第5話 頭を踏まれたついでに呪いを解いたら、妻がメガデレになった
レオナルトから無理やり押し付けられた侯爵の位と、豪華すぎる屋敷。そして、誰も貰い手のない行き遅れのお姫様との、地獄の新婚生活が始まった。
「ちょっと! なにをボケッと突っ立っていますの! 臭い、汚い、目障りですわ! さっさとこのわたくしの視界から消え失せなさいな、この童貞野郎!」
新居のサロンで、ウィレム王国一の美姫と名高い俺の妻イレーネが、親の仇でも見るような目で罵声を浴びせてくる。
(……いや、待て。どうして)
俺はぼんやりと妻の顔を眺めながら、素朴な疑問を感じていた。
イレーネは、本当に美しい。透き通るような白い肌、艶やかな髪、すっと通った鼻筋、形のいい唇。どこをとっても「国一番の美姫」という称号に恥じない造作だ。そんな顔から「臭い」「死ね」「童貞野郎」などという言葉が飛び出してくるのが、正直いまだに信じられない。
(それだけじゃない。おかしいんだよな、この人)
俺がもう一つ不思議に思っているのは、イレーネが俺に近づいてくることだ。
「消え失せろ」「視界から消えろ」と言いながら、なぜかイレーネはいつも俺のそばにいる。遠ざかるどころか、わざわざ近くまで来て罵倒する。本当に嫌いなら、同じ屋敷の中で顔を合わせなければいいだけの話だ。広い屋敷なのだから、避けようと思えばいくらでも避けられる。
(嫌いなのに近寄ってくる。近寄りながら罵倒する。なんだこの矛盾は)
「な、なにをジロジロ見ていますの! キモい! 触らないで! ……でも、どうしてもというなら、土下座して靴を舐めるなら、この足に触るくらいは許してやってもよろしくてよ! さあ、地べたに這いつくばりなさい!」
イレーネは顔を真っ赤にして怒鳴りながら、ツカツカと歩み寄り、俺の頭をヒールの先でグイッと踏みつけてきた。
(ほら、また近づいてきた)
頭を踏まれながら、俺はイレーネの全身をあらためて観察した。
魔力の流れを感じ取る感覚、これだけは器用貧乏の俺にも人並み以上に備わっている。そしてはっきりと見えた。イレーネの身体には、何重にも絡みついた不自然な魔力の糸のようなものが。
(これ……『呪い』か? 本人の意思とは無関係に、思考と行動を逆転させるような……)
そう考えると、全部説明がつく。
消え失せろと言いながら近づいてくるのは、本当は傍にいたいから。罵倒しながら顔を赤くしているのは、本当は恥ずかしいから。俺の頭を踏みつけているこのヒール、よく見ると力が全然入っていない。
(うわあ。本人はめちゃくちゃ嫌がってるのに、身体が勝手に動いてるのか。これはいくらなんでも可哀想だな)
俺は頭を踏みつけられたまま、そっと手を伸ばしてイレーネの足首に触れた。
「ひっ!? なにを……!」
「『レベル1・解呪』」
俺は無尽蔵にある魔力を、レベル1の初歩的な解呪魔法に流し込んだ。高位の解呪士たちが使う複雑な術式とは違う、ただ力任せに基礎魔法をぶつけるだけの荒業。
しかし、その単純な魔法が、絡みついていた呪いの糸をパリンッと小気味よい音を立てて粉砕した。
「……え? あ、あれ……?」
イレーネが呆然と自分の手を見つめる。握ったり開いたり、まるで長年動かせなかった指を確かめるように。
そして、ゆっくりと俺の方を見下ろし、その美しい瞳からボロボロと大粒の涙をこぼし始めた。
「……ひっく、ううっ……え、英雄様ぁっ!!」
次の瞬間、イレーネは俺の頭から足をどかすなり、床に座り込む俺の首に思い切りしがみついてきた。
「よかった、やっと、やっと自分の言葉で話せますわ……! 本当は、最初にお会いした時からずっと、あなたのことが大好きでしたの……! どうか、どうか私を抱きしめてくださいませ!」
「え、あ、ちょっ……」
「英雄様の指、素敵ですわ! チュッ!」
「え? あ、ちょっと待っ……」
「英雄様の耳も素敵ですわ! チュッ!」
「そこはやめ……」
「英雄様の頬も! チュッ! チュッ! チュッ!」
「落ち着いてくれ! しばしお待ちを! しばしお待ちをッ!!」
俺は必死に両手でイレーネの顔を押さえた。美しい顔が、至近距離で満面の笑みを浮かべながら迫ってくる。さっきまでの暴言が嘘のような、完全に振り切れたメガデレ状態だ。
(解呪はできた。でもこれはこれで俺の平穏な生活が別の意味で終わった気がする)
「英雄様、愛しておりますわ! 本当に、本当にずっと好きでしたの! ああっ、幸せ……そうだわ!」
何かを閃いたようにイレーネが顔を上げ、俺の腕を力強く引っ張った。
「英雄様、今すぐ王城へ向かいますわよ! この呪いを解けるなら、お母様も助けて差し上げないと!」
「ちょっ、待って。お母様って、あの『氷の王妃』マルガリータ様のことか!?」
「そうですわ! お母様もずっと苦しんでいたはずですの! 急ぎますわよ!」
俺が何か言う間もなく、メガデレ補正で凄まじい力を発揮するイレーネに腕を引かれ、そのまま王城へと引きずられていった。
(しばしお待ちを、じゃなかった。早く帰って寝たい……)




