第57話 早く帰って寝たいだけだった男が、今どこにいるのか考えた
朝、目が覚めると、ポチが俺の胸の上にいた。
ミケが枕の隣で丸くなっていた。
ワタが三匹、俺の周りをふわふわと漂っていた。
イレーネが隣で穏やかに眠っていた。
お腹が少し大きくなってきた。第二子だ。
エルナの寝息が隣の部屋から聞こえてくる。
(……なんだこれは)
俺はぼんやりと天井を眺めた。
(S級の豆柴と災害級の子猫と神獣に囲まれて、懐妊中の妻の隣で寝ている)
(後方支援の一兵卒が、こんなところまで来てしまった)
ポチが俺の顔を覗き込んだ。
「……おはよう」
ポチが尻尾をぶんぶんと振った。
ミケが「にゃ~」と鳴いた。
ワタが小さく鳴いた。
(賑やかな朝だな)
朝食の後、俺はひとりで庭に出た。
シロが静かに育っている。
白い花が朝の光に照らされて、きれいだった。
エルナが毎日水をやり続けた結果だ。
(あの本を見つけてから、随分遠くに来た)
俺は「サルでもわかるスキル活用」を懐から取り出した。
変につるつると滑る黒革の装丁。
傷一つついていない。
(お前のせいで、俺の人生はえらいことになった)
(雷将に踏まれて、王女と結婚して、帝国と戦って、連邦を作って、神獣を手なずけて、万能植物を育てて)
(早く帰って寝たいだけだったのに)
本を懐に戻した。
(でも)
「おとしゃま!」
エルナがポチとミケとぴょんを連れて走ってきた。
「なに、ぼーっとしてるの?」
「少し考えごとをしていた」
「なにかんがえてたの?」
俺はエルナを抱き上げた。
「昔のことだ」
「むかし?」
「ああ。お前が生まれる前のことだ」
エルナがきょとんとした顔をした。
「エルナがいなかったの?」
「そうだ」
「さびしくなかった?」
俺は少し考えてから答えた。
「……今の方がいいな」
エルナがにこっと笑った。
「エルナも、おとしゃまがいてよかった!」
(そうか)
(それだけでいい)
昼過ぎ、ヘンドリックが報告に来た。
「閣下、シロの加工品の取引が各地で本格化しております。食品・薬・繊維・美容品と、需要が爆発的に増えておりまして」
「そうか」
「経済効果が連邦全土に広がっております。それと……他国からも問い合わせが来始めまして」
「どこからだ」
「帝国・ゼーフェルト・ヴァレン王国……それと、まだ交流のない国からも」
「ヘンドリックに任せる」
「……かしこまりました」
ヘンドリックが苦笑いしながら退室した。
(また面倒くさいことが増えた)
(でも)
(まあ、来たら来た時だ)
夕方、イレーネが庭に出てきた。
お腹に手を当てながら、シロの花を眺めている。
「旦那様」
「何だ」
「今日は何を考えておられましたの?」
「……昔のことだ」
「昔、といいますと」
「お前に会う前のことだ」
イレーネが少し驚いた顔をした。
「まあ……珍しいですわね。旦那様がそんなことを」
「たまには考える」
「どんなことを?」
俺はしばらく黙ってから、ぽつりと言った。
「早く帰って寝たいだけだった男が、今どこにいるのかと思って」
イレーネが静かに微笑んだ。
「どこにいますの?」
「……お前の隣だ」
「ふにゃ……」
「今度は俺から言ったんだから、ふにゃはおかしいだろう」
「ふにゃふにゃ……だって……旦那様が……そんなことを……ふにゃっ……」
「落ち着け。懐妊中だろう」
「わかっていますわ……でも……ふにゃ……」
イレーネがそっと俺の腕に寄り添った。
お腹の中の子が、動いた気がした。
「旦那様」
「何だ」
「わたくしも……旦那様の隣が、一番好きですわ」
「……そうか」
「チュッ」
「……今回は怒らない」
「ふにゃ……」
夕陽が庭のシロを照らしていた。
ポチが俺たちの足元でうとうとしていた。
ミケが花の匂いを嗅いでいた。
ワタが三匹、静かに漂っていた。
エルナが「おとしゃま! おかあしゃま! みて! ぴょんがおはなたべてる!」と叫んでいた。
「……食べるのか、花を」
「災害級でございます」とヘンドリックが遠くから言った。
「まあいい」
(早く帰って寝たいだけだった男が)
(今ここにいる)
(お前の隣だ)
(まあ……悪くない)
後方支援兵コルネリスの苦難は、まだまだ続く。
しかし今日は、原点を思い出した日として、静かに心に残りそうだった。




