終焉級
燐牙はただ下唇を噛み締めていた。
「……なんでだよ」
獲物を捉えてもまだ鎮座する黒甲百足。
先ほど自分が放った銃火器の数々――《武器庫》から取り出した対戦車ライフルすらも真正面から受けたはずなのに傷一つない。
「ありえねぇ……」
理解が追いつかない。
いや、理解したくなかった。
神代 燐牙――《探索者》のランキングでも十一位に位置し、世界に十二人しか存在しない《踏破者》
三年でその頂きに登り詰めた天才だ。いずれ他の《踏破者》たちも抜き去り、最強の名を欲しいがままにするのだと。
《武器庫》という唯一無二のスキル。
誰よりも才能があると、そう思っていた。
そう信じて疑わなかった。
しかし見上げれば、黒い鋼鉄のような外殻で守られた百の足を伸ばす今まで見て来たどんなモンスターよりも巨大で、凶悪さを前に足がすくんでいた。
終焉級と呼ばれる怪物は微動だにせず燐牙を見下ろしているだけだった。ただ餌が一匹立っている――その程度の認識。
燐牙の喉がひくりと震えた。
ダンジョンに潜ってたったの三年で世界の誰よりも強い地位にいる。ずっと勝つ側だった。たった一度の敗北も、敗走もなかった。これまでも、これからも勝ち続ける人生を歩んでいくはずだった。
それなのに、
「……ふざけんなッ!!」
手が震えていた。呼吸が浅い。汗が止まらない。
「……舐めやがってッ!!!」
見下していいのは、俺だけだ――と、燐牙は咆える。腕を伸ばし、何も無い空間に腕を伸ばせばそこから白銀の筒が姿を見せる。
《国家認定迷宮攻略武装》――第二等級《天災》――それは緋尋だけのものではない。燐牙にもある。とっておきの切り札が、これを使う敵が現れただけだ。
「死ねッ! バケモンが――――」
明確な殺意を形成し、今まさに燐牙の最大火力が放たれるはずだった。だがそれが黒甲百足に迎撃の意思を生んでしまった。
尾が、動いたように見えた。
見えた、だけだ――すでに終わっていた。
ドゴォォォォォンッッ!!
「が……ッ!!」
何が起きたか分からなかった。
気付けば燐牙の身体が真横に吹き飛んでいた。 背中から岩壁へ激突し、骨が軋む嫌な音。右腕がありえない方向へ曲がっている。肺から空気が全て抜けた。
「……ぁ――……」
取り出されるはずの燐牙の切り札が火を噴くよりも先に、黒甲百足の音速を超えて叩き付けらる尾によって台無しにされた。
粉々になった岩壁といっしょに埋もれて、血を吐いたまま燐牙の意識が薄れていく。
――<……は?>
――<ちょっと待って>
――<燐牙……やられた?>
――<ワンパン……?>
――<嘘だろ……《踏破者》だぞ……>
どれだけ性格が終わっていたとしても、実力だけは本物だった。だからそこに関しては視聴者たちも認めていた。しかし、そんな燐牙がたった一撃で沈黙している。
しかし、これで終わりでは無い。
虐殺が行われようとしている。終焉の怪物の無数の瞳はいまだ健在の探索者たちを射貫くように見ている。
「みんなッ……下がってッッ!!」
緋尋だけが、声を張り上げてそう叫んでいた。
ぴくりと動いた黒甲百足の全身を前に緋尋だけが動けていた。黒い残像が通り過ぎた頃にはもう全てが遅かった。
「ぐあぁぁぁ?!」
「いやぁぁッ??」
「な…っ……!?」
探索者のひとりが燐牙のように吹き飛び、悲鳴が重なるように二人、三人と撥ねるように転がっていく。
クランメンバーたちが次々と吹き飛ばされていく。防御も回避も意味をなさす、装甲が砕け、盾も、武器も、何もかも壊れていく。誰一人その攻撃に反応できず、たった数秒の攻撃でパーティは壊滅状態に追い込まれている。
「GYURAAAAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaaaaaa!!!!」
不快な金切り声を発しながら、黒甲百足が名の通り百の足先から数え切れぬほどの触手の鞭を伸ばしていた。
それは緋尋を狙っているのではなく、すでに行動不能になっている探索者や燐牙にとどめを刺すために行われる一方的な虐殺行為に他ならない。そんな身動きの取れない仲間たちを前に緋色は動く。
「だめっ……!!」
緋尋の身体が真っ赤に光っていた。それは二つのスキルを所有する彼女のもう一つのスキルが発動したことを意味する。
「《過機動》!!」
一瞬だけ世界が遅くなる。
時間を操っているのではなく、緋尋本人の処理能力と身体能力が異常な加速するほどに引き上げられていることを意味する。
他の探索者では反応できないほどの速度で放たれる百足の脚が見える。それでも緋尋もスキルを使ってなんとか反応できるほどの速さ。
「まだ……!」
だが、いまは傷ついた仲間を守ることが先だ。
双剣が赤熱し、
「《赫刃軌道》!!」
緋尋の斬撃と、百足の尾がぶつかり火花が弾けた。しかし、弾けただけでやはりモンスターに傷一つつくことはなく、
「硬っ……!?」
緋尋は顔をしかめた。
しかし倒れる探索者たちではなく、モンスターの視線は緋尋に向けられている。これでいい。傷の浅い探索者はまだ自力で動ける。全員を逃がすための時間を――緋尋が稼ぐために、彼女は双刃を振るう。
「GYU……」
これまでのモンスターより早く、重い――それでも緋尋のスキルと武器に備わったアーツでどうにかできる……してみせる、そう思っていた。
……パキッ。
と、何か外れる音がした。
パキッ、パキッ、パキッ。
音が止まることなく鳴りながら、百足は嗤う。
足の一本一本が弾けるように伸び続ける。それが百本だ――鞭のように、それはまるで足ではなく触手にも似た――
「――――そんな……」
緋尋はそれでも背を向けることはできなかった。まだ探索者の逃走経路の確保ができていない。まだ目が覚めていない者もいる。燐牙も指先一つ動くことなく倒れたまま。
――<禁忌級の上だろ……あれ……>
――<二体しか確認されてないヤツじゃん>
――<逃げて>
――<はやく、はやく、はやく>
《踏破者》の一人は一撃で撃沈、そして緋尋の攻撃もやはり通じない。そして百本の足を伸ばしながらゆっくりと獲物ににじりよる黒甲百足。
コメント欄は絶望と恐怖で阿鼻叫喚と化していた。
だが、それでも緋尋は決して臆することなく立ち向かう。戦えるのは自分一人しかいない。レベルは関係ないと燐牙は言っていた。持っているスキルや魔力の高さこそがすべてと。
――それは互いのレベルが拮抗している場合の話だ。
【900】近いレベルの怪物に、たかが【600】後半のレベルでは戦いにならない。このレベル差ではもはやどんな攻撃をしても通じるわけがない。
だが、それでも攻撃が当たる直前に緋尋のスキルと武器のアーツによって百足の攻撃を逸らすことはできる。時間を稼ぐことはなんとかなるはずだ。
「みんな、逃げて!!!!」
探索者たちがお互いの肩を担ぎながら、緋尋の言うとおり撤退を始める。誰一人として残る者はいなかった。レベルもスキルも魔力も緋尋に劣っているから。残ったところで足手まといになってしまうと理解しているからだ。
未だに目を醒まさない燐牙はやはり最も重い痛打を受けたのか二人の探索者に連れて行かれているが、なんとか黒甲百足の意識は緋尋に向けられているおかげでみんなが逃げるための時間を稼げた。
「……だめだな」
ぽつり、と呟く。
いつも、いつも――もっとも危険な瞬間が迫った時、上手くいかない。
それは緋尋にしか知らない昨日の話。
だけど、この怪物を倒せなくても――
「……私が――」
双剣を握る。赤く燃えるように光が漏れ出ている。
「……守らなきゃ……」
百ある伸びた足が、一斉に放たれる。それは逃げる探索者の背すらも貫かんと撃ち出される。だが、緋尋の強固たる覚悟は黒甲百足の一切の攻撃を弾き返していく。
赤い奔流が駆け抜ける。
黒甲百足の百連撃を――世界で最も危険とされる終焉級の攻撃を、たった一人の人間が防いでいた。
スキルを限界まで使用して、武器の性能も最大まで引き出しながら――
脳にも身体にも負担がかかっている。もう目と鼻からポタリと血が滴っている。しかし瞬きすることなく、光速で撃ち続けられる百足の攻撃を弾いている。
耳からも血が流れていることにすら気付かない。防ぐことで精いっぱいだった。反撃などする余裕もない。
勝てない――そんなことはわかっている。
それでも、ここで自分が止まったらみんなが死ぬ。
「まだ……まだ……ッ!!」
《墓守ノ両鋏》が百足の攻撃を弾き返す度に、悲鳴のように軋む。
ミシ、ミシ……。
「あ――――…………」
先に限界が来たのは武器の方だった。
双剣の一本が折れて、それでももう折れたまま緋尋もまた攻撃を繰り返す。
壊れる武器。見開いたままの目から血の涙と、鼻から垂れ落ちる血。百足の攻撃を弾き損なって傷ついていく柔肌。そんな白い肌も血に染まっていきながら、痛々しい光景を配信ドローンは映している。
「……だいじょーぶ……だいじょうぶ、だから……」
きっとコメント欄は見えない。きっと心配させている。怖がらせちゃダメだ――と、 笑わなきゃ。
配信はまだ続いている。
ドローンは壊れていない。だから配信を切るわけにはいかない。
もしこの怪物に勝てなくても、終焉級に関しての情報を少しでも世界に流し、他の探索者に共有すれば――きっと自分よりも強い誰かが、この怪物を倒してくれる……そう信じていたから。
世界中がこの配信を見ている。
だから、いつものように配信者として。
無理やりに作った笑みと、震える声。
「みんな……わたしが……わたし――」
――<もういいから!>
――<はやくにげて!!>
――<お願い逃げて!!!>
――<もう十分だから!!!!>
コメント欄には悲痛な声が文字となって流れていく。だがそのコメントに目を配る余裕もなく、容赦ない暴力の連続に緋尋はただ防ぐことしかできなかった。
ついに剣を握る力も残っておらず、弾かれたと同時に右肩を貫かれていた。
「ぁ…………ッ……!?」
熱い。
痛い。
視界が揺れた、血が流れている。
それでも、貫いた触手に怒気と共に刃を振るう。一本の触手を千切ったところで百ある触手の前ではその抵抗はなんの意味もなさない。
力が抜けて、剣を落としてしまった。スキルも、アーツも使えなくなっている。ついに緋尋も限界が来てしまった。
それでも緋尋は倒れない。
ここで倒れてしまったら全てが終わる。
終わってしまう。
だが黒甲百足は一瞬で殺すことはせず、少しずつ緋尋の行動を制限するように痛めつけている。
ケタケタと、嗤うように――血塗られていく緋尋を見て悦んでいるようにすら見える。
「あう……っ……」
鋭い痛みと流れ続ける血でいまにも気を失ってしまいそうだった。息ができない。視界がグニャリと歪んでは霞んでいく。
もう――限界だった。しかしまだ誰一人として死んでいない。それは緋尋が守り続けた証明だった。
しかし、このまま意識を失ってしまえばここにいる全ての人間が蹂躙される。終焉に相応しい結末がすぐそこまで来ている。
不意に視線が空へ向いた。
誰もいない――当然だ。
助けなんて来るはずがない。世界で最も危険なモンスターを前に、死に逝くようなものだ。
もう立てない。
もう動けない。
でも、まだ、諦められない。
あの日から、ずっと――
もう、逃げないって……そう、決めたのに。
そのとき、
はじめて、
くちびるだけが、ちいさくうごいて――
――■■■■。
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それでは次回もよろしくお願いします。




