五年後/約束
配信を終えると、部屋は再び静けさに包まれた。
しかしポロンと音を立てる緋尋のスマホ――画面には数え切れないほどの【ver.horogram】運営からの連絡であふれかえっていた。
――【運営】<現在位置は把握できていますか?>
配信を見た運営はすぐに緋尋に位置情報に関して訊ねてきたが、
「どうしよう……」
みんなを安心させるために配信をしたけれど、実際のところ深層より更に奥深く奈落に落ちた緋尋は自力での地上への帰還は困難だった。
「上層までの転送が可能ですが?」
しかし困ったままスマホの画面を見つめる緋尋に対してイエルがそんなことを言うものだから、
――【緋尋】<上層まで戻れそうです。救助はいりません>
どうやって?――なんて聞かれても緋尋には答える術はない。だがイエルの言葉を信じてそのままメッセージを打ち込み、画面を閉じた。
「とりあえずいまはこれでいいかな……」
緋尋はホッと小さく息を吐く。世界中が心配してくれていた。ひとまず五体満足で生きていることだけは伝えられたから大丈夫だろうとドローンの電源を切る。
「俺のことは気にしなくてもよかったのに」
そもそも烏真はライセンスを持たない違反者だ。コメントでいくらでも罵詈雑言を受けるつもりでいた。
「だめです、これ以上……ご迷惑をかけることはできません」
もちろん二人を配信に映せば、終焉級を撃破した謎の男として同接数もコメントもとてつもないことになるのはわかっている。
だが、それで恩人を利用して注目を集めるようなことは緋尋にはできなかった。
「ほんとうは……全部伝えたかったけど……」
小さくそう呟いて、けれど烏真に聴こえていなかった。
「そ、それで……わたし、どうやって地上に帰れば――」
《踏破者》ならば自力で戻るべきだというのに、未知の領域を前に不安の方が勝ってしまいついそんなことを聞いてしまう。
なぜなら目の前にいる二人は遥かに緋尋の能力を超えているのだから頼ってしまうのも無理もない。
「現在は安全が確保されていますので、緋尋さまを上層まで転移させることが可能です」
「え? そ、そんなことができるの……?」
「はい」
迷いのない返事だった。
転移という言葉にチクリと胸の奥が痛んだが、これまでどんなダンジョンであろうとも進むのも戻るのも自分の足以外に使えるものはなかった。
「転移と言っても私が足を踏み入れ、記録した座標のみに有効です。どんな場所にでも移動できるものではありませんので半端な力ではあります」
「十分すぎてこわいけど……」
烏真はイエルのその力で自分の家の裏にある井戸を起点としてダンジョンを行き来できる。
元よりダンジョンの入口にも戻ることができる。条件さえ満たせれば即帰還できるなんてダンジョンを探索する者たちにとっては破格の能力である。
「でも……帰れるんだね」
不安が和らぎ、張り詰めていた力が一気に抜けた。緋尋はぺたりとその場に座り込んだ。
「よかった、イエルのおかげだよ」
「無事に緋尋さまを地上にお返ししたいと願ったのはマスターですから。私はマスターの願いを叶えるだけです」
「そんな大げさな……」と言って頭をかく烏真だったが、そのとき何かを思い出したように、
「そうだ、忘れてたよ」
そう言って、烏真がイエルに目を配るとそれ以上は何も言っていないのにまるで全てを理解しているかのようにイエルは両手をかざすと何も無い空間からポンっと球状の結晶のようなものが現れた。
サッカーボールぐらいにはある朱色の結晶だった。ドクリと脈打つように淡く輝く結晶を見た瞬間、緋尋は目を丸くしたまま息を呑んだ。
「こ、これは……終焉級の……核ですか……?」
全てのモンスターには心臓と同じ役割を果たす核が存在し、それを元に武器や機関の動力にも使わている。
しかし終焉級の核はダンジョンがこの世界に現われて五十年――今まで誰も持ち帰ったことのない代物だ。危険極まりない。
「そうだね、だってこれは千ヶ峰さんのものだからね」
そんな貴重なものなのに、烏真は当たり前のように頷く。
「…………え?」
一瞬だけ緋尋の思考が止まるが、
「い、いえ……!!」
慌てて首を横に振った。
「これは受け取れません、わたしは……何もできなかったんですよ!?」
「違うよ」
至極当然なことを言っているのに、烏真は即座に否定する。
「千ヶ峰さんがたくさん時間を稼いでくれたから、俺はたまたま間に合っただけだよ」
「で、でも……!!」
「それにね」
烏真は困ったように笑う。
「俺は探索者じゃないんだ。ライセンスも持っていないし、クランにも所属してない。それに俺じゃ使い道がわからないからね……千ヶ峰さんならちゃんと役立てられる」
「そんな……こと……」
チラリとイエルを見た。緋尋の装備も、怪我も元に戻してくれた。
それどころか装備の性能も終焉級の素材を使って修理したのならきっと有効活用できるはずだ。この少女が持っていた方が遥かに良いのではないか、と。
「不要です」
しかしまるで緋尋の心を読んだように、イエルは拒んだ。
「こちらは必要なものは全て拾得しました。どうぞそれは緋尋さまの方でお役立てください」
「そうだよ、俺は……もう十分もらいすぎちゃってさ、だからそれは持って帰ってくれると助かるよ」
それでも緋尋は一方的な善意に困惑している。
終焉級の討伐とその核の回収と世界的偉業を成し遂げたにも関わらずその全てを緋尋に明け渡そうとしている。
だが、そんなことよりも烏真は今後のことで頭がいっぱいだったりする。
「俺はこれからどうしようかな。いくらなんでもライセンスも持たずに上層から無許可で入っちゃって……」
ライセンスを持たずに上層より下へ潜るのは初めてではないのだけれど。
「配信にも映っちゃってるし……言い逃れもできないしね、処罰は受けるべきだと思ってるよ」
父のようになりたいのは本当だった。だけど自身の目的のためにルールを破ったのも事実だ。無事に助かったから終わり――それで済まされないのも事実だろう。
「そんなこと……ぜったいにダメです!!」
責任を負うことから逃げるつもりのない烏真に対して、緋尋は思わず声を荒げてしまった。部屋の空気が止まったように……烏真もイエルも、そんな緋尋に少し驚いているように見えた。だがそんな声を出してしまった緋尋自身も驚いていた。
「か、か……ううん、お、《《おじさま》》が来てくださらなかったら……」
その呼び方に烏真が目を丸くする。
「……みんな死んでいたかもしれないんですよ」
「でもルールはルールだから――……」
「違います!」
緋尋は聞き分けの無い子供のようにイヤイヤと首を左右に振って、
「おじさまのおかげでわたしたちは生きてるんです……」
「だけど、俺は……」
「わたしたちを助けてくれたあなたが……罰されるなんて、おかしいじゃないですか――」
烏真の言葉を遮るように……そう言った。
「おじさまの勇気が、わたしを生かしてくれたんですよ」
そして部屋が静寂で満たされる。
「……おねがいです」
ほんの少しして、緋尋は俯いたまま、
「わたしはまだ、おじさまに何一つお返しできていません」
上目遣いで烏真も見つめている。
「そんなこと気にしなくていいよ」
「わたしは……気にします」
今度は静かな声だった。
「おねがいです……何かありませんか? わたしが、返せるものは……限られていますが――お礼を、させてくれませんか……?」
緋尋は世界で七番目の《探索者》であり、世界に十二人しかいない《踏破者》である。
それでも、終焉級を倒すほどの力を持った人を満足させるものは持ち合わせていない。
「うーん……」
涙を浮かべて、震える緋尋を前に烏真は両腕を組んで悩んでいた。
「大人がお礼をねだるのもねぇ――」
一回りどころではない年齢の差を前に苦笑する烏真。
そんな若い子から何かをねだろうなんてとても烏真にはできなかった。しばらく長考を続けるが答えは出なかった。
「……いや」
思いついたが、さすがにそれはとすぐに言うのは止めた。
「ごめんね、思いつかないよ」
(やっぱり……)
胸が締め付けられる。この人はきっと自分から望まない、と。
だったら、これしかない――緋尋は覚悟を決めた。
「わかりました」
緋尋は真っ直ぐ烏真を見据えて、
「一つだけ、約束してください」
「約束?」
「そうです」
大きく頷く。
「おじさまはライセンスがないんですよね」
「そ、そうだね……試験にも受けれないし、俺が《探索者》になるのは無理だね」
「でしたら……わたしにお任せてください」
「へ?」
「処罰を受けるのも無しですからね!」
「い、いやいや……それだと二つ……」
一つと言われた約束が二つになっている。
「約束ですよ!!」
緋尋の言葉に迷いはなかった。
「絶対に、ですから!!」
烏真は困ったようにイエルを見たが、イエルは諦めて聞き入れるべきだと言わんばかりに無言を徹していた。
「わ、分かったよ……」
「ありがとうございます」
観念した烏真を見て緋尋もようやく笑った。その笑顔を見て烏真も安心したように小さく微笑んだ。
「その代わり核は受け取ってね」
「わ、わかりました……お預かりします」
片手で渡される終焉級の核を両手で受け取る緋尋。
(なんて……重い――……)
緋尋はギュっと胸に抱き留めて、受け取ってくれた。
互いの意見も無事に通り、イエルは落ち着いた頃合いを見計らい緋尋の前に立っている。
「それでは地上へお送りします」
「う、うん……ありがとう、イエルちゃん」
「いえ」
小さくそれだけ言ったあとに、
「気を付けて帰ってね」
烏真は最後まで緋尋を心配してくれていた。
「はい! おじさまも……約束、覚えててくださいね!!」
そしてイエルに向き直す緋尋だったが、
「マスターのこと、よろしくおねがいします」
「え?」
緋尋の足元が青白く光ると、そのまま光は彼女を包み込んだ。光が消えたあと、緋尋の姿は部屋から消えていた。
「イエル? なにを言ったんだ??」
「いいえ、なにも」
イエルは両目を閉じているけれど、烏真から視線を逸らしたように見えた。
「ライセンス、か……」
消えた緋尋が立っていた場所をしばらく眺めたまま、そう呟いた。
もう二度と縁のないものだと思っていた……。
「そろそろ帰ろうか」
「はい」
イエルが軽く手を振ると、二人の足元に淡い光が広がる。
景色が切り替わり、見慣れた井戸が二人を迎えた。いつもと変わらない田舎の家に帰った。
「……」
イエルはそっと自分の腹部に両手で触れていた。
「おなかが、すきました」
「ああ、もうこんな時間か」
地上に戻れば、日は既に沈んでいた。
「今日もありがとうイエル。夕ご飯つくるよ」
「はい」
いつもと同じ掛け声なのに、一本長い髪がぴょこんと機嫌よく跳ねたのが見えた。
「シチューにしようか」
「なんですかそれは?」
「えーっと、なんて言ったらいいのかな……」
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