここから始まると思うと――やはり感情は昂る。
しかし色んなことがありすぎて精神的に疲れていた。これからどうなるのか烏真にはまだ知る由もないけれど、今日も無事に家に帰れることに感謝する。
そしてふたりはダンジョンの上層へ降り、一目のつかないところでイエルが小さく祈るように井戸へと繋がる光の入口を生成する。
「それでは帰りましょうか」
「ああ……」
その先には、今日も変わらず静寂に包まれた田舎の家がふたりの帰りを待っていることだろう。
烏真は胸ポケットにしまったライセンスにそっと触れて――
「……帰ろう」
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