忘れられない名前
千ヶ峰 緋尋が感じたのは温もりだった。
柔らかく包み込まれるような感覚は不思議と安心できた。その温もりが心地よくて、消えてほしくなくて眠ったまま無意識に抱き返していた。
「…………んんっ」
眠っていたのだろうか。ゆっくりと重たい瞼を開けば、目の前に広がっていたのは真っ白な天井。いや、壁も床も何もかもが白かった。それはまるで病室のように清潔な白い空間だった。
しかしこの空間に疑問を抱くよりも先に緋尋の思考を止めたのは――
「お目覚めになられましたか」
目の前にいた白銀の髪の少女だった。
「…………え、えっ????」
知らない場所にいることよりも、見知らぬ少女に抱き締められているという状況に頭の中は疑問符でいっぱいだった。
しかも。ただ抱き締められているだけでなく、
「か、か、か、かお……近くないかなぁっ!?」
鼻先が触れるほどの近いのに両目は閉じられたまま無表情。そして肌が触れる度に淡い光を発している。
「回復床をご存知ですか?」
そしていきなりの質問。
「う、うん……ダンジョンにある踏むと回復するやつだよね?」
ダンジョンにはトラップが付きものだが、なぜか《探索者》を妨害するのではなく手助けをしてくれるものが設置されている場合もある。
「それの応用して治療しています――ダンジョンに関することであれば再現可能ですので」
「ど、どういうこと……?」
「自己紹介が遅れて申し訳ありません。私には本来は名前などありませんがマスターに頂いたイエルという名称があります。そちらでお呼び頂ければ」
「そ、そっか……イエルちゃん、ね……え? その、あの、なんでイエルちゃんはわたしにくっついてるの???」
目覚めからいきなりの情報量に緋尋は目を回している。目覚めれば小さなベットの上に眠っていて、まるで妖精のような銀色の毛先だけが青い不思議な少女に抱き締められて、
「私は回復魔法を使用できませんので――回復床と同じ条件で緋尋さまを癒すにはこのように触れることが最も効率が良いのです。接触面積が広ければ更に完治までの時間が縮まるので実行している次第です」
表情は変わずに、至極当然のように告げられる。そこに羞恥や照れは一切なく、ただ緋尋を治療するために純粋に効率を追求した結果がこれらしい。
「あ、あの……」
きっと眠っている間ずっとこうだったのだろう。今更恥ずかしがったところで手遅れだ。
緋尋よりもずっと小さな女の子に抱き締められて、それを緋尋も抱き枕かと思って何度もギュっと抱きしめ返して、それでもイエルは声を上げることはせずずっと一緒にいたわけで。
「その、まだ……つづけるの?」
「問題ありますか?」
「あるよぉ……」
だがイエルは納得したように頷きながらも離れてくれない。しかし、イエルの行為が傷ついた緋尋の身体を癒すためならば――そっと自分の肩に触れり。
「……あれ??」
痛くない――終焉級との戦闘で肩を貫かれたはずだった。
特にその傷は深く、腕を動かすことなどもはや不可能だった。あのまま死んでいてもおかしくない重傷だったはずなのに、肩に触れれその傷は嘘のように消えていた。
「時間はかかりましたが完治してます――痕も残ってませんね」
イエルがそう答えるのだが、そこで緋尋は自身の今の状態を把握した。
「あ、ああ……あ、あ、あの、ああ……」
「はい」
焦燥する緋尋に対して事務的に返事をするだけのイエル。しかし視線を落とせば、何も着ていないことにやっと気づいた。
「……ふ、ふく、ふくっ!!!」
「福? そうですね、運が良かったですね」
「ち、ちがうってぇ!! わたしの服、どこ、どこぉ……!!?」
慌ててシーツにくるまって肌を隠すが、乱暴にイエルを引きはがすこともできなかったのでイエルもいっしょに簀巻きのように包まっている。
「うごけません」
「ご、ごめんね!? そ、その……イエルちゃんがあまりにも普通に接してくるから、まさかはだ、はだだだ……」
「先程も申し上げましたが、直接肌を触れたほうが接触面積が増えるので治癒速度が増すのでこのような恰好に……ですが勝手に脱がした私に落ち度があります。すみません」
よく見ればイエルもまた生まれたままの姿をしていたのが一瞬見えたが慌てて首を横に振り、その光景を頭から追い出そうとした。顔は茹でたように赤くなっている。
「ううん、わたしの方こそごめんね。その……たすけて、くれたんだよね?」
「マスターの願いでもありますので」
終焉級のモンスターの前で緋尋は無力だった。それどころか死ぬかもしれない傷まで負って、それでもこうして生きている。助けてもらった。
「ま、マスターって……あの――」
緋尋が訊ねようとしたとき、
「あの、このままだと苦しいので……」
「そ、そうだね、ごめんね!!」
シーツでぐるぐる巻きになったまま話し合うのもさすがに窮屈だ。イエルが申し訳なさそうに言うと、原因は緋尋にあるのですぐに拘束を解く。
しかしシーツの下が何も着ていないのでさすがに緋尋はシーツを被ったままイエルに向き合うのだが、イエルは既に白いワンピースのようなけれどどこかこの世の材質とは思えない不思議な衣装を着込んでいた。
「まずは……こちらを――」
そしてイエルは両手を緋尋に向けると、そこには何もなかったのに瞬きしたときには綺麗に折り畳まれた緋尋が来ていた服が現れた。
しかしよく見ればところどころ見た目が変わっている。肩の装甲部分や腕部の補強材――細かく意匠が凝らしているが、こんなものはこれまで付いていなかった。
「わたしの装備だ……」
「破損していましたので修復しておきました。一部、破損が酷かった部分については終焉級の素材を使用することで解決しました」
「い、いまなんて……???」
思わず固まってしまう。さらに傍らに置かれていた双剣も以前とは違う。
片割れは折れてしまってというのに新品同様に元通りになっている。刀身には黒い模様が増えていて刃も以前より鋭く見える。
「装備の修繕のためにマスターが部位切断してくださった《黒甲百足》の足先を回収しておいてよかったです」
「終焉級の素材で直しちゃった……の?」
「はい」
とんでもないことをさらりと言われた気がする。
世界で未だ二体しか確認されていないモンスターの素材を編み込まれた装備を渡されて緋尋の手は震えてしまう。
だが今まで無表情だったイエルはやるべきことを終えたと言わんばかりに頭の上の一本の長い髪の毛がぴこんっと揺れ動いたのを見てしまうと、
「ありがとう、イエルちゃん。大事にするね……」
そのまま配信用のドローンまで新品同然の姿で返してもらって、施されてばかりで緋尋は何も聞けなかった。
この子はいったい何者なのだろう……聞きたくても、いまはただ奇跡の連続を垣間見せられてとても冷静な思考ではいられなかった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「マスターのところへ行きますか?」
「いいの?」
「もちろんです」
新品のようにピッカピカの綺麗な装備を身に纏い、武器を腰元へしまって緋尋はイエルの背中を追いかけるように歩く。
しかしここはどこなのだろう。
終焉級との戦いの果て――突然、床が抜けて緋尋は奈落に叩き落とされた。しかし目を醒ませばダンジョンとはあまりにもかけ離れた空間。
小部屋を出ても通路はなく、また別の小部屋へ繋がっているだけだった。これをダンジョンというにはあまりにも小さい。
「あの、ここって……」
「私が作ったダンジョンのようなものと思ってもらえれば」
それ以上の説明はなかった――《踏破者》として数多くのダンジョンを攻略してきたけれど、こんなダンジョンは初めて見た。八畳一間のような空間をダンジョンと呼んでいいのだろうか。
「奈落の底に落ちたところまでは覚えてるんだけど……」
「安全が確保できれば地上に転移することは可能なのですが、あの瞬間は不可能でしたので現在は私が作ったセーフハウスのようなものの中にいると思っていただければ」
その言葉を聞いて、地上に転移できる力もあるということを緋尋は理解するが――ますますイエルの存在に畏怖してしまう。バイクのような機体に乗り込み、終焉級すらも斬り裂く剣、そしてこの空間。人智などとうに置き去りにしている。
「イエルちゃんは……何者なの――」
「ダンジョンコアです」
「へ?」
「それ以上の説明が出来かねます」
「……ダ、ダンジョンコア――……」
幾度とダンジョンは攻略してきた。世界のように広がるダンジョンの各層に点々と存在するダンジョンコアだが緋尋が見て来たのは宝玉のようなものでしかなかった。
まさか意思疎通が可能な少女の形をしているのは初めて見たので緋尋はイエルの言葉を反芻することしかできなかった。
「こちらです」
イエルが扉を開くと、緋尋が目覚めた空間と同じ小さな部屋の隅に終焉級を討伐した正体不明の男が立っている。
「あ、目が覚めたんだね……よかった」
部屋に入ったときは腕を組んで、眉を顰める姿に一瞬、臆したが緋尋の顔を見た途端に安堵したような表情を見せたことで緋尋の力が抜けた。
終焉級を討伐した人間とは思えなかった。それよりも近所でよく見かける優しいおじさん――そんな印象の方が近かった。
「すみませんでした」
しかし次に出た言葉が謝罪だった。緋尋よりもずっと年上の男性が、深々と頭を下げている。突然のことに緋尋は慌ててしまう。
「頭を上げてください……! 助けて頂いたのはわたしの方ですから謝る必要は――」
「……こんなところにまで連れ回して」
緋尋は言葉を失った。
助けられたのは自分なのに、謝るべきなのは自分の方なのに――
「知らない場所に連れてきちゃったし、その……怖かったよね」
目の前に立っている人は、《踏破者》である緋尋でも敵わなかった怪物をたった一人で撃退するほどの力を持った人だというのに、
「あ、あのッ!!」
頭を下げるべきは緋尋なのに、だから居た堪れなくなってつい声を上げてしまった。
「お、お名前を……聞いてもいいですか?」
互いに頭を下げても、話は進まない。だから緋尋はそう訊ねて……男の人はゆっくりと頭を上げて、イエルに目配りしていた。そんなイエルは無言のままコクリと頷ている。
「鏑木 烏真……です」
そしてて小さく乾いた笑い声を漏らしたまま烏真と名乗る男を前にした緋尋の心臓が大きく跳ねた。
「え……その、あの……ううん……そんな――そんなこと――」
緋尋の瞳が大きく揺れた。
緋尋は烏真の名を聞いてから様子がおかしかった。
独り言のように烏真には聞こえない声でぶつぶつと呟いていた。表情は暗く、曇っているように見えて烏真は不安そうに緋尋の様子を見つめているが、
「もしかして、まだ調子が……」
「い、いえ……その、だ、だいじょうぶです。ごめんなさい。わたしの名前は――」
「千ヶ峰 緋尋さん……ですよね。配信、見てましたので存じています」
緋尋もそれでコクリと頷いて、それ以上は何も言わなくなった。だがそれよりも緋尋は大きく鼓動する心臓の音が鳴りやまないことに動揺していた。
まだ確信できない。どうすれば……と、思い悩むけれど、どうしても気になってしまって――――
「あの……ひとつ、訊いてもいいですか?」
「どうぞ」
「か、か……いえ、その烏真さんは――あれだけの強さですし、その《探索者》ではなく《踏破者》――ですよね??」
世界に十二人しかいない《踏破者》の一人である緋尋ですら敵わなかった終焉級。
それを撃破した烏真の強さはどう見ても《探索者》ではなく同じ《踏破者》の一人に違いない、と。
十二人しか確認されていないだけで、一目に触れぬように立ち回る十三人目の《踏破者》が存在してもおかしくはない。
「え? 俺が……?? そんなわけないよ」
しかし返って来たのは緋尋が想像していたものとは真逆だった。
「そもそも俺は《探索者》ですらないんだよ。その、なんというか……ライセンス持ってなくてね」
その言葉に緋尋は目を見開いたまま、絶句していた。そんな表情を前に烏真はわざとらしく咳き込んで、
「魔力もゼロ、スキルも無くてね……」
今でこそレベルが上がったが、それでもつい最近まで齢四十が迫ってなおレベルは【50】のままで止まっていた。魔力とスキルは未だ皆無。評価されるポイントが烏真には何一つないのである。
「《探索者》のライセンス試験で受験資格はレベル【50】以上だった」
緋尋もそれは知っている。レベル制限の数字も《中層》へ降りるための資格だ。受験資格としてはごく当たり前の条件。多くの者は学生のうちにレベル【50】に到達し、そのままライセンス試験を受けている。
「俺はレベルが全然上がらなくてさ。経験値もほとんど入らなくて……三十代半ばになってようやくレベル【50】になったんだ」
「……そ、そんな……」
「それが、ちょうど五年前のことだった」
緋尋は思わず息を呑んだ。
「遅かったのは自分でもわかってる。それでも《探索者》になりたくて受験したんだ」
そこて一瞬だけ烏真は言葉を詰まらせる。
「でも……」
しかし、烏真は《探索者》になれなかった原因を口にする。
「……やらかしてね」
烏真は苦笑しながら昔話を始める。
「受験生同士でダンジョンを進みながら、探索能力とか罠の対処を見る試験だったんだけどね……」
「なにか、やらかした……と?」
緋尋はそんな烏真の昔話に耳を傾ける。
「うん……その試験の時にね――」
緋尋の呼吸が止まる。
「うっかり転移罠を踏んじゃってね」
「――――」
緋尋は黙ったまま話を聞いていた。
「近くにいた他の受験者も巻き込んでしまったんだよ」
隠すようなことはせず、言い訳もしない。それ以上を告げることはせず、
「完全に俺の責任だよ」
「で、ですがッ!!!」
それなのに緋尋は烏真の懺悔のような告白を前に、青ざめた顔をしたまま立ち上がっていた。その声は震えているようにも聞こえた。
「そ、それなら……もう一度、試験を受けれても――」
「それは無理なんだ」
しかし烏真はそう言い放って、
「受験者が誰一人として死ななかったのは不幸中の幸いだったけど……それでも巻き込んだことに変わりはないし、俺がやったんだ」
原因の全ては自分にあると、何度もそう呟いて、
「だから俺はその日をもって《探索者》になる資格を失ったんだけど……」
烏真の視線はどこか遠くを見ていた。怒りも悲しみもなく、本当に全てを受け入れているようにすら見えた。
「レベルも、魔力も、スキルもなかった――だから《探索者》には向いてなかったんだよ」
何も言えず緋尋はずっと烏真の顔を見つめることしかできなかった。
ぽつり、と。
白い床に小さな雫が落ちていた。
「……あれ?」
緋尋の落涙に、淡々と喋っていた烏真がそのときはじめて慌てて、
「ご、ごめんなさい……わたし……」
涙を浮かべる緋尋を前に、烏真は恐る恐る近づいてくる。
「まだ、傷が痛むのかな……ごめんね、へんな話を聞かせて」
「そんな、その……ちが……」
違う。
違うのに。
だけど緋尋は何も言えなかった。
「なんでも……ありません」
すぐに涙をぬぐって作った笑顔で誤魔化すことしかできなかった。
(だめだ、言えない……)
緋尋は喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
あの日の出来事を。
あの日見た背中を。
緋尋は烏真には見えないように拳を握った。
忘れたことなんて、一度もない
あの日、人生を変えてくれたあの人のことを。
忘れるはずがなかった。
五年前の――《探索者》ライセンス試験の日のことを。
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それでは次回もよろしくお願いします。




