《踏破ノ担イ手》
終焉級――黒甲百足が咆哮したと同時に、深層全体が震えていた。
複眼の全てが烏真へ向けられていた。獲物を奪われた怒りの全てをぶつけるように百ある足が一斉に振り上げられる。
だが、烏真は動かない。
結晶のような白い左眼が、目の前の怪物を捉えている。
百ある足の先が鞭のように伸び、その全てが烏真めがけて打ち付けられる。その内の一本でも当たれば烏真は間違いなく即死する。
「いける……」
鞭のようにしなる足と足が交差する隙間。
左眼に赤い線が走る。その線が進むべき道を示してくれるように――烏真はその道に沿うように身体を低く、嵐のような猛攻を回避できた。
考えるよりも先に足が動いていた。
「この眼が、導いてくれる」
ぼそりと呟く。
その瞬間、更に左眼が熱を帯びたように感じた。
命を脅かす攻撃を避けるための赤い線ではなく、今度は世界中に白い線が浮かび上がる。
百足の足、岩壁、崩れた天井、地面を転がる瓦礫――その何もかも全てに線が走る。細く走る白い線。
ダンジョンの中にいるときだけ見えるこの不可思議な線が、なんなのか……だが、鮮明に映し出されるこの線を辿ることで、
「いや……違う――」
剣を構えたままその身をひるがえし、百足の攻撃を寸前でかわす。緋尋も受け止めるだけで限界だった攻撃を幾度となく避け続ける。
そして回避するごとに一歩、また一歩と、黒甲百足との距離が迫っていく。
轟音と共に百足の足が地面を粉砕する。しかしそこに烏真はいない。既に半歩、横にずれていた。
「どこだ……どこにある――」
次の足は、次の足が、次の足も、どの足さえも、全ての足を紙一重で躱していく。
「み、みえない……」
緋尋はそんな烏真の狂気にも似た行動に怯えていた。
《踏破者》ですら敵わない終焉を司る怪物の攻撃を防ぐのではなく、躱しているのだから。
烏真はただひたすら百足の怪物を見据えたまま、
「見えた」
一本だけ、他とは違う線。
黒い外殻。その奥のさらに奥。
無数の白い線が絡み合う中心を走る黒く太い一本の線。これなぞれば致命になると無意識に身体が動く。
ようやく見えた。
頭部の下、喉のようなその部位を伝う線。そこに刃先を通せば――しかしあまりにも遠い。怪物はあまりにも巨大で、とても烏真の持っている剣では届かない。
しかし、今は違う。
この手の中には剣――《踏破ノ担イ手》。
その柄を握った瞬間から不思議な感覚があった。遠かったはずの線がやけに近く感じる。どう見ても届かないはずの距離を埋めるようなそんな錯覚。
「そこだ――」
烏真は剣を構えた。
魔力はゼロで、スキルも無い。剣術の才能もない。しかし左眼が映し出す白い線を結晶の刃がなぞる。
踏み込み、剣を振るただそれだけの挙動。
魔力を消費して斬撃を飛ばすことも、スキルを用いて衝撃波を放つこともない。ただ風を切るように横に振られただけの一刃。蒼白の刃が音もなく静かに走った。
刃は何にも触れていないように見えた。
誰もが虚空に剣を振ったようにしか見えなかった。
しかし、
バキィッ――――!!
硬質な何かが砕ける音。百足の頭部を覆っていた黒い外殻が大きく裂けた。攻撃して傷一つ付かなかった終焉級の外殻がまるで紙のように切り裂かれていた。
「――――へ?」
緋尋の口からあまりにも情けない声が漏れていた。
――<は?>
――<は???>
――<傷ついた!?>
――<なんで!?>
コメント欄が爆発する。
だが、一番驚いていたのは、
「……斬れた」
剣を握っている烏真自身だった。
黒甲百足の強固なまでの外殻を斬り裂かれたことに理解が及ばず、黒い体液を撒き散らしたままただ絶叫することしか出来なかった。
元より討伐するつもりなんてなかった。
時間を稼ぎ、この怪物の意識を自分に向ければ――それだけだった。
だが烏真の左眼が映し出す線に向かって刃をなぞればどんなモンスターであれダメージを与えることができた。
だからこそ、少しでもダメージを与えて黒甲百足の意識を常に烏真に向けることができれば――そう思っていただけだ。
「この剣は……」
透き通る氷のような刀身で、今にも砕けて壊れてしまいそう。それなのに薄い結晶の刃は、これまで使ってきたどんな剣よりも軽く、まるで自分の身体の一部のように扱える。
そして、それと同時に未だどうしてこんな力を手にしてしまったのかわからぬままの左眼が映し出す線をなぞることで《踏破者》ですら傷一つ付けることのできなかった外殻を削ぎ落した。
「もしかして……これなら――」
更に烏真の手に力がこもる。
ありえない――だけど、もしも――
「GAAAAAAAAAA!!!!」
黒甲百足が傷ついたことで更にその動きは激しくなる。背後で緋尋の悲痛な叫びが聞こえる。
緋尋はまだ足を押さえたまま、その場にいる。逃げていない――
一本でも緋尋に向かってあの百足の足が伸ばされれば、壊れた武器と傷ついた身体では防ぎきれない。
「やめ、ろッ!!」
たかが三ヶ月レベルを上げ続けたぐらいでは、きっと《踏破者》には遠く及ばない。そう思っている。
自分自身で手に入れた力なんてどこにもなくて。
この眼と、この剣だけが今の俺を支えている。
それでも……父のような、誰かのために手を差し伸べる《探索者》になりたくて――そのためにここに来たのだから。
「うおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」
百ある足が烏真だけでなく、緋尋にも向かって撃ち出された。躱すことはできない。躱してしまえば、そのままその鋭い足先が緋尋を穿ち殺す。
絶望が波のように押し寄せる。それでも烏真の心は折れなかった。なぜなら、その全ての足を烏真は切断していたのだから。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
蔓が千切れてたように、地面に転がり回る百足の足先。烏真の持つ眼と、剣が――終焉級の圧倒的なまでの暴力を凌駕する。
終わりが、始まろうとしている。
烏真の眼には今も太い一本の線を射貫くように見つめていた。
黒甲百足は後退していた。
終焉級と呼ばれる、人類を恐慌させるはずの怪物が――たった一人の男に恐怖という感情を植え付けられたように。
「そこをなぞれば……」
烏真は小さく呟く。
喉奥に伸びるもっとも太い線。その奥に見える赤く丸い核。烏真の声に反応して、百足の怪物は威嚇するが――もうその行為に意味などない。
背を向けたのは黒甲百足だった。
獲物をいたぶり、もてあそんだその愚行の先に、見知らぬ存在の介入によって追い詰められていた。
終焉を模した圧倒的な力がまるで届かない。逆に少しずつその身を削り取られ、ついには己が獲物と化しているのを知ってしまったから。
狩られる――
終焉級が、自ら死を悟った。
だが、もう遅い。
時間を稼げばそれでよかった。
勝とうなんて思ってもいなかった。
だけど烏真は己の力ではなく、それがたとえ借り物だとしても――この災厄をここで止めれるのならば、それが卑怯だと罵られたとしても決して臆することはない。
地を蹴り、跳び、その眼に映す線が――どこに逃げようとも、隠れようとも、その線を追いかけた果てに線の終点があるのだから。
「――――」
烏真は何も言わなかった。
黒甲百足の懐に辿り着く。
巨大な頭部の真下、裂けた外殻の中に見える核へ繋がる最後の線。
「――Aa」
頭部へ突き立てられた剣。その先端が静かに開いた。
そのまま開かれた剣の先端が、何かを掴んだように烏真の手が震える。
世界が止まったように見えた。
怪物も、緋尋も、配信を見ている者たちも。
パキン――、と。
黒甲百足の身体が硬直したと同時に、巨体の中心から無数の亀裂が走ったまま、
「GY――――」
咆哮が続くことはなかった。黒い外殻が崩れて、足が砕けていく。頭部はそのまま裂けて、内側から崩壊していくように砂のように崩れていく。
そして烏真の持つ剣の先が分かれて掴んでいたのは朱色に輝くモンスターの心臓ともいえる核だった。
――<ゲェッ!!? 核やんけ!!!>
――<終焉級の核!!!?>
――<まずいですよ!!?>
――<回収した? 回収したよな!?>
――<いや、これ……どえらいことになるやろ>
――<世界初やろ 終焉級の核とか……>
――<倒しちゃったの?????>
――<レベル3のおっさんが?????>
――<うせやろ、003いったい何者やねん>
コメント欄はまるで阿鼻叫喚だった。
それもそうだろう《踏破者》ですら傷すらつけることのできなかったモンスターを無傷で、しかも核を摘出して倒してしまうなんて人類の最高到達点に君臨しているのだから。
だが配信の様子などまるで知る由もない烏真は自分に対して向けられているコメントに対して一切気付く様子もなく、百足の怪物から抉り出してしまったモンスターの核をまじまじと見ていた。
「た、倒せた……?」
烏真がそう呟いた瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ――――!!!
突然、深層全体が地震が起こったかのように激しく揺れた。
「マスター」
イエルが珍しく即座に声を上げる。
「終焉級との戦闘により、ダンジョン構造が崩壊限界に到達しました」
「それって……」
しかし最後まで足元で嫌な音が響いた。
バキッ――!
「……ああ」
イエルの言葉を把握する。ここに来るまでも黒甲百足は絶えず暴れ回っていた。地面には巨大な亀裂が走っている。しかも一つではない。蜘蛛の巣のように全体へ広がっている。
「ち、ちょっと待って――」
ここにきて初めて烏真は額に汗が滲んだ。
「これまずくない?」
「非常にまずいです」
あっけらかんと無表情のままイエルは言い切った。そのまま床が消えてしまった。
「……え?」
緋尋が目を丸くして、
「え……?」
烏真は真顔のまま足場が崩落した。 重力が消えて、身体が吸い込まれるように沈む。それでも咄嗟に烏真は近くにいた緋尋の身体を抱き寄せていた。
「ええっ――!?」
「ごめんねっ!!」
驚きの声を上げる緋尋に対して烏真は謝った。
二度もこんな年配のおっさんに掴まれるのはきっと不快に違いないだろうけど、今はそんなことも言ってられない――と。
そのまま二人まとめて奈落へ放り出される。
下は見えず、底も見えない。ただ闇だけが広がっていた。イエルは空中で正座する形のまま落ちている。
「さっきのバイクみたいなの出せないのッ!!」
「再生成のクールタイムが終了しておりません」
「じゃ、じゃあ……ほら、ダンジョンの入口まで転移したでしょ!? あ、あれで――」
「申し訳ありません。あれは安全を確保した状態でないと使用するのは困難でして……」
「そっかぁ~……」
もはや手立てはない万事休すである。
落ちる。
落ちる。
どこまでも、落ちていく。
終焉級を討伐した烏真と、その瞬間を見届けた緋尋は――イエルと共に深層よりさらに深き奈落へと消えていった。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
もし良ければ↓↓の☆☆☆☆☆から応援して頂けると嬉しいです。
ブックマークも追加してもらえるとモチベが上がります。
それでは次回もよろしくお願いします。




