第8話 不穏分子は最前線へ飛ばされ、俺はトイレでも絶世の美女に手を握られた
集団離婚騒動の数日後。妻に三行半を突きつけられて激怒した大貴族たちが、俺を処分しろと王城に押しかけてきた。
「陛下! あのいまいましい侯爵のせいで、我が家はめちゃくちゃです! どうかあやつに厳罰を!」
「呪いを解かれてしまい、妻に逃げられました! 侯爵を打ち首にしてください!」
「領地の半分を持っていかれました! 侯爵に弁償させてください!」
(うわぁ、めっちゃ睨まれてる。俺、完全に命を狙われてる。やばい、逃げたい)
俺がガクガク震えていると、政務に復帰したレオナルト陛下が、ツヤッツヤの笑顔で玉座からゆったりと立ち上がった。
愛妻マルガリータとの長年のすれ違いを解消した陛下は、以前とはまるで別人のように覇気に満ち溢れている。背筋もピンと伸び、目には自信の光が宿っていた。
(……あれが解呪の効果か。愛妻の愛情を取り戻した男の顔だ)
「妻に愛想を尽かされた腹いせに、我が国の英雄を逆恨みするとは情けない!」
レオナルト陛下の声が謁見の間に響き渡った。
「貴様らのような軟弱者は、最前線で頭を冷やしてこい! 停戦したとはいえ、いつまた敵が攻めてくるかわからんからな!」
「そ、そんな無茶な!? 陛下ぁぁっ!」
なんと陛下、不満を爆発させる貴族たちを「国の防衛のため」という正論の棍棒で一刀両断し、問答無用で最前線へと左遷してしまったのだ。
(マジかよ。俺を恨んでる連中が全員、俺の元職場である最前線に送られていく……。ざまあみろとは思うけど、陛下も大概えげつないな)
引きずられながら謁見の間を去っていく大貴族たちを見送りながら、俺は静かに息を吐いた。
(……これで当分は安全か)
「英雄様ぁっ! お父様が追い払ってくださいましたわ! これでずっと二人きりでいられますわね!」
ギュウウウッ!
俺の腕に、信じられないほど良い匂いを漂わせた絶世の美女が、満面の笑みで抱きついてくる。
イレーネは呪いが解けて以来、冗談抜きで一秒たりとも俺から離れようとしない。常に俺の腕に抱きつくか、指を絡めて手を握っているのだ。見た目は国一番の美姫なのに、中身は完全に飼い主に依存しきった大型犬である。
「姫様。ありがたいんですが、そろそろベルク領に引きこもりたいんです。二人で静かに……」
「まあ! 二人きりで引きこもるのですね! 賛成ですわ! すぐ荷造りします!」
「そういう意味じゃなくて……」
「さあ英雄様、参りましょう! あ、その前にお手洗いに行かれますか?」
「……よくわかったな」
「英雄様のことなら何でもわかりますわ! ではわたくしもお供いたします!」
「なんでだ!」
「もし英雄様が便器に落ちてしまわれたら大変ですもの! しっかりとわたくしが手を握っておりますわね!」
「落ちないから! 成人男性が便器に落ちるわけないだろう! トイレくらい一人でゆっくりさせてくれぇっ!」
俺の悲痛な叫びは、王城の立派な廊下に虚しく響き渡った。
結局。
個室の扉を挟んで、外からイレーネに手を握られ続けるというよくわからない状況に落ち着いた。
「英雄様、大丈夫ですか?」
「大丈夫だから離してくれ」
「手が冷えていませんか?」
「冷えてない」
「呼吸は乱れていませんか?」
「乱れてるとしたらお前のせいだ」
「まあ! 照れておられますわ! 愛しいですわ英雄様!」
(俺の心の平穏はどこへ行ったんだ……)
扉一枚を隔てて繰り広げられる絶世の美女による甲斐甲斐しい過保護。これが俺の新しい日常だった。
後方支援部隊でダラダラ過ごすはずだった俺の平穏な人生計画は完全に崩れ去り、代わりに「国一番の美姫による、甘くて息苦しい24時間完全密着の監禁生活」という、別の意味で過酷な戦いが幕を開けたのだった。
(早く帰って寝たい……というか、一人でゆっくりトイレに行きたい)




