返してもらう
結晶の剣が、小さな花を断ち切った。
たった一輪。手に収まるほどしかない花だった。まさかこんな小さな存在が、森そのものを操る元凶だとは思えなかった。
だが、その瞬間だった。森全体が悲鳴を上げた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――!!
大地が揺れ、無数の木々が軋む。天を覆っていた巨大な枝が力を失ったように垂れ下がり、絡みついていた蔓が次々と枯れ落ちる。
そして森そのものが音を立てて崩れていく。
「終わった……?」
自由になった受験者の一人が呆然と呟く。
周囲を迷わせていた霧が晴れ、巨大な根が枯れていく。空を覆っていた葉も茶色く染まり、一斉に散っていく。
「い、いったいなにが……」
誰もが息を呑む中、森そのものだった怪物は死につつあった。
「や、やったぁ!!」
「助かった!」
「生きて帰れる!!」
歓声が広がり、両腕を上げる者。抱き合う者。その中心で烏真だけは小さく息を吐いた。
「よかった……」
烏真も一息つき、本当に終わった――と思った、そのときだった。
「マスター」
イエルだけが、両断された花を見ていた。
「まだ反応があります」
「え……?」
切り落とされた花が動き出す。まるで呼吸をするように花弁がぴくり微かに閉じた。
「まだ生きてる……!?」
確実に線は切り裂いたはずだ。致命を与える黒き線――それをなぞれば深層で戦った終焉級の怪物も絶命させることができた。
しかし動き出した花びらが開いては閉じるだけで、そのまま何も起こることなくぐったりと横たわり動かなくなった。
「……どういう、ことだ?」
「マスター」
イエルだけが、青い髪の少女を見つめたまま、
「《迷宮母樹》――生命反応に変化はありません」
「え?」
「健在です」
その一言で空気が凍る。
「そんなはずは……」
烏真が振り返った瞬間、
「あ……」
青い髪の少女の身体が、小さく震えた。
胸元が盛り上がり、ドクンと鼓動を繰り返しながら――
パキッ――と、少女の胸元を裂くように小さな蕾が顔を出した。
「なっ……!!?」
烏真の左眼をもってしても《看破》できず隠れていた。
これまでの全てが偽りだった。
その蕾は一瞬で開花し、鮮やかな深紅の花が姿を現す。その花から無数の細い根がまるで血管のように少女の全身へと走っていく。
「うそ……」
受験者の一人が恐怖し後退した。
「保険ですね」
イエルは静かに告げる。
「保険……?」
「本体は最初からあの少女に寄生していました」
森ではなく、巨木でもない。この少女こそが、
「……あれが、本当の核?」
「宿主に寄生することで、不滅の身となった災厄――」
イエルは淡々と続ける。
「それが《迷宮母樹》が《終焉級》の名を冠する証明」
グルリと、イエルが他の受験者たちを見る。
受験者たちは首を左右に振る。自分たちも青い髪の少女と同じように捉えられていた。それが何を意味するか。
背筋が寒くなる。
(終焉級は最初から――)
人間を盾に、何度でもやり直すつもりだ。どれだけ滅ぼされても、次の宿主に植え付けた種を開花させれば復活できる。
無限の生命を持った最悪の災厄。
少女の瞼が苦しそうに震える。
「ぁ……あ、ぁ…………」
小さな声が漏れる。
光を失った瞳と、助けを求めるように伸ばされる手。
まだ生きている。しかし斬れない。烏真の手が止まる。
線は確かに浮かんでいる。少女の胸元に生える花には太い黒い線が密集している。これを斬れば、倒すことができる。
しかしこれを殺し切っても、また別の種を開花させ復活する。少女を助けても、今度は他の受験者に埋め込んでいる種から生き返る。
「け、ケケ……ケケケ……」
少女の声帯を使って、不気味な声を上げる。
「やめろ」
だが、烏真は冷たく遮った。
「その子の言葉を使うな」
白い左眼が――《迷宮母樹》を必ず《看破》せんと発光していた。
少女に寄生した《迷宮母樹》が両手を上げ、枯れ果てた森に再び緑がよみがえる。森が生き返り、死んだはずの根や蔦が生物のように動き出す。
だが、烏真は動じない。
少女を人質にし、仮にまた殺されたところで他の受験者に逃げればいいと――人質を盾に、命を弄ぶその在り方が烏真の中にこれまで見せたことのない怒りを呼び起こしていた。
「イエル」
冷たく、重く、名を呼んだ。
「……はい」
烏真の押し殺す憤怒が漏れ出ていることをイエルは気付いている。
「終焉級を――斃せるか?」
その問いに対してイエルは、
「可能です」
たった一言。
「《看破》の左眼を――そして《踏破ノ担イ手》》をお使いください」
「それだと……」
寄生する少女まで傷つけてしまう。
だがイエルは首を小さく振り、透き通る結晶の剣先を見つめている。
「本来この剣に攻撃力はありません」
「……?」
「ですが、マスターが斬ると定めた対象を斬ることができます」
だから、どれだけ離れていても剣を振り抜けば、傍目には何も起きなくとも左眼が映し出す線を狙って斬るという結果を押し付けることができる。
如何なる存在であろうとも、神羅万象を切断できる。
これが攻撃力の無い剣だとしても、その剣が烏真が定めた存在を斬るという意志さえあればそれが刃となる。
その刃が《看破》した線をなぞることで対象は乖離する。
「わかった」
イエルの言葉を理解する。
やっと、この剣の本当の使い方を理解した。
球根のように枝や根を重ね、少女に寄生する《迷宮母樹》が嗤っていた。
少女の声を奪い、使う。
「言ったはずだ」
《踏破ノ担イ手》》を構える。剣を振るのではなく、剣先を花に向けまま。
「……その子を、使うなと」
烏真は小さく息を吐いた。
――左眼が白く光った。
少女の身体には無数の線。その中で一本だけ黒く濁った線が赤い花へと繋がっている。
「返してもらう」
ただ剣を上から下へ振り下ろしただけ。
見上げる《迷宮母樹》が何をやっているのだと言わんばかりに、寄生した少女の首を傾げさせた。
そう、ただそれだけ。
斬撃が飛ぶことも、斬光が奔ることも、魔力も無く、スキルも無い。ただ上下に結晶の刃を振り下ろしただけ。
たった、それだけのこと。
届くはずのない距離で、烏真の一閃が――
「…………………………………………ア」
青白く光る刃が黒い線だけをなぞる。
少女の服も、肌にも傷一つ付けない。ただ胸元の花だけが――パキン、と音を立てて《迷宮母樹》の花だけを斬り離していた。
少女の声から《迷宮母樹》の苦悶の声が漏れ、蘇生した森が再び死を迎える。
「……あ、あれ?」
少女の身体から根が剥がれ落ち、花といっしょに地面に落ちていく。烏真はすぐに駆け出して両手でキャッチする。
「はぁっ……、はぁ、はぁ……!!?」
息をするのも忘れていたように、意識を取り戻した少女は大きく呼吸する。
「ふぅ……」
烏真は安堵するが、まだこれで終わりではない。
この怪物は無限の命を持つ。少女に種を植えているのなら、他の受験者たちにも当然植え付けているに違いない。
それを開花すれば、何度でも蘇ることができる。倒すことはできない。
受験者たちは少女と同じ結末を迎えるのだと絶望している。
転がった花が嗤う――何度やっても無駄だと。
「……逃がさない」
だが烏真は迷わず掴んだ。
花が烏真の手の中で暴れる。根が指へ絡みつく。
「イエル、どうすればいい!」
「簡単です」
ぴょこんと長い一本の髪が跳ねて、
「食べてください」
「わかった!!」
しかし数秒だけ時間が止まり……、
「…………なんて??」
わかった、とは言ったが言葉の意味を理解できず烏真は聞き返した。
「ぐいっとおねがいします」
「ええ……なんで……」
「マスターはモンスターを食べることでレベルが上がるのです。それはモンスターを取り込むことで発動します。でしたら《迷宮母樹》が次の宿主に寄生した種を開花する前に――喰らい尽くしてしまえば、そこで消滅します」
なんてことを言うんだと烏真は思った。
しかし、なぜか納得してしまう烏真がいた。
(思えばあの日からモンスターを食べていないな……レベルがまた上がるかも……?)
それは魅力的でもある。そんなことを考えてしまう自分が少し怖かった。
「時間がありません。マスター、お覚悟を」
「いや、お覚悟って……」
手の中で動く花を凝視する。これを口の中に入れるのはさすがに躊躇いがあった。しかし、少女を盾にして略奪する行為。到底許されることではない。
ならば、ここで終わらせる。烏真はイエルの言うとおり覚悟した。
「これじゃどっちがモンスターか……」
烏真は容赦なく花を口へ運んだ。絶叫する《迷宮母樹》を口に入れてそのまま噛む。根が暴れ、花弁が砕ける。
モンスターの悲鳴のような声が頭の中に響いたが、聞こえない振りをする。
そして飲み込んだ瞬間、全身を熱が駆け抜けた。
(これ、毒とか……)
口に入れてからそんなことを考えてしまう。視界が白く染まる。しかし足元から淡い光が溢れ出し、森中に残っていた根が一瞬に灰へと変わっていく。
――――『レベルが上昇しました』――――
――――『レベルが上昇しました』――――
――――『レベルが上昇しました』――――
烏真の頭の中で響き続けるアナウンス。久しぶりに聴いたこの言葉が、烏真をまた一つ強くする。
やはり魔力が増えることも、スキルを発することもなくレベルが上がっただけだが、身体が強化されるならいくら上がっても得でしかない。
そして森の全てが崩れていく様子をイエルは見届けたまま、小さく頷く。
「終焉級《迷宮母樹》――消滅しました。」
風が吹く。さっきまで鬱蒼としていた森に初めて陽の光が差し込んだようだった。
烏真は少女の傍へ歩み寄る。寄生の痕跡はどこにもない。穏やかな寝息だけが聞こえていた。
「……終わったね」
誰に聞かせるわけでもなく、その一言だけが静かな森へ落とした。
――《不治なる不死》――
――《進行率:51%》――
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