認められた証言
都市へ戻ったセラとユリウスは、まず仮設事務所の窓を開け放った。濡れた衣服から立ちのぼる水気と、地下の泥の匂いが部屋いっぱいに広がる。
セラは母の設計図を机の上に置き、薄い布で一枚ずつ水分を押さえた。紙はところどころ波打ち、赤い線の一部がにじんでいる。それでも、廃水路の分岐と、中央の排水路へ続く線は読み取れた。
ユリウスは黒い金具を灯りの下へ置いた。
「市長府の倉庫印だ。だが、刻印だけでは倉庫から持ち出された時期までは分からない」
「金具の裏に文字があります」
セラはへらの先で泥を除いた。黒ずんだ金属の裏面に、細い傷のような記号が現れる。
「十七番。旧水路管理用の部材番号です」
「現行の部材台帳を調べよう」
ユリウスが棚から帳簿を取り出した。水路修繕に関する台帳は、役所へ戻る前に彼が持ち出していたものだ。頁をめくる音だけが、しばらく部屋に続いた。
やがて、彼の指が止まった。
「十七番は、十年前に廃棄処分となっている」
「廃棄された部材が、地下の操作盤に残っていた?」
「帳簿の上ではな」
セラは台帳の頁に手を置いた。紙の繊維に触れた瞬間、胸の奥へ冷たい光景が流れ込む。
倉庫の奥。積み上げられた金具。男の声が、処分ではなく転用だと告げている。別の男が、台帳には廃棄と記すように命じる。机の上には市長府の封蝋。最後に、赤い墨で書かれた一行が黒く塗りつぶされる。
セラは手を離した。
「廃棄ではありません。別の場所へ運ぶ指示が書かれていました」
ユリウスは黙って彼女を見た。
「読めた内容を、推測と分けて記録できるか」
「できます」
「見えたものをそのまま断定する必要はない。時間、場所、聞こえた言葉、確認できる物。それぞれを分ければ、他の証拠と照合できる」
その言い方に、セラは三話目の水門で彼が彼女の判断を証言として扱ったときのことを思い出した。あのときよりも今の彼の声は落ち着いていた。力を信じるだけではなく、検証できる形にしようとしている。
セラは新しい紙を取り出した。
「記録番号を付けます。黒い金具を第一資料。母の設計図を第二資料。旧操作盤の位置を第三資料。私が読み取った内容は、証言記録として別にします」
「いい」
彼女は筆を走らせた。地下へ入った時刻、白い印の位置、木箱、封蝋、崩落、分水門の状態。記憶が薄れる前に、見た順番と感じた違和感を一つずつ書き留める。
書き終えたとき、外から馬車の音が聞こえた。
若い書記官のミレイが、息を切らして戸口に立っていた。彼女は記録院で働く平民出身の娘で、以前からセラの仕事を密かに手伝っていた。
「ユリウス監督官、議会書記局から急ぎの知らせです」
ミレイは封書を差し出した。
「南二区の浸水調査について、臨時委員会が開かれます。明日の午後、調査資料を提出するようにと」
ユリウスが封を切る。短い文面を読み終えると、彼はセラへ紙を渡した。
「市議会が、正式に資料を求めている」
セラは文面を見つめた。これまで彼女の記録は、役所の片隅で価値のない覚え書きとして扱われてきた。元上司に無断閲覧の罪を着せられたときでさえ、彼女の言葉を聞こうとする者はいなかった。
「私の記録もですか」
「君の記録も、ではない」
ユリウスは机の上の紙束を指した。
「君が作った記録を含む、調査資料そのものだ」
胸の奥で、何かが静かにほどけた。
ミレイが遠慮がちに尋ねる。
「セラさんが読んだ内容も、提出するのですか」
「はい」
セラは自分の声が震えていないことに気づいた。
「ただし、私は何をどう読み取ったかを説明します。信じてください、とだけ言うつもりはありません」
ユリウスがうなずいた。
「それでいい。証言は、信じろと迫る言葉ではない。確かめるために差し出すものだ」
三人は資料を整理した。泥の付いた金具は布で包み、設計図は板に挟んで乾かした。セラの証言記録には、見えた場面と実物の一致点を表にして添えた。白い印の位置はミレイが写し取り、木箱の釘はユリウスが役所の資材と照合することになった。
日が傾くころ、仮設事務所の机には七つの資料袋が並んでいた。
その夜、セラは最後の頁に署名した。これまで使っていたのは、名前を小さく書くだけの略号だった。だが今回は、筆を止めずに自分の名を記した。
セラ・アルネ。
文字の下には、ユリウスが調査責任者として署名を加えた。
「明日の委員会では、反対する者もいるだろう」
「分かっています」
「君の力を詐術だと言う者もいる」
「それでも、金具と設計図は消せません」
「君自身を傷つけようとする者もいるかもしれない」
セラは署名の乾き具合を確かめた。
「だからこそ、私が説明します。私の記録を、私の声で」
ユリウスはしばらく何も言わなかった。それから、静かに答えた。
「明日、君の証言を正式な調査記録として提出する」
窓の外では、夜の水路がかすかに流れている。塞がれていた道は、もう一度水を通し始めた。
セラは資料袋の紐を結んだ。地下で見つけたのは、壊れたレバーだけではない。誰かが都市の流れを止め、記録の流れまで変えようとした証拠だった。
そして今、その証拠は初めて、隠された場所から公の机へ運ばれようとしていた。




