第51話 浄化魔法を港で使ったら、ソフィアが英雄になっていた
翌朝、グスタフ王から申し出があった。
「コルネリス閣下、昨日の入り江での……水の浄化の件なのですが」
「何でしょうか」
「実は我が国の主要な漁港の一つが、長年水質の悪化に悩んでいまして。魚が減り、漁師たちが困っています。もし可能であれば……」
「やってみましょう」
「よ、よろしいのですか!?」
「ついでです」
港に着くと、確かに水が濁っていた。
長年の廃水と汚染で、底が見えないほど黒ずんでいる。
漁師たちが遠巻きに見ていた。
「本当に治るのか……」
「あの方が公爵閣下だろうか」
俺は桟橋の端に立って、手をかざした。
「レベル1・浄化魔法」
水流に乗せる。
広げる。
ゆっくりと。
しかし確実に。
光が広がっていく。
波紋が港全体に広がっていく。
一分。
二分。
三分。
「……あっ」
漁師の一人が声を上げた。
水が、透明になっていく。
底が見え始めた。
魚の群れが戻ってきた。
「魚が……!」
「魚が戻ってきた……!」
漁師たちがどよめいた。
「すごい……! 何年ぶりだ……!」
老いた漁師が膝をついた。
「……ありがとうございます……!」
俺はそれを眺めながら、ぼんやりと思った。
(攻めるのではなく、整える)
(狂王も、こういうことをしていたのかもしれないな)
その瞬間、群衆の中から声が上がった。
「ソフィア様が連れてきてくださった方だ……!」
「ソフィア様のおかげだ……!」
俺はそっとソフィアを見た。
ソフィアが少し驚いた顔をしていた。
「俺は……何もしていない」
「でもお前が繋いだ縁だろう」
ソフィアが黙った。
目が、じわりと潤んでいた。
「……泣くのか」
「泣いていない」
「目が赤いぞ」
「……うるさい」
カールがそっとソフィアの隣に立った。
何も言わなかった。
ただ隣に立っていた。
それだけで、ソフィアの肩の力が少し抜けた。
港から戻ると、宮廷の空気が変わっていた。
昨日まで「第五王女のご縁の方々」という扱いだったのが、重臣たちが深々と頭を下げてくる。
「ソフィア様、このたびは……」
「ソフィア様がご尽力くださったおかげで……」
ソフィアが少し戸惑った顔をしていた。
「……俺は何もしていないんだが」
「お前がいなければ俺たちはヴァレン王国に来なかった。お前がいなければ海底の祠にも辿り着けなかった。お前がいなければ水中魔道具の改良もなかった」
俺はそれだけ言った。
「……閣下」
「事実だ」
ヘンドリックが静かに近づいてきた。
「閣下、グスタフ王からお呼びがかかっております」
「また謁見か」
「今回は……少し違う話のようでございます」
謁見の間に入ると、グスタフ王の表情が昨日より柔らかかった。
「コルネリス閣下、カール殿下……本日は改まってお話ししたいことがございます」
「何でしょうか」
「先日、カール殿下からソフィアとのお付き合いのお話をいただきました。そして今日の港での出来事を見て……わたくしも腹を決めました」
グスタフ王がカールをまっすぐ見た。
「カール殿下、ソフィアとの正式な婚約を、進めていただけますか」
カールが少し驚いた顔をした。
しかしすぐに真剣な顔になった。
「……謹んでお受けいたします」
「ソフィア、お前はどうだ」
ソフィアがしばらく黙っていた。
「……わたくしは」
「好き勝手にさせてきた。今更父親面するつもりはないが……お前の意志を聞かせてくれ」
ソフィアが一歩前に出た。
「……はい。わたくしも、カールと正式にお付き合いしたいと思っています」
グスタフ王がほっとした顔をした。
「そうか。……よかった」
重臣たちがざわめいた。
「第五王女が帝国皇太子と……」
「ヴァレン王国と帝国の関係が……」
「それと連邦公爵閣下も……」
ヘンドリックが俺に耳打ちした。
「閣下、これで帝国・連邦・ヴァレン王国の三国関係が一気に深まりますね」
「面倒くさいことになった」
「はい。なりましたね」
「まあ……うまくいきそうで何よりだ」
「閣下、また珍しく優しいことを」
「うるさい」
カールがソフィアに小声で言った。
「ソフィア」
「……何だ」
「改めて、よろしく頼む」
ソフィアが少し顔を赤くした。
「……こちらこそ」
「笑ってくれ」
「なんでだ」
「ソフィアが笑うと、俺まで嬉しくなる」
「……馬鹿なことを言うな」
「本当のことだ」
ソフィアがしばらく俯いてから、小さく笑った。
「……まったく」
カールが満面の笑みを浮かべた。
午後、ソフィアの案内で特殊ダンジョンに向かった。
山中に口を開けたダンジョンだ。
入り口から異常な魔力が漏れ出している。
「前に来た時より、魔力の漏れが大きくなっている」とソフィアが言った。
「封印の媒体が失われた影響か」
「そう思う。このまま放置するとまずい」
「そうだな。入るか」
「閣下、護衛は?」とヘンドリックが言った。
「クラフト部隊を入り口に待機させておけ。中はついでに見てくる」
「またついでですか閣下」
「ついでだ」
ダンジョンの中は、三層構造だった。
一層目:通常の魔物が闊歩している。
クラフト部隊の土壁戦術で押さえながら進む。
「レベル1・土魔法」
壁が次々と現れ、魔物の動きを封じていく。
二層目:魔物の強さが増す。
しかし水が滲み出している箇所が多かった。
(水流に乗せれば……)
「レベル1・浄化魔法」
水流に乗せて広げた。
魔物たちが一瞬怯んだ。
「……効いているな」
ソフィアが目を丸くした。
「浄化魔法で魔物が怯む?」
「こいつらは水質汚染の魔力で強化されているようだ。浄化すると弱体化する」
「なるほど……やっぱり石板の魔法はここで使うためのものだったのか」
三層目:最奥に辿り着いた。
そこには祠があった。
空だった。
封印の媒体はすでになかった。
しかし祠の壁に、また石板が嵌め込まれていた。
俺はそれを取り出した。
古代文字を読む。
『水は命なり。水を清めるものは、大地をも癒す。汚染された土地に水流浄化を施せ。大地は必ず応える』
(大地をも癒す……)
(これは)
「ヘンドリック」
「はっ」
「この魔法、農地にも使えるかもしれない。帰ったら試してみる」
「農地の浄化……閣下、それは連邦の食糧生産に革命をもたらすかもしれませんよ」
「ついでだ」
「ついでで革命を起こさないでください」
「うるさい」
ソフィアがくすっと笑った。
「閣下のついでには慣れてきた気がする」
「そうか」
「……カールがよく言っていた。閣下のついでは大陸を変えると」
「大げさだ」
「大げさじゃないと思う」
ダンジョンの最奥で、俺は石板を懐に入れた。
ワタが俺の肩で小さく鳴いた。
(狂王よ)
(お前の残した知恵は、本当に全部役に立つな)
(次はどこに残してあるんだ)
ダンジョンから出ると、夕暮れになっていた。
エルナがイレーネと一緒に入り口で待っていた。
「おとしゃま! おかえり!」
「ただいま」
「ながかった!」
「そうだな。待たせたか」
「うん! でも、ワタと遊んでたからへいき!」
エルナの頭の上のワタが小さく鳴いた。
イレーネが俺の顔を見て、ほっとした表情をした。
「無事でよかったですわ」
「問題なかった」
「旦那様が行くと言い出した時は……少し心配でしたわ」
「ソフィアとカールもいたから大丈夫だ」
「そうですわね」
イレーネがそっと俺の手を握った。
「旦那様、早く帰りましょうか。ヴァレン王国ともお別れですわね」
「ああ」
「また来られるといいですわね」
「縁があれば」
「ふふっ……旦那様らしいですわ。チュッ」
「だから突然するな」
「ふにゃ……」
エルナが「ふにゃ!」と真似をした。
カールとソフィアが並んで歩いてくるのが見えた。
二人の距離が、ヴァレン王国に来た最初より、明らかに縮まっていた。
(まあ)
(うまくいきそうだ)
(面倒くさいことも増えそうだが)
(それも悪くない)
後方支援兵コルネリスの苦難は、まだまだ続く。




