第十三話 災厄の一撃
奴が見えたのはほんの一瞬の出来事だった。天地を割るように飛び上がり、空へ舞いあがったのだろう。轟音とともに結界が割れたかのように光がちりじりになり、消えていく。顔でもない、頭でもない、生物に見えない何かが一撃で結界を崩壊させた。
結界装置を見ると、すでにこと切れたように動きがなく、どこか故障したようにも見える。いまから治せるかと言われるとたぶんできるだろう。だが、それは瞬時にあの造物によって崩壊させられる。だから、もう結界なんて必要ない。今必要なのは造物から逃げる足のみだった。
「嘘だよ、ね」
あの造物は結界を一撃で割るだけでなく、その下にあった城壁ごと粉砕した。もうすでに、避難のほとんどが済んでいるとはいえ、たくさんの人たちが住んでいたところに灰生物とキメラと造物は容赦のない破壊の限りを尽くさんとした。前線の崩壊は始まっており、すでにここが安全でないことを理解する。
団長との約束である、”結界が壊れた時は必ず逃げること”これを今から実行しなければならない。何をすべきかはわかっている。これから何が起こるかもわかっている。皆に降りかかる不幸が私が逃げるための一手となることの絶望。無力が心に突き刺さる。
その場に立ち尽くして、ぼーっとしてしまう。心身に負荷がかかり過ぎたのか、現実を見る気になれなくなってしまったのかはわからない。何もわかりたくなかった。
「シアハさん、ぼーっとしている場合じゃないですよ!」
後ろから背中を叩かれてから誰かに話しかけられていることに気付く。振り返ると、傷だらけのルスベリー先輩だった。血と泥に塗れており、どれほどの激戦だったかがよくわかる。それと同時になんでここにいるのかが不思議に思えてきた。
「先輩?なんでここに」
「逃がされたんですよ、団長に。」
「え?」
ルスベリー先輩なら、団長なら、あの造物とかいう化け物を倒してくれると思っていた。文献にはない、未知の生物だとしてもなんとかなると過信していたとともに、団長が今何をしようとしているかを理解した。
震える思いと声を縛るように振り絞って話始める。私の予想が正しければあの剣と団長が造物を一人で倒すことができる未来はただ一つ。
「ルスベリー先輩、団長はなんて」
暗い気持ちを抑えるように笑顔で。圧倒的な信頼があるように思えた。それとともに私を強制的に背負った。意思に関係なく必ずここから逃がすという強い意志に押されて、そのまま逃避し始める。その間にルスベリー先輩は話してくれた。
「いきなりですいませんがこれをするしかないと理解してください。そして、団長は必ずあの化け物を殺すから、絶対に皆を逃がしてほしいと」
「あまりに鋭い視線と圧で、私も反論する気すら起きませんでした。団長は特にシアハさんには必ず生還してほしいと。」
息も絶え絶えになりながらも話してくれる。ここで暴れても私もルスベリー先輩にも迷惑であることを察して私はおとなしくルスベリー先輩の話を聞いた。
「戦線は、ほとんどの、キメラが死亡。灰生物だけ、となっていて、掃討するだけでした。」
「本来なら、すでに勝利に近く、私たちは、その迫りくる脅威に、気付けませんでした。」
「先輩無理しなくていいですよ。後でゆっくり聞きますから。」
私は移動を先輩に任せているにも関わらず、先輩は話を続けようとしている。そんな負荷をかけるわけにはいかないと案じてそう言った。
「ダメです。これは今聞くべきなんです、続けますね。シアハさんも見たと思いますが、その迫りくる脅威は”造物”。奴でした」
私念のこもった、重い声が造物に対する殺意を示している。圧倒されるほどの恐怖に身を置かれると一気に緊張が高まる。ルスベリー先輩は勢いを落としつつもしっかりとしゃべり始める。
「私は、確か、救都になってから来た人だったので造物がそれほど強いやつとは思えませんでした。だけど、奴の放つ異様な空気感は拭えず、常に警戒をすることにしました」
「その後、団長にすぐさますべての部隊を撤退させよと命令が下されるころにはすでに奴は目のまえに立っており、その後は多分シアハさんも見たのではないでしょうか。」
「奴は飛び上がり、結界と壁と私たちの心をすべてを持ち去りました。その時にはすでに団長によって私は城壁からはがされており、異次元の団長と造物の戦闘を見て、絶望しました。」
顔には見えないが、泣いていることが分かる。その声に、怒りと、悲しみと、恐怖と、後悔が詰まった念が伝わってくる。
「そいつは全力の団長と互角以上にやりあっており、その戦場は誰も近づけないほどに熾烈で、驚異的でした。」
「団長の言っていた。全員撤退とはそういうことでしたと。誰も、彼女についていくことができないからです。」
「そして、私は今こうして、シアハさんを運んでいるんです。」
「そ、っか...」
言葉にできないほどのことがあった。恐怖にまみれた心を立て直して、無力に苛まれてもなお未来のために行動するルスベリー先輩は眩しかった。さっきまでどうしようと立ち尽くしていた私がいやになるほどにね。
「大丈夫です!必ず団長は帰ってきますって、信じて待つ。これが今私たちできる最善です。そして、迎え入れる場所を作るんです」
言葉にできない何かがあるとすれば今そういう感情を抱いているのでしょうか。希望でも、絶望でもない何かがある。それはきっと黎明であるのかもしれないし、黄昏であるのかもしれない。この先が見えない道には何があるのかが分からないまま、救都の民たちが避難している場所に逃げ込もうとした。
ルスベリー先輩の言葉が詰まったまま心に取り残されて、しまって、つぶれるように。




