第52話 面倒ごとを全部押し付けたら、ヘンドリックが飛び込んできた
ヴァレン王国滞在の最終日。
俺はイレーネとエルナと一緒に、港町をのんびりと歩いていた。
昨日のダンジョン探索の疲れが残っているはずだが、何故か気分が良かった。
理由は一つだ。
面倒ごとを全部押し付けることに成功したからだ。
朝一番に、俺はカールを呼んだ。
「カール、頼みたいことがある」
「何でしょうか、閣下」
「ヴァレン王国との外交の後処理を全部やってくれ」
「……全部、ですか」
「水流浄化魔法の技術提供の条件交渉。水中魔道具の量産化と交易の取り決め。ダンジョンの管理協定。全部だ」
カールがしばらく黙った。
「……それは相当な量ですが」
「お前とソフィアがいれば十分だ。帝国皇太子と第五王女が二人で動けば、ヴァレン王国も本腰を入れる」
「閣下、これ全部押し付けましたよね」
「適材適所だ」
「……ソフィアも巻き込むんですか」
「ソフィアに頼め。あいつがいないと話が進まない」
カールがため息をついてから、苦笑いした。
「……わかりました。やります」
「頼んだ」
「ただ一つだけ、条件があります」
「何だ」
「たまにはスパに一緒に来てください。閣下がいると話がまとまるので」
「……考えておく」
「十分です」
次にソフィアを呼んだ。
「ソフィア、頼みたいことがある」
「何だ、閣下」
「今回の件、全部お前の手柄にしろ」
ソフィアが目を丸くした。
「……は?」
「水流浄化魔法も、水中魔道具の改良も、ダンジョン探索も……全部お前がヴァレン王国のために動いた、という形にしろ」
「でも実際にやったのは閣下で……」
「俺はお前に頼まれてついでにやっただけだ。お前がいなければ何も始まらなかった。それは事実だろう」
ソフィアがしばらく俺を見つめた。
「……閣下、それは」
「ヴァレン王国の民衆はすでにそう思っている。父王もそう思い始めている。それでいい」
「……俺の立場を、作ってくれているのか」
「面倒くさいから押し付けているだけだ」
ソフィアが少し黙った後、静かに言った。
「……ありがとうございます、閣下」
「礼はいい。カールと一緒にうまくやれ」
「わかった」
「それとソフィア」
「何だ」
「お前の力で築いた縁だ。胸を張れ」
ソフィアがしばらく俯いてから、顔を上げた。
その目が、真剣に輝いていた。
「……はい」
こうして面倒ごとは全部カールとソフィアに押し付けられた。
俺はイレーネとエルナと港町を散策していた。
「旦那様、今日は随分のんびりされていますわね」
「やることが片付いた」
「ふふっ……押し付けたのでは?」
「適材適所だ」
「旦那様らしいですわ。チュッ」
「だから突然するな」
「ふにゃ……」
「おかあしゃまといっしょ!」とエルナが笑いながら真似をした。
「お前まで」
ワタが三匹、エルナの周りをふわふわと漂っている。
港の景色が穏やかだった。
海風が心地よかった。
「旦那様、帰ったら庭の芽を見ましょうね」
「ああ」
「エルナが毎日気にしていましたもの」
「おうちの、めのこと、しんぱいしてた!」とエルナが言った。
「大丈夫だ。ワタが見ていてくれている」
「そっか! ワタ、ありがとう!」
エルナが頭の上のワタにチュッとした。
ワタが小さく鳴いた。
(これが俺の望む生活だ)
(後方支援の一兵卒が、家族とのんびり過ごす)
(これ以上何が要るんだ)
「旦那様」
「何だ」
「幸せですわ」
「俺もだ」
「チュッ」
「……今回は怒らない」
「ふにゃ……」
午後、港の茶屋でイレーネとお茶を飲んでいた。
エルナがワタと一緒にうとうとしていた。
穏やかな時間が流れていた。
(このまま帰ったら、しばらくはゆっくりできるな)
(ヘンドリックには連絡してあるし、クラフト部隊はトールに任せてある)
(帝国はカールとヴィルヘルムが仕切っている)
(ゼーフェルトはミレイユが動いている)
(ヴァレン王国の後処理はカールとソフィアに丸投げした)
(完璧だ)
「旦那様、いいお顔をされておられますわ」
「そうか」
「何かうまくいったのですか」
「全部うまくいった」
「ふふっ……」
その時、通信魔道具が光った。
ヘンドリックからだ。
(……なんだ)
「何ですの、旦那様」
「ヘンドリックから通信だ」
「何かあったのですかしら」
「どうせ面倒くさいことだろう」
俺はしばらく通信魔道具を眺めた。
(出るか、出まいか)
(どうせ出ても面倒くさいことになる)
(でも出なければもっと面倒くさいことになる)
「……出るか」
『閣下、ご報告があります』
「何だ」
『実は……』
ヘンドリックが一瞬間を置いた。
『庭の芽が、急に大きくなっています』
「……どのくらいだ」
『昨日まで膝丈ほどだったものが、今朝から一気に……腰の高さまで伸びまして』
「一晩で?」
『はい。それと……閣下がヴァレン王国で浄化魔法を使われた頃から、急速に成長し始めたようでして』
俺はしばらく黙った。
(水流浄化魔法が……芽に影響したのか)
(狂王が言っていた「大地は必ず応える」というのは……)
「他に何かあるか」
『はい。実はもう一つ……連邦各地の農地でも、似たような現象が起きているようで。一部の畑から、見たことのない植物が芽吹き始めていると複数の報告が……』
「…………」
『閣下、これは』
「わかった。すぐ帰る」
通信を切った。
イレーネが心配そうに俺の顔を見ていた。
「旦那様、何かありましたの?」
「庭の芽が急に大きくなったらしい」
「まあ……! エルナが喜びますわね。でも……旦那様のお顔が難しいですわ」
「連邦各地でも似たような植物が芽吹き始めているらしい」
「それは……」
「急いで帰る」
「はい」
エルナが目を覚ました。
「おとしゃま、どうしたの?」
「家に帰るぞ」
「うちの、めは?」
「大きくなっているそうだ」
「ほんと!? はやくみたい!」
エルナがきゃっと飛び起きた。
ワタが三匹、一斉に北の方角を向いた。
金色の瞳が静かに輝いていた。
(また面倒くさいことになりそうだ)
(でも)
(狂王が残した「大地は必ず応える」という言葉が、こういう意味だったのか)
(……まあ、来たら来た時だ)
「旦那様」
「何だ」
「帰りましょう。エルナの芽を、見に」
「ああ」
出発の準備をしながら、俺はカールに声をかけた。
「カール、後は頼んだ」
「……全部ですね」
「全部だ」
「閣下、本当に丸投げがお上手ですね」
「面倒くさいからな」
「……ありがとうございます、閣下」
カールが真剣な顔で言った。
「ソフィアのことも、今回のことも……閣下がいなければこうなっていなかった」
「ソフィアとお前の力だ」
「でも閣下が動いてくれたから……俺、頑張ります。帝国も、ヴァレン王国との外交も、ちゃんとやります」
「そうしてくれ」
「はい」
ソフィアが横から言った。
「閣下、またいつか来てくれ」
「縁があれば」
「縁を作るのは閣下のお家芸では?」
「ついでにな」
ソフィアがくすっと笑った。
「……またフルーツ牛乳、飲もう」
「それはカールに言え」
「カール」
「もちろん。いつでも」
カールが即答した。
ソフィアが少し顔を赤くして「……わかった」と前を向いた。
移動式住宅に乗り込んで、ヴァレン王国を出発した。
港が遠ざかっていく。
エルナが窓から手を振っていた。
「うみ、またくる!」
「また来ような」
「うん!」
イレーネが俺の隣に座った。
「旦那様、庭の芽のこと……何か大きなことになりそうですか?」
「わからん。でも狂王が関係していることは間違いない」
「ワタも北を向いていましたわね」
「ああ」
「……怖いですか?」
「いや」
「どうしてですか?」
俺は少し考えてから答えた。
「狂王が残したものに外れはなかった。本も、ワタも、石板も。全部役に立った」
「……そうですわね」
「今度もそうだろう」
「旦那様……」
「それに」
俺はイレーネの手をそっと握った。
「備えはある。ワタもいる。お前もいる。エルナもいる」
「……はい」
「それで十分だ」
イレーネが静かに微笑んだ。
「……わたくしも、そう思いますわ」
「チュッ」と言う前に、俺からキスをした。
「……っ!?」
「たまにはな」
「ふにゃ……ふにゃふにゃ……」
「倒れるな。懐妊中だろう」
「ふにゃふにゃふにゃ……わかっていますわ……でも……ふにゃっ……」
エルナが「おかあしゃま、またふにゃふにゃしてる!」と笑い転げた。
ワタが三匹、満足そうに目を細めた。
移動式住宅が連邦への道を走り続けた。
(庭の芽が大きくなっている)
(連邦各地で新たな植物が芽吹いている)
(また面倒くさいことになりそうだ)
(でも)
(後方支援兵として、準備はできている)
(来たら来た時だ)
後方支援兵コルネリスの苦難は、まだまだ続く。




