開かれた道
――烏真に連絡を入れる少し前のこと。
千ヶ峰 緋尋にはどうしても果たさなくてはならない約束があった。
終焉級との戦いから五日が経っていた。
緋尋は《探索者協会》本部の長い廊下を歩いていた。
世界中が終焉級出現の話題で持ちきりとなる中、緋尋は今日まで何度も事情聴取と報告を繰り返してきた。
世界初の深層攻略は終焉級との遭遇により撤退を余儀なくされた。
深層で遭遇した終焉級――《黒甲百足》が原因だ。そのあまりの強さは緋尋でも叶わず、生還は絶望的だった。しかし死者はゼロ人。
今後の深層攻略についての情報共有のためにも緋尋は出来る限り持ち帰った情報は包み隠さず伝えているつもりだった。
しかし緋尋たちの命を救ってくれた《《あの二人》》のこと――その全てを話したわけではないのだが。
加えてダンジョンコアと名乗ったイエルの存在や、深層より更に奥底で彼女が作ってくれた白い空間。ついには地上まで転移してくれたこと。
烏真やイエルが望まぬ限り、これだけは誰にも話してはいけないと――緋尋は思っている。
だから緋尋は配信で流れていた事実に関して報告をした。
緋尋たちの生還と、終焉級討伐という世界初の快挙。それだけでも協会は十分に大混乱だというのに、さらに深層の奥には未知の奈落まで存在していた。
そもそも討伐したのは全くの他人なのだが。
ともかく増え続ける情報は協会内では昼夜を問わず会議が開かれ、世界中の支部とも連絡を取り合っているらしい。
そんな慌ただしい五日間だった。
だが――
(今日こそ……)
緋尋は小さく拳を握る。
(……約束を果たす日)
そのために今日、この部屋へ来た。案内された扉の前で一度深呼吸をする。
「失礼します」
静かに扉を開くと、広い会議室には数人の協会幹部が既に席へ着いていた。これまでは日本支部の幹部たちの前で事情聴取を受けていたが今回は違う。
各国の幹部クラスが円卓を囲んでいる。しかし中央にいる存在によって場の空気はとても重く感じた。緋尋だけではなく、他の幹部たちも緊張しているように見えた。
そしてその場の空気を重くしている壮年の男性が静かに緋尋へ視線を向ける。
「来たか、千ヶ峰くん」
これまでも何度か顔を合わせているが、今回の事情聴取ではまだ一度も会っていなかった。
その男は《探索者協会》日本支部会長――大堰 継匡。
「お待たせしました」
「何度もすまないね……報告は概ね聞いているよ」
継匡会長は机の上へ置かれた資料へ軽く目を落とす。
「いえ、こちらこそ深層攻略に関しては撤退という形で……何一つ有益な情報は持ち帰れず、申し訳ありません――」
そのまま詫びるように頭を下げようとした緋尋だったが、
「それよりもだ……まずは礼を言おう」
誰よりも先に立ち上がり深々と頭を下げるのは継匡会長だった。周りの幹部たちも突然の行動に慌てて立ち上がり、一斉に頭を下げ始めた。
「君たちのおかげで世界は救われた」
世界に二体しか確認されていない終焉級と呼ばれる怪物は討ち倒された。確かに世界は救われたのかもしれない。
しかし、
「いいえ……」
緋尋は首を横へ振った。
「わたしは何もしていません」
「キミは世界に十二人しかいない《踏破者》の一人じゃないか」
「違います」
謙遜ではない。完全な否定だった。だからきっぱりと言い切る。
「ご存知でしょう……終焉級を倒したのは、わたしではありません」
会議室が静まり返る。だが継匡会長だけは表情一つ変えず、
「報告書にも書かれていたね――いや、違うな……あの配信を見ていない者など世界中にいない。キミの言いたいことはわかるよ」
と、答えた。
世界初の深層攻略は誰もが注目していた。当然、この場にいる全ての人間も注目していた。配信を見ていない者などいるはずもない。
壁に大きく表示されたスクリーンに映る二つの影が《黒甲百足》と戦っている映像が映し出されている。
突如として現れた終焉級。手も足も出ない緋尋たち。しかしそんな緋尋たちを救ったのは一人の男。
「顔はよく見えないが終焉級を倒したのはこの男だと言いたいのだろう? しかし映像をどれだけ解析しても正体は判明しない。千ヶ峰くん……君は何か知っているのかね?」
そもそも床が崩れ、落ちたときにその二人がいっしょになって落ちていくところまではドローンが映している。そこで映像は途絶え、配信は途切れてしまったのだが。
「会長は……この方に何をお望みですか?」
質問に対して、質問で返すのは失礼だとしても緋尋は《探索者協会》が烏真に対しての動向が気になった。
「キミのような《踏破者》を喪うのは世界の損失だ。そんなキミを守ってくれたこと、そして世界を救ってくれたこと……それに対して礼をしたいのは当然の思考だと思うがね」
緋尋は内心嬉しく思った――烏真を評価してくれる言葉に……だが、それでも約束がある。緋尋は烏真やイエルに関しての情報はできるだけ隠したかった。
「きっと喜ばれると思います……ですが、その……すみません、助けて頂いた際にわたしもお礼をしたいと願いを聞いたのですがその方は自身の正体だけは口外しないで欲しいと約束しました」
直接、烏真に言われたわけではないが。
「ふむ……そうか……」
さすがに批難されると思っていたが、返ってきた言葉はやけにあっさりとしていた。
「では一つだけ、これだけは教えてくれないかね? 千ヶ峰くんを凌駕する強さなのだろう……間違いなく《踏破者》ではないのかね?」
だが、緋尋は――
「……《探索者》ですらありません」
緋尋の言葉に室内がざわめき始める。しかし会長が手を上げるだけでそのざわめきは一瞬で静まり返った。
「ライセンスも持っていない、と?」
「はい……」
ここだけは隠すことは出来なかった。
しかし緋尋は息を吸う――ここからが本当の目的だ。
「わたしから……お願いがあります」
その一言で、部屋の空気が変わった。
「内容を聞こう」
会長は穏やかな声で促す。
緋尋は一度だけ深呼吸をしてから、真っ直ぐ前を見据えた。
「もしわたしを助けてくれたその方が《探索者》になる道を、与えてはくれませんか?」
その瞬間だった。
数人いた幹部たちが互いに顔を見合わせる。
「つまり……それはライセンスを与えて欲しいということかね?」
「はい……、できれば――そう、して頂ければ……」
緋尋は力強く頷いた。
「あの方はわたしたちを救ってくださいました。どうか、その功績に報いていただけませんか?」
静まり返った会議室。だが返ってきた答えは、思っていた以上に早かった。
「それはできない」
会長は即座に首を横へ振った。
「……っ」
緋尋の肩が小さく震える。
「探索者ライセンスとは国家資格と相違ない」
会長は淡々と続ける。
「どれほどの優れていたとしても、強くとも、試験を突破していない者へ発行することはできない」
「それは……」
「例外はない」
その一言は重かった。
「命を救われたこと、世界を救ってくれたことにはワタシも感謝している」
そして続けるように、
「だからと言って規則を曲げれば、これまで努力してライセンスを勝ち取ってきた全ての探索者を裏切ることになる」
それは反論の余地などない正論であった。
「それだけは、協会として絶対に認められない」
「…………」
その通りだと――緋尋は何も言い返せなかった。あまりにも正しい。会長の言葉は何一つ間違っていない。
「礼は別の形で必ず尽くそう。だがライセンスだけは別問題だ」
探索者たちは皆、危険な試験を乗り越えてライセンスを掴み取ってきた。緋尋だってそうだ。
これに関しては誰一人として近道など存在しない。それなのに、たった一人だけ特別扱いするなど許されるはずがない。
(……ごめんなさい、おじさま)
俯いたまま拳を強く握る。約束は叶えられなかった。
「……申し訳ありませんでした」
しかし協会の言い分に対して緋尋は何一つ否定することもできなかった。だから言い争うことすら出来なかった。だから小さく頭を下げたその時だった。
「待ちなさい」
会長の声に緋尋はゆっくり顔を上げる。
「キミがそう望むのなら――」
顎に手を置いたまま会長は考え込んでいた。
「ライセンスは与えられない」
それは決して覆らない結果。
「しかし――」
会長は机の上の資料を一枚手に取った。
「その人物が《探索者》を志すのであれば、試験を受けることはできる」
「……え?」
緋尋は思わず目を見開いた。
「言ったであろう? ライセンスは試験を合格すれば与える。探索者協会は挑戦する意思のある者まで拒む組織ではない」
「そ、それなら……」
「試験にさえ合格すればいい。そうすれば誰であろうとライセンスは発行するさ」
その言葉に、緋尋の表情がぱっと明るくなる。
「そうですよね……わたしだって試験に合格して《探索者》になったんですから」
五年前を思い出す――だが合格できたのは烏真のおかげでいまの緋尋がいることを、決して忘れることはできない。
「だから例外はないのだよ。千ヶ峰くんもちゃんと試験を合格して《探索者》になっただろう?」
会長は静かに頷く。
「だからこそ試験の合否の結果……それは、その人物自身の力で勝ち取ってもらうがね」
当然だろう。しかし公平だった。特別扱いはない。だけど誰もが立つスタートラインへ立つ資格を得るだけ。その先は、自分の力だけで掴み取る。
「……ありがとうございます!」
緋尋は深く頭を下げる。直接ライセンスは渡せなかったけれど、しかしそれだと一つだけどうしても不安材料が残っている。
「…………あっ」
それは、烏真が言っていた――試験はもう受けられないという言葉。
(でも、おじさまは試験は受けられないって……)
過去の試験の話を聞いてしまっている。
だけど――……、
「ん? どうかしたかね??」
「い、いえ……その……この件に関してはわたしから伝えてみようと思います」
「好きにしたまえ。ワタシは誰であれ、来るものは拒まぬよ」
「過去に何があろうとも?」
「キミにもあるのかね?」
「……いえ――」
緋尋は会長に鋭い眼光で射貫かれ、返答を濁した。それからもの数秒しか経っていないのに、その沈黙は永遠のように感じた。
しかし後ろのスクリーンの光が消え、暗かった会議室に光が灯される。
「ワタシからは以上だ。今日は来てもらってありがとう」
「いえ……その……ありがとうございました」
そして緋尋は何度も頭を下げながら会議室を後にした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
緋尋が会議室を出たと同時に扉が静かに閉まる。部屋には再び静寂が戻った。
「……よろしかったのですか」
一人の幹部が静かに尋ねる。
「何がだね?」
「正体も分からぬ人物の受験を認めるようなお話をされましたが」
会長は笑った。
「ワタシは試験は受けられると伝えただけだ受けるかどうかは本人が決めることだ」
幹部はまだ納得できない様子だった。
「ですが、その人物が本当に現れる保証は……」
「保証などない。来なければそれまでだ。別に来なくとも我々が失うものは何もないだろう?」
そして、ゆっくりと言葉を続ける。
「だが……もし彼女がそこまで信頼する人物が、本当に《探索者》を志しているのであれば――」
一度だけ視線を窓の外へ向ける。
「必ず試験会場へ来る。その時に初めて我々はその人間を知ることができる」
幹部たちは顔を見合わせる。
そこまで考えていたのか、と――そんな中で会長だけは静かに微笑んでいた。
「そもそもワタシは終焉級を倒せるほどの存在でありながら《探索者》ですらないことの方が気掛かりだよ」
緋尋の要求はライセンスの発行だった。試験を受けずにそのままライセンスを渡すことを望んでいたのはすぐにわかった。しかしそれは誰であれ許容できない。
「それは……?」
「彼女は最後、何かを言いかけて……それを飲みこんだ」
誰も答えない。無理もない――何者かわからぬ以上、ここでどれだけ話をしても答えなど出ない。
「彼が試験を受けられない事情でもあるのかな、とね」
その答えは、本人だけが知っている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
協会の外に出て、緋尋はやっと緊張から解き放たれて自由になった。
大げさに溜息を吐き散らかしながら、望んでいた結末にはならなかったもののそれでも一歩前へ進めたはずだ。
緋尋は自分のスマホの画面を開き、登録されている烏真の電話番号を表示する。地上に帰る際にイエルから教えてもらった唯一、烏真とのつながりだった。
《探索者協会》の会長とその幹部たちと会話する以上に緊張している。指先が微かに震えていた。しかし意を決して画面をタップしてメッセージを送る。
それから一分もしないうちに、すぐに電話がかかってきた。
その相手は――烏真からであった。
「お、おじさま……!!?」
思わず大きな声が出た。
自分でも驚くほど上擦った声のまま、烏真からの着信を繋いだ。
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