本当の《答え》
ゴゴゴゴゴ……。
地鳴りと共に森全体が揺れたようだった。
枝が擦れ合う音ではない。音ではなく声だ――嗤っているようなそんな錯覚を覚えるほど、不気味な軋みが四方八方から響いてくる。
「……こいつが」
烏真はゆっくりと拳を握る。
目の前にそびえる巨大な樹。空を覆い尽くすほどの枝。大地を埋め尽くす根。視界に映るこの森、そのすべてが一体の生命だった。
「マスター」
イエルが小さく声を発する。
これが試験なら、一人の力で突破すると烏真はイエルに言った。しかしもういまはそんなことを言ってる場合ではない。
助けが来ない以上どうにかしてこの《迷宮母樹》を退け、捉えられている受験者たちを救い出さなくてはならない。
「注意してください」
視界を埋め尽くすほどの白い幹。数え切れない根が地面を這い、その一本一本が蛇のように蠢き、生き物のように脈打っていた。
「……え?」
烏真は思わず森を見渡した。
「視認可能範囲すべてから攻撃が来ます」
その言葉が終わるより早く、
「マジか……」
ズドォォォン!!
地面が裂けた。無数の根が槍となって飛び出す。
「ッ!」
烏真はイエルを抱えたまま地面を踏み込んで、空へ向かって跳躍した。スキルで強化しているわけでも、道具を使っているわけでもなく十メートルは軽々と飛び越えていることに烏真自身も驚く。
「イエル――」
「《《お使いになりますか》》?」
烏真が言い切るよりも早く、手の中でギュっと烏真の腕に抱き着いたままイエルは聞き返す。
「頼む……今は、迷宮母樹をなんとかするのが先だ」
「了解しました――」
烏真の腕にすっぽりと収まったイエルは、両手の指先を合わせた。
「登録呼出――」
そしてその手に向かって話しかけるように囁いた。
「抜剣――《踏破ノ担イ手》」
薄く開かれた両目から白金の光が零れ落ちて、イエルの手の中から剣の柄が飛び出していた。烏真はそれをしっかりと握り締めて、
「ありがとう」
右手には薄氷のように透明で、それを剣というにはあまりにも脆く儚い刀身が姿を現す。
《踏破ノ担イ手》――如何なる敵であろうとも、それが終焉を招く災厄だとしても、烏真の左眼が映す《看破》の線をなぞり乖離する。
根が一斉に網目のように幾度にも重なり、その先端は鋭く、全てが烏真
を狙い伸びていた。
「そこか……」
どこにも逃げ場のないような、おぞましい攻撃を前に烏真は臆することなく突き進む。折り重なる根の先端に対して、左眼が《看破》する。
赤い線と線が交差する瞬間を《踏破ノ担イ手》の透明な斬撃が混ざる。
「…………GYA???」
何が起こったのかわからず《迷宮母樹》は気の抜けた声を漏らしていた。
しかし、遅い。
烏真はただ突き抜けるように走り続ける。根が瞬く間に切断されていく。
「一度目の生成には手順を踏む必要がありますが、二度目は登録してあるので最速で用意できます」
「助かるよ」
走りながら即座に《踏破ノ担イ手》を生成した理由を説明するイエル。小さく感謝する烏真――そしてすかさず《迷宮母樹》の飛び出す根を切り刻みながら、囚われている受験者たちの元へ向かう。
そんな中で巨大な根が槍のように突き出されてる。
「どけ……ッ!!」
考えるより、先に動いていた。
射出された根の槍を真っ二つに断ち、木片が爆ぜる。そのまま空中で一回転して、残りの根を躱しながら更に奥へ。
生え続ける樹が、根が、烏真の進むべき道を塞ぐのだが、どれだけ妨害したところで左眼は《看破》する。描かれる線をなぞり、壁のように反り返った樹も一振りで断ち切る。
なんとか捕らえられた少女の元に辿り着き、四肢を縛る蔓を斬る。
「動けるかい?」
目は虚ろなままだが、烏真の声が聞こえているのかぺたりと座り込んだまま左右に揺れながらこくりと頷いた。
「だ、だいじょうぶ……です……」
だが烏真と目が合ったと同時に、
「な、なんで……え、どうして……こ、ここに――」
蒼い髪の少女は驚いたまま、信じられないものを見るように固まっていた。
だが、話をしている時間はない――魔力なり生命力なりを《迷宮母樹》に吸われてしまっているせいか少女も疲労困憊だった。
ズズズズズ…………。
巨大な根が再び地面から姿を現す。その数は十、二十と増えていく。この森全てが《迷宮母樹》の身体ならどれだけ斬っても意味がない。烏真の眼と剣があったとしても倒し切るのは不可能だ。
「まだ来るか……!」
「マスター」
イエルは周囲を見渡したまま静かに言う。
「生体反応を多数確認――前方」
促されるまま視線を向ける。そして烏真は息を呑んだ。
「……そんな」
巨大な幹のその表面から無数の根が伸びている。その根に他の受験者たちが吊るされていた。何人もの受験者が繭のように拘束され、意識を失っている。
そして、その中には――
「……あれって」
茶髪の男もいた――烏真の忠告を無視して別の道を進んだ受験者たち。全員が捕まっていた。根はゆっくりと締め付けを強めている。
「マスター」
「……うん」
烏真は頷く。迷いはなかった。
直後――
ドドドドドドッ!!
今度は左右の木々が動き、無数の枝が蛇のようにうねりながら襲い掛かってくる。
「しつこい……」
剣を振り、その勢いのまま二本、三本と薙ぎ払う。
しかし、《迷宮母樹》は嗤い声を発している。
「再生した……?」
砕け散った木片が地面へ落ちる前に、また新たな枝が生えてくる。どれだけ折っても、斬ったとしても、モンスターの攻撃は止まらない。終わらない。
「GYOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
森中が咆哮し、地面が波打つ。足元そのものが盛り上がり、巨大な根が烏真を飲み込もうと迫る。
「マスター!」
「俺の後ろへ!!」
烏真はイエルを守るように前に立って、巨大な腕のように形を作った根を受け止める。線をなぞり、切断しても――再生する力によって瞬間でその根は繋がり、そのまま烏真に衝突させる。
直撃。
烏真はイエルを抱き締めたまま、数メートルは吹き飛ばされる。
吹き飛ばされたのだが、
「……頑丈になったもんだ」
無傷だった。
ただ木の根をぶつけられた程度では烏真の身体に傷はつかなかった。パンパンっと身体についた葉や土を払い落しながら、剣を握りなおす。
「イエル、そっちは?」
「問題ありません」
しかし丸太のような質量をぶつけられて、吹き飛ばされて傷ひとつなく痛みすら感じず五体満足だ。
「でも、この前のようにはいかないね……こんな森そのものが終焉級をどうにかしようなって無理がある」
レベルは【50】から上がったはずなのに、緋尋の鑑定や能力測定では【003】と評価された烏真。
「無理? 無理ではありません――マスターの現在レベルは【1003】です。《迷宮母樹》のレベルは【888】……決して敗北などあり得ません」
「……………………んん???」
そこで烏真はイエルの発言に耳を疑った。
「俺のレベル……え? なんで??」
「【1003】です――当然です、あの三ヶ月の間にモンスターを核ごと経口し続けた結果です。この程度の相手はマスターの敵でありません」
「いや、だって……危険って言ってなかった?」
緋尋たちが配信していたときも、イエルは終焉級を前に近づくのは危険だとはっきり言っていた。
「それはマスター以外の《探索者》の身を案じてのことです」
烏真は頭を抱えた。
訊かなかったのも悪いが、まさかここに来て自分の限界が遥か遠く超えてしまっていたことに。
「……それならどうして能力測定で――」
「レベルが【1000】を超えた《探索者》は存在しないからです。表示機能が対応していなかったのでしょう」
そもそもモンスターですらそのレベルは存在せず、最も危険な終焉級ですら【900】に到達していないのだから。
「なら、俺は……勝てる、のか?」
「勝てる? 当然です。勝てます」
最も大きな一本の樹の中央には不気味な花が咲いている。開いた花の中に人の形をした蔓で出来た何かがこちらを見下ろしている。
吹き飛んだはずの烏真が平然と立ち上がり、イエルと対話していることが気に入らなかった。他の者と違い、絶望もせず、悲痛に顔を歪ませることもしない。
気に入らない。
《迷宮母樹》が叫び、四方八方から枝を、根を、蠕動させて先端は口を開き、捕食せんと烏真を狙う。
「そうか、俺は……なんだ――」
だが、そんな迫る脅威に目もくれず烏真は頭を掻いていた。
人外の領域に到達していたことを今更ながらに知っても、魔力はゼロのまま。スキルが解放されることもない。
線を映し出す左眼が何なのかわからないままで、この結晶の刃はイエルが作り出したもの。これは烏真のものではない。
与えられたものだ。
いつまで経っても、自分自身が生み出せたものはない。
それでも、このレベルだけは――数字だけは嘘をつかない。
レベルが上がれば肉体は強化される。
そこに魔力が無くとも、スキルが無くとも、この身一つで――
「戦えるじゃないか」
止まっていた時間は余命を宣告されたあの日から、動いていたのだ。
止めていたのは諦めていたから。
「だったら……」
烏真はじっと森を見渡す。
襲いかかる《迷宮母樹》の攻撃を躱しながら、ただ見渡す。
「おかしいと思っていたんだ」
イエルを抱えて、走り出す。
しなるように、跳ねるように、烏真に向けられる枝を、根を寸前で回避したと同時にそれを踏み台にして跳んで、飛んで――――
その左眼だけが白く光っていた。
世界が変わる。蠢く樹々そのすべてに白い線が浮かび上がる。
《迷宮母樹》を《看破》する。
「……違う」
ぽつりと呟く。
「《《どこに隠している》》」
イエルは何も言わずギュっと烏真の腕にしがみついたまま、
「どこだ?
あれか?
そこか?」
上下左右から、ついには視界の外から烏真を穿とうと突出する《迷宮母樹》の攻撃さえ《看破》していた。
人類を超えたレベルに到達したその肉体と、正しき答えと導く線を映し出す未知なる左眼。どんな困難も踏破を担う結晶の剣。
《探索者》になる夢に手が届かなかった人間が手に入れたのはそんな人智を超越した力の数々。
《迷宮母樹》の攻撃を全て躱し、イエルに当たりそうだと思えば剣を振って断ち切る。さすがのイエルも烏真の無茶苦茶な回避運動にしがみつく手の力が強くなる。
その間も、ずっと、ずっと烏真は正解へと向かって行く。
そして、
「そうか」
ついに、
「《《そこだな》》――」
烏真の視界には一本だけ、他とは違う線が伸びていた。
まるで世界そのものが答えを指差しているようだった。
モンスターにとって命と呼べる核に向かって奔る線は他のどの線よりも太く、長く、数え切れぬ線が密集している。
だがそれは枝でもなければ、幹でもなく。どこにも見えなかった。だが一本だけ隠すように。
地面のさらに奥。巨大な根の隙間。
そこへ伸びていく白い線の集合体。
「なんだ……あれが?」
烏真は小さく笑う。
地面に隠した黒い一輪の花。
そこに全ての白い線が血管のように集っている。その花がこの森全てに命を注ぎ込んでいるかのようだった。
ズズズズズッ!!
そこで《迷宮母樹》が焦燥し、反応した。
何千本もの枝が一斉に烏真を向く。これまでの物量とは比べ物にならない数だった。まるで、見つけられてはいけないものを見つけられたように。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」
森全体が怒り狂う。
空が見えない。
枝が。
根が。
木々が。
一斉に烏真へ襲い掛かった。それを見た烏真は静かに拳を握る。
「イエル」
「はい」
「あれを斬れば、勝てるかな?」
「あれが核でしょう。勝てます」
イエルは頷く。その白いワンピースがふわりと揺れた。
もっとも安全な巨大な樹の元へと動いている。要塞のように枝や、葉、ありとあらゆる緑を以てして――《迷宮母樹》は自身の心臓を守るように、烏真を妨害する。
「くそ……あんなところに――追い付けるか……?」
「マスターならば可能です」
烏真は身を屈めて、足裏に力を集中する。
「それでは追いかけっこを始めましょう」
両手をパンっと小さく叩くイエルに対して烏真は苦笑しながら駆け出した。
烏真が走る度に弱点であろう黒い花は蔦の裏へ、枝の影へ、巨木の裏へと常に最も安全な場所へと移り変わるように逃げている。
「……すばしっこいな」
「必死なのでしょう――まさか自身の核の位置を見破られるとは思っていなかったのですから」
イエルは淡々と言う。その答えと同時だった。
ゴォォォォォンッ!!
《迷宮母樹》は焦りではなく怒り狂うように咆えていた。
近づくほどにその猛攻は激しさを増していく。
蔦が絡み付き、根が地面を突き破り。巨大な幹までもが道を塞ぐ。森そのものが一輪の花を守ろうとしていた。
「そんなに守りたいなら――」
烏真は地面を蹴る。
そのまま枝を蹴り折り、根を飛び越え、蔦を切り払い――他には気にも留めず一直線に《花》だけを見据えた。
どれだけ守りを固めても烏真の左眼が映し出す線をなぞることで、道は切り開かれていく。
もうすぐそこまで来ていた。
「そこだッ!!」
ついに逃げ場を失った花が小さく震えた。
しかし結晶の刃は留まることなく横一文字に薙いだ。《踏破ノ担イ手》は一輪の花を真っ二つに切り裂いた。
「KIIIIIIIIIIIAAAAAAAAAAA――――!!」
耳を裂くような絶叫が森中へ響き渡る。
巨木が急速に枯れていく。蔦は崩れ落ち、枝という枝が力を失い、葉も色を失いながら地面へ落ちていく。
「……どうして、《《あのひと》》が――」
遠くで見守る青い髪の少女が、小さく呟く。
――森は、ただ静まり返る。
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