左衛門三郎禄郎は許せない(1)
その日、統香と一宮の二人は協会本部へ赴いていた。
なんでも、戦闘を行う度に周囲へ壊滅的な被害を出す一宮へ、モデラーよりクレームが届いたらしい。
原状回復を主な業務とする彼らモデラーからしてみれば一宮の黒球を用いた戦闘──それも、地面や建物を深く抉り取る戦法というのはどうにも反りが合わず、こうして呼び出しが起こる事もままあるのだとか。
主とその側近が不在であるものの、屋敷内に勤める面々の業務は通常通り行われる。
庭園の手入れや屋敷内の清掃、消耗品の発注等々、裏方というのは基本休まず動き続けねばならない。
ハウスメイドとして迎えられたまこっちゃんもその例に漏れず、本日も変わりなく仕事に従事していた。
武道場にて鍛錬に励む晨星と雑談を交わしながら、床を乾拭きで拭き上げる。窓も床も大半を終わらせ、残すは晨星の足元のみ。まこっちゃんはもう何度も見た光景から、その鍛錬がまだ暫くかかる事を悟ると、モップと顎の間に手を挟んで体重を預けた。
雑談ついでに一つ尋ねる。
「なあ、一宮ってどれぐらい強いんだ?」
それはなんて事ない、ただの疑問。されど、二人の凄まじく熾烈な戦闘を直接目にしたまこっちゃんの少年心は好奇心を禁じ得ず。
晨星は鏡の前に立ち、ゆっくりとした動作で己の身体の動きを確認していた。実際の動きとイメージを重ね合わせる事でズレを修正し、徹底して無駄を省く探究の道である。
そんな集中力を必要とする鍛錬の最中であるにもかかわらず、なんて事ないかのように返答が返ってきた。
「どれぐらいアルか……嗯、武術なら私、負けナイ。
アトリビュート使われたら勝ちナイ。
私以外のヤツ、武術でも勝ちナイネ」
僅かばかりの素振りから一応は考えての事だろう。晨星は一息に言葉を連ねた。
「な、なるほど……?」
わかっているのかいないのか。きっとわかる者の方が少ないだろうが、まこっちゃんは首を傾げつつも頷いた。
晨星は自らが編み出した拳、『和拳』の構えをいくつか繰り出しながら言葉を続ける。
「一宮の間合いに入る。ソレ正にまな板の鯉ヨ。
しかもアイツ銃使うネ。間合い操る簡単アル」
蹴り上げた脚を何秒もかけてゆっくりと降ろしていく。
体感はブレず、今この瞬間にも背後に回り込まれるかのような安定感を保ったまま、当の晨星にしてみればこんなものは朝飯前なのか、
「マ、私は銃より早いから意味ナイけどナ」
最後にそう付け加え、構えを解いた。
激しい運動ではないと言うのに、その身体にはシャワーでも浴びたかのような大量の汗が滴っている。
「す、すげーんだな……?」
果たしてどちらへの感想なのか。まこっちゃんは驚声の色で目の前の武術家を賞嘆する。
タオルで汗を拭う晨星。
まこっちゃんはその背中を見つめ、物理的には一宮と同程度だろうサイズ感のそれに、比類の無い巨岩をイメージした。
(どうやったらこんなのに勝てるんだよ……一宮すげーよ……すげーすぎるよ……)
八月朔日邸にて一宮と双璧をなす最高戦力、晨星。
鍛錬の時間以外は猫のように気ままに過ごす少女であるが、こと戦闘に於いては一宮ですらも及ばぬ領域に身を置く達人。
味方であれば頼もしい事この上ないが、何故かまこっちゃんの顔色は優れなかった。
床に滴った晨星の汗を拭きながら、想う。
(わたしの迷彩じゃ、二人みたいにはいかないよな……)
攻撃力に直結する能力でないからだろう。まこっちゃんは自身を卑下した。
まこっちゃんの迷彩は他と一線どころか二線三線も画す一級品であり、通常では成し得ない認識そのものにまで影響を及ぼすほどの精度は一宮にも不可能な芸当なのだが、その異常性から統香はこれをまこっちゃんのアトリビュートと睨んでいつつも、それらしい対価や代価は発生していない点を鑑み、既に何らかの形で支払いを終えていたのか、そもそもアトリビュートではないのか等々考察を続けていた。
しかし協会へは届出をせねばならず、まこっちゃんの力の流れがどちら由来かによって今後の成長に影響する点を考慮した一宮により、現在は結論を保留としている。
それは適切な判断であるものの、ハウスメイドの身でありながらやはり身体を張りたい性分なのだろう。まこっちゃんは迸るほど満ち満ちた気合いに対して気持ちやそれ以外の要素の全てが追いついていない現状に焦りを感じていた。
「真?」
晨星より呼びかけられ、まこっちゃんはハッとした。
とっくのとうに汗は拭き終わっており、乾いたモップをギシギシと床に擦り付けていた自分に気付く。
(水拭きから乾拭き。道具の扱いも、手順も、直ぐに覚えられたってのに……)
晨星に相談するべきか。
いっそ、武術の稽古をつけてもらえるよう頼んでみるべきか。
「……悪い。今行く」
(いや……寿司ん時俺はビビって何も出来なかった。
元春菊サンに声をかけてもらえなきゃ……自分じゃ何も出来なかったんだ。
そんな俺が……俺に、一体何が出来るよ)
気付けばまこっちゃんは真へと姿を変えていた。
その気配を察知してか、晨星は振り返り、
「哇ッ──って、何ネ。吃驚するヨ、ソレ」
何度か目にしているというのに、未だ慣れないか。
こうして驚くたびに拳を構える晨星に、真も腰を抜かすほどビビり散らかすのだが。
「あっ!? ……あ、わ、悪ぃ」
頭部に御起立された真っ赤なモヒカンをツンツンと触り、ようやく自身の変化の気付いたのだろう。
浮かない顔で視線を逸らし、冴えない返事を口にした。
明らかに沈んだ空気を放つ真。そんな彼を見つめ、晨星は言葉をかけ──
「……っ」
ようとし、口を噤んだ。
(タブン、真が一番理解してるネ)
自身の力だけではどうしようもない現状。スランプとも言えるそれの乗り越え方を晨星はよく知っている。
だからこそ、余計な口出しはしたくなかったのだろう。
それが正しいか間違っているかは問題ではない。晨星の解答はこれだったのだから。
シャワー室へ向かう晨星と、その後を追いていく真。
無言のまま歩く自分の背後を、これまた無言で歩く真。
突然、そんな真の気配が揺らいだ。
後ろに視線をやって見てみると、まこっちゃんに変わっている。
「……?」
異変を感じつつも、視線を戻し数歩。再度揺らいだ。
振り返ってみるとまこっちゃんは真に変わっていた。
「啊……?」
「ん? どうした?」
真は気付いていないのか。俯いていた視線を上げ、小首を傾げる。
「……な、何でもナイヨ?」
言うべきか言うまいか。
こんな事はこれまで一度も無かったものの、果たして、"今"伝えるべきか。
統香も一宮も居ない今、自分の独断で決めていいものか。
急く胸の鼓動から、晨星は思わず腕を後ろ手に組んだ。
もじもじと、らしからぬ。
「んん?」
さしもの真も違和感を感じたのか、その表情はどんどんと難しくなっていく。
今にも問い詰められそうな、問い詰められてしまえば言い逃れ出来なさそうなそんな中、晨星は閃いた。
「ワ、ワタシっ、あああ汗臭くない、かナ〜……なんテ……」
引き攣り笑いを見せる晨星。その不自然さに感じるものこそあるものの、それでも先の滝汗を目撃し、なんなら拭き取った真である。
「おう。いつも通りいい匂いだぜ」
ニカッと笑ってそう答えた。
(実際全然臭くねーけど、あんだけ汗かきゃー気にするなって方が無理だよな)
晨星は普段とかけ離れたおどつきを見せていたが、どこか心ここに在らずの真は気付かないのか、そのまま歩き始めた。
晨星を追い抜き、歩を進める。
(吁气……上手く誤魔化せたアル)
ちぐはくと噛み合わない二人は、そうしてシャワー室へ向かうのだった。
* * *
「晨星様、アレ何とかしていただけませんか?」
ソファーに寝そべり、統香より買い与えられたスマホを弄る晨星は、不精に視線だけを送る。
扉の向こうには、顔の半分を抜き身の刀身で覆い隠したかのような容貌の女性、シルヴィアが恭しく佇んでいた。
「シルヴィアか。あれって何ヨ」
スマホに視線を戻す晨星。縦画面の動画を小慣れた動きでスワイプしていく。
(なんだか統香様に似てきましたね……)
なんて事を思いながらシルヴィアは窓辺に移動すると、スッと人差し指を指し伸ばした。
その先は立ち上がり窓辺に寄らねば確認出来ない。
「……全くモウ」
晨星は気怠そうに立ち上がって窓辺に移ると、シルヴィアの指差す先へ視線をやった。
この屋敷の入り口となる門口。その前で腕を組む和装の男が一人、何やら叫んでいるのが見える。
「ずっと叫んでおいでなのですが、私としてはもう、予定に無い狂人の来訪に対応したくはないので……」
予定なく来訪した猿癇癪の狂人一号である晨星は男の顔を注視し、口元の動きを観察すると、その叫声を読み取った。
「統香を出せって言ってるネ」
「えっ、聞こえるんですか?」
思わずシルヴィアもこの表情である。
「读唇术。読唇術アル」
晨星の謎の特技が発揮されたものの、しかし念のため、シルヴィアは窓を開いてその声を確認した。
「やい八月朔日統香! やい八月朔日統香!」
男はイカれたオウムのように同じ調子で繰り返していた。
シルヴィアは窓を閉じた。
「……お知り合いですか?」
「馬鹿にするナイ。付き合う相手くらい選ぶヨ」
今度は晨星が窓を開けた。
「やい八月朔日統香! やい八月朔日統香!」
閉じた。
「あいつヤバいアル。キチ○イヨ」
「ですね。
真面目そうな日本人なのに」
「いや日本人オカシイ。
変なノばっかネ」
そこから二人は日本人ディスに花を咲かせた。
やれ働き過ぎで死ぬのは意味が分からないだの、真面目過ぎて面白くないだの、かと思えばSNSではそれらと同じ民族かと疑うような投稿で溢れているだの。
数分。
流石に対応するか。と二人は門へ向かった。
道中に真──現在はまこっちゃんへと変化している彼もとい彼女を拾い、三人体制となる。
「ヤバい奴なんだろ……? 大丈夫なのか……?」
未だ玄関の内だというのにビビり散らかすまこっちゃんは、シルヴィアのスカートに捕まってひょっこりと半身を覗かせた。
シルヴィアの陰に隠れるまこっちゃんと、そんなまこっちゃんの頭を撫でるシルヴィア。
非戦闘員である二人の前に、晨星は勇ましく一歩を踏み出した。
「無问题。
ヤバい奴にはヤバい奴ぶつける。常識ネ」
開かれた扉から差し込む逆光が、晨星の影を強く浮かび上がらせた。
* * *
シルヴィアとまこっちゃん。
守護対象である二人を突然屋敷へやってきた狂人から庇い守護るため、先んじて最前線へ飛び出した晨星。
扉の隙間からこちらを見つめる二人へ、その大きな背中からメッセージを送る。
(任せるヨロシ!!)
晨星は背後をちらりと振り返り、バチっとウィンクを送った。
しかし残念、両目を瞑ってしまっている。
「……可愛らしいですね」
「かわいいな」
狙い通りとはいかないながらも空気を和ませる事には成功したようだ。
(決まった)
決まってない。
「やい八月朔日統香! やい八月朔日統香!」
いつまで呼び続けるのだろうか。扉が開いたというのに、男はそれに気付いていないかのように狂えるオウムを演じている。
その声を聞き、晨星は正面へ向き直った。
玄関階段を一段、また一段と下り、青々とした芝生の広がる庭園へと降り立つ。
「む」
すると、男はようやくこちらに気付いたようで、気付いた事に気付いた晨星はにやりと口角を釣り上げた。
そしてバッと激しく両腕を広げ、ザッと激しく腿を上げ、
「ホキョアーーーーーーーッ!!!」
『白鶴の型』或いは『鶴の構え』にて繰り出されたのは、薩摩藩士は薬丸自顕流における裂帛。猿叫であった。
「ホォオオオオ……ホキャーーーーッ!!!」
シルヴィアは扉を閉じた。
「……統香様を呼びましょう」
「そうだな……っていや、いやいやいやいや! こんな事で呼び戻していいわけあるか!
大事な用なんだろ!? 行かなきゃヤバいんだろ!?」
「そんな事ありません。あの二人が何かやらかして呼び出されるのなんてしょっちゅうです。
そんなどうでもいい事より目の前の珍事を治めてもらう事の方が万倍重要ですよ」
「だとしても! こんな事で帰ってきてもらっちゃったら、統香も一宮ももう安心して外出れないかもしれないだろ!」
「良いじゃないですか。統香様出不精ですし」
「画材の買い出しに困るだろ!」
ホキョォォオオオオォァアアアアアア
そんなやり取りをしている間にも、扉の向こうからは晨星の猿叫が聞こえてくる。
「まずいですね。ご近所から通報されるかもしれません。今すぐ統香様を呼びましょう」
「待てって! ご近所なんて居ないだろ! それに私らからしたらどうでもよくっても、協会にとっては大事な話なんだろ!? それをあんな狂人共の仲裁のためにバックれちゃったら、参天壱位も降ろされちゃうかもしれないだろ!」
その言葉がシルヴィアにクリティカルヒットした。
「ぐぅっ、言うようになりましたね……免許皆伝ですよ」
「何のだよ!」
ホキャァァアアアアッキョエーーーーッ
「それにしても晨星様、猿叫のバリエーションが豊富ですね」
「感心してる場合か! そろそろ私らも出るぞ!」
まともな人間がこの場に誰一人として居ない事を悟ったまこっちゃんは、いつの間にか狂人への恐怖を払い除けていた。
勢いよく扉を開き、叫ぶ。
「おい晨星! やりすぎだ!!」
「ホキョッ?」
つい猿のまま反応した晨星。
脳みそまで猿にチューニングしてしまったのだろうか、良い加減効果がない事に気付くべきである。
「……君達、その気を違えた猿女の仲間かい?」
「あ?」
まこっちゃんは声のする方へ顔を向けた。
晨星の向こうの門の向こう。
そこから、イカれるオウムであった和装の男がこちらを見つめていた。
「猿女じゃない」
まこっちゃんがむっと反論すると、正気を取り戻した晨星は徐ろに立ち上がり、
「李・晨星ネ!」
ビシッと構え、力強くそう名乗った。
「……あそう。
で? 八月朔日統香は? いるのかい? いないのかい?」
しかし男は気にも止めず。統香以外に用は無いようだ。
「やれやれ、とんだ無駄足じゃない……か……?」
しかしふと、男は何かを注視し始めた。
それは晨星ではなく、その奥、シルヴィアでもない。
「んんぅ?」
晨星は男の視線を辿り、振り返る。
「君、いいねぇ」
そこにあったのは……いや、居たのは──
「は? 何だアイツ……キモ……」
──そこに居たのは、いわゆる"養豚場の豚を見る目"をしたまこっちゃんである。
「コレ、地毛かい?」
そして、そんなまこっちゃんの隣に、いつの間にか。
「……へ?」
「あ、地毛だねぇ。毛先も滑らかだ。傷んでな──」
いつの間にか、和装の男。
「呀ッ!!」
が、居た。
晨星の裏拳を顔面に食らい上顎から先を消し飛ばされたため、たった今絶命したが。
「ちょっ!」
短くも鋭いその声はシルヴィアより発せられた。どうやら彼女は飛び散る血飛沫をもろに被ってしまったようだ。
「最悪……」
顰めっ面で頭を振るうも、その鋒のような前髪は鮮血の化粧によってよりそれっぽくなってしまっている。
「もう少し綺麗に殺して下さいよ」
果たして彼女は本当に元ヘアメイクアーティストなのだろうか。
さて、晨星の裏拳により下顎のみの惨たらしい頭部を残した和装の男。
突然の侵入は彼のアトリビュートによるものなのだろうか。
(音も、気配も、何も無かった)
晨星ですらが侵入を許した以上、人間業と考えるのは無理があろうかと言うところである。
そのため手加減適わず、このような凄惨な結末となってしまったのだから。
「真、大丈夫カ?」
男は晨星の一撃により、まこっちゃんと離れるように吹き飛ばされたこともあって、彼女に降り掛かった返り血はほんの僅かであった。が、当人はあまりの急展開に理解が追いついていないのだろう。
「はぇ……?」
気と息の抜けるような、そんな声を漏らした。
「っ……」
怖い思いをさせてしまった。
そんな念から晨星は苦虫を噛み潰したような相好でもって、まこっちゃんの頭を撫でた。
「シルヴィア、片付け頼めるカ?」
「……まあ、ご用命とあらば」
今は巫山戯る雰囲気でないと悟ったか。普段のシルヴィアであれば
「こらーっ! 無闇矢鱈に人命を肉骨粉に錬金するんじゃなーーいっ!」
を百倍嫌味ったらしく煮詰めたような苦言を呈しているところである。
さりとて今日は、粛々とアトリビュートを行使した。
「『人食い婆』」
翳した手のひらからどろりと垂れ落ちるは、歳の頃も何も、言うまでもなく老婆であった。
「おお、こやつを食えばいいのか」
その老婆は、嗄れた声でシルヴィアへ尋ねました。
細く、骨の浮かんだ小枝のような指で、仰向けに倒れた男を指差します。
「ええ」
頷くシルヴィアを認めた老婆は、ごそごそと、男の履き物を脱がせ始めました。
男の足が裸足になると、薄い体毛がまばらに生えた、貧相な足があらわになりました。
「ヒッヒヒヒ、痩せているけど、若い男の肉は食いごたえがあるからね。ヒヒヒ」
そして、その足にがぶりと噛み付くと、歯をぐっと食い込ませ、噛みちぎり、むしゃむしゃと音を立てて、美味しそうに食べました。
一口、また一口、男の足から肉が噛みちぎられていきます。
足を食べ終わると、続けて老婆は袴を脱がせ、次は太ももにかぶりつきます。
「うん、うん」
老婆は男の太ももの肉に舌鼓を打ちました。
あっという間に下半身を食べ終わった老婆は、男の羽織を脱がせ、慣れた手つきで着物を脱がせます。
あばらの浮かぶ上半身が剥き出しになると、老婆はじゅるりとよだれを垂らしました。
「ヒヒ、はらわただ」
老婆は男のへそに噛みつきました。
肉を食いちぎり、どろりと垂れた内臓を美味しそうに食べてゆきます。
ばくばく むしゃむしゃ もぐもぐ
老婆はあっという間に男の上半身までをも食べきってしまいました。
「ああ、うまかった。残りは明日にとっておこう」
すると、骨だけになった全身のうち、首から上だけに肉を残して、老婆はふっと姿を消しました。
「……啊?」
開いた口の塞がらない晨星。
無理もない。晨星の頼んだ「片付け」は、あくまでも遺体を捌け、飛び散った血を洗い落とす方の片付けである。
ヤーさん御用達の採石場などで用いられる方の「片付け」ではないのである。
「……私のアトリビュートは御伽話の具象化です。
今のは日本の中部地方に伝わる民間伝承の一つ、『人食い婆』ですね。足先から食べて頭だけを残しますので、歯の治療痕からこの男の身元を特定するために最適な人選をしたつもりですが、こうも見事に骨を残すならあんまり意味は無かったかもしれません」
「聞いてないヨ……?」
「代価ですから」
ここで一つ注釈。
アトリビュートを行使した際に発生する支払いには、『対価』と『代価』の二種類が存在する。
一宮やファナのように『他者他物間に発生するもの』全般が対価となり、シルヴィアやシファのように『軽重問わず自身へ負担を強いる、或いは強い得るもの』全般が代価となる。
シルヴィアの行ったアトリビュートの開示は、『手の内を晒す』という、今後の己に負担を強い得る行為に該当する。
尤も、その"開示"は必ずしも負担を強いるものとは限らないのだが。
注釈終わり。
"御伽話の具象化"
それは、この世に存在する『お話』の数だけ手札を持っているという事になる。
その数、実に"無数"。
一体全体、どうしてヘアメイクアーティストだったのだろうか。
晨星はシルヴィアを「保護対象」から「別に守らなくても大丈夫なヤツ」へと認識を改めた。
「シルヴィア強くて助かるヨ」
「やめて下さい。私は一宮のように戦えるわけではありませんから」
「謙遜ヤメるヨロシ」
なんて話をしているうちに、まこっちゃんは落ち着きを取り戻したのか、ぼろぼろと涙を溢し始めた。
「うぁ、これ……なに、これぇ……」
まこっちゃんを泣かせてしまったものの、何はともあれ一段落。
「もう大丈夫ですよ」
「大丈夫ネ」
シルヴィアと晨星の二人はそう声をかけ、まこっちゃんの頭をこれでもかと撫で回した。
「んがっ、ちょっ、なにっ……」
次第に涙は止み、
「ちょっ、くすぐったい!」
口角は上がり、
まこっちゃんを撫でる手の中に、男の腕が一本。




