変わらないひと
ゴォォォォォォォッ!!
主を失った大樹が激しく震えた。無数の蔦が力を失い、枝葉が一斉に枯れ始める。
緑に覆われていた巨体はまるで何百年という歳月を一瞬で迎えたかのように色を失い、灰となって崩れていく。
そして舞い上がった光の粒子が森を照らす。その幻想的な光景に誰もが言葉を失っていた。
「た、たすかった……?」
茶髪の男は膝をついたまま、その場から動けない。あれほど絶望的だった状況が嘘のように消えていく。
「みんなは……」
最初に口を開いたのは烏真だった。受験者たちの顔を見れば、苦痛に顔を歪める者こそいれど大事なかった。
「……」
茶髪の男は烏真に目を合わせることができなかった。
能力測定のときから散々馬鹿にしてきただけに、たった一人でどうすることもできなかったモンスターを討伐したことに混乱している。
「出口は、どこだろう」
終焉級を無事に倒せても、この謎のダンジョンの出口は見当たらない。困った顔で烏真は呟く。
すると、
ゴゴゴゴゴゴ――……
足元が揺れ始めた。
「えっ……?」
森全体が唸るように震え始めた。倒木が軋み、大地が割れ、空間そのものが波打つ。
イエルが静かに周囲を見渡した。
「終焉級の消滅によりこのダンジョンの維持機能が停止しています」
出口を探しても見つかるわけがない。
なぜなら《迷宮母樹》を撃破することがこのダンジョンから脱出できる条件だったのだから。
「まもなく強制転移が開始されます」
「転移?」
烏真が聞き返した直後だった。足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。淡い蒼白い光が全員を包み込み、あまりの眩しさに顔を隠した。
「な、なんだ……?」
「か、帰れるの……??」
受験者の誰かがそう言った。
それと同時に眩い閃光が視界を覆い尽くす。何も見えない。何も聞こえない。世界そのものが白く塗り潰された。
そして気付けば足裏に硬い感触が伝わった。
「……ここは――」
烏真はゆっくりと目を開ける。
そこに広がっていたのは、さっきまでいた森ではなかった。見覚えのある巨大なゲートに、試験官や森では出会わなかった受験者もいる。
どうやら無事に《探索者協会》に戻って来れたようだ。
「戻ってきた……!」
誰かの叫び声が響いた。その声を合図にしたかのように会場中が騒然となる。
「帰ってきたぞ!」
「生存者だ!」
「救護班! 急げ!!」
待機していた《探索者》たちが一斉に駆け寄ってくる。
担架を持った救護班や、治癒魔法を扱う回復役に協会職員と会場は一瞬で慌ただしい空気に包まれた。
死を覚悟していた受験者たちはその場へ座り込む者もいれば、安心したように泣き崩れる者もいた。
あれだけ荒々しかった茶髪の男も震える手で顔を覆う。
「……生きて、帰ってこれた」
その声は涙で震えていた。
そんな様子を見ていた烏真は、小さく息を吐いて天を見上げる。さっきまでの鬱蒼とした森が嘘のような光景だった。
「……帰ってこれたね」
どこか安心したように微笑む。
「おじさま――」
あれほど危険な戦いをした烏真本人がいちばん穏やかで、その姿は五年前と何も変わっていなかった。
「よかったぁ……」
突如としてゲートに入ると同時に受験者たちと一緒に消えてしまった烏真を追いかけることが出来なかった緋尋は大きく安堵の息を漏らしていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「おじさまっ!!」
張り詰めた空気を破るように、緋尋が駆け寄って来る。救護班が行き交う中を縫うように走り、そのまま烏真の前で足を止めた。
「あ、あの……その……」
息を切らしながらそう呟いて――それ以上の言葉は出てこなかった。
ただ無事だった。それだけで胸の奥が熱くなり、また涙が滲みそうになる。
緋尋がこの場所に連れて来てしまった手前、もし烏真に何かあったら――なんて、恐ろしくてその先を考えることもできなかった。
だがそんな緋尋を前に烏真は少し驚いたように目を丸くしたあと、困ったように笑った。
「千ヶ峰さん、来てくれてたんだね」
「わたしが、おじさまにここに来るように言ったんですから当然ですよ……」
本当は烏真には見つからないように、するつもりだったがゲートに入ってから反応が消えたことを知って、居ても立っても居られなかった。
ずっとゲートの前でソワソワしていた。
だけどどこに飛ばされたのかもわからない以上、緋尋にできることは何もなかった。
だが、これはあまりにも不自然だ。
(あのとき、みたいだ……)
緋尋は心の中で小さく頷く。
五年前と同じだ――と。
あのときは転移床を踏んで別のところに飛ばされた。でも、飛ばされた場所が同じダンジョンだったから見つけてもらえた。
でも今回は違う。完全に反応が消えてしまった。
助けに行こうにも、どこへ行ってしまったのかわからないせいで手詰まりだった。
だけど、烏真は帰って来た。
他の受験者たちもみんな無事だった。
「みんなが無事でよかったよ」
なのに自分より先に他人の心配をする。
状況を見ていない緋尋には烏真がどんな災難に巻き込まれていたか想像を絶するが、それでもまた緋尋を助けてくれた時のように大変だったに違いない。
(このひとは……本当に変わらない)
そう思うだけで胸が締め付けられる。
その様子を少し離れた場所から見ていた茶髪の男は、何度も拳を握ったり開いたりを繰り返していた。
やがて意を決したように歩き出す。
「……あの」
烏真が振り返る。
「どうしたの?」
茶髪の男は深く頭を下げる。
「その……自分……支倉 晃っていいます」
唐突に茶髪の男は名乗り出して、
「……すみませんでした」
「え?」
頭を下げたまま続ける。
「おっさんだとか、弱いだとか……何も知らないくせに勝手なことばっか言って」
拳が震えていた。
「なのに……助けてもらって」
あの森で何度も見た。逃げ遅れた自分たちの前へ飛び出す背中を。たった独りで巨大な樹々の怪物に対峙した。
「本当に……すみませんでした」
しばらく沈黙が流れるが烏真は困ったように頭を掻いた。
「そんなに気にしなくていいよ」
「でも……」
「誰だってあんな数字見たらそう思って当然だからね。ましてやおっさんがなんでこんなところにいるんだって――俺もそう思うよ」
柔らかく笑う。
「それよりお互い無事で帰って来られてよかったよ」
晃は顔を上げた。
責められることも、怒られることもなくだからこそ余計に申し訳なさが込み上げる。
「……ありがとうございました」
その言葉を絞り出すのが精一杯だった。
そんな様子を見ていた緋尋は、小さく微笑む。
(おじさま……すごいな)
何があったのかはわからないけれど、烏真に対して礼をする男を見て――きっと彼はまた当たり前のように救ったのだろう。緋尋はそう思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
その一方で――
「……チッ」
少し離れた場所から神代 燐牙が舌打ちをしていた。視線の先には烏真を捉えていた。握った拳が白くなるほど力が入っている。
(なんなんだ……アイツは――)
理解できない。
魔力もスキル無いと、能力測定で燐牙も烏真の状態は知っていた。
燐牙も《迷宮母樹》に襲われていたが《踏破者》であり、他の受験者と違い捕まることはなかったが――捉えられている受験者たちを助け出すことはできなかった。
それどころか無限に湧き続ける触手のような蔦や枝を相手にするので限界だった。
それなのに烏真は――レベルも、魔力も、スキルも何もかも持ち合わせていないというのに受験者たちを救い、ましてや主であるモンスターを倒した。
(――認めねぇ……)
認めたくない。
認めてしまえば、自分が積み上げてきたものまで否定される気がした。だから燐牙は口には決して出さなかった。
そんなとき、緋尋がいまにも抱き着きそうな勢いで烏真に駆け寄って行くのが見えた。
緋尋は小さく笑って頷いていた。
その笑顔を見た瞬間だった。
「…………なんでだ」
燐牙はそう呟いて。
燐牙がどれだけ話しかけても、どこか壁を作っていた。笑うこともなかった。同じクランだから共に活動することはあった。それでも義務的に、決まったことをこなすだけ。
なのに。
(なんでそのおっさんには――)
緋尋の表情は作られたものではなく、自然にあふれた笑顔。無事を安心しきったような顔をして、
(オレの前では、そんな顔したことねぇだろ)
この感情が何なのか燐牙には分からなかった。ただ、唐突に現れたみすぼらしいおっさんを前に見せる緋尋の顔を燐牙は見たことがなかった。それが無性に腹立だしい。
(なんで、そいつには……)
レベルは最低なはずだ。
魔力も無くて、スキルも無い。
見た目も冴えない、ただのおっさん。
それなのに――《踏破者》である緋尋は、迷いなく烏真の隣にいる。
(クソが……)
歯を食いしばり、その視線の先では烏真が焦りながら頭を掻いていた。
だから燐牙は黙ったまま視線を逸らす。だが胸の奥には、どうしようもない劣等感だけが黒く渦巻いていた。
「あれ……?」
烏真と目が合った。
しかし烏真は燐牙のことを何も知らない。
燐牙に憎悪にも似た視線を、なぜ敵意を向けられているのかも烏真は知る由もない。
一回り以上も歳の差が離れているにも関わらず、燐牙と視線が合った烏真はペコリと小さく頭を下げる。
「…………チッ」
わざとらしく大きな舌打ちをして、ただ烏真を睨みつけては踵を返す。燐牙はそのまま会場を後にした。
そんな背中を見つめたまま緋尋が小さく呟いた。
「……燐牙」
受験者たちと共に別の場所に飛ばされているのは緋尋も知っていた。射貫くような視線だった燐牙に対して不安げにその名を呼んだ。
「えっと……あの人は――千ヶ峰さんの配信でいっしょにいた《踏破者》の……」
「あ、はい……わたしと同じクランの――わたしより短い年月で《踏破者》に選ばれて、実力もあるんですけど……性格が、その……」
燐牙の背中を見つめる緋尋の顔は不快に思えた。
「お、おい……なんでこんなところに……」
ふと誰かがそう呟く。
その一言で試験会場の空気が一変した。
一斉に誰もが道を開けていく。
人垣の向こうから、初老の男がゆっくりと歩いてくる。その姿を見て全ての人間が息を呑んだ。
「あれは……」
烏真も当然知っているそれは《探索者協会》を統べる会長――大堰 継匡だった。




