第48話 ヴァレン王国で買い物中に襲われた
ヴァレン王国への訪問は、穏やかな天気の中で始まった。
移動式住宅が港に到着した瞬間、エルナが窓に張り付いた。
「おとしゃま……あれ、なに?」
「海だ」
「うみ……」
エルナが目を丸くした。
「おっきい……」
「そうだな」
「わたしより、おっきい?」
「比べ物にならないくらいおっきい」
「すごい……!」
エルナがきゃっと笑った。
ワタが三匹、エルナの周りをふわふわと漂いながら、一緒に窓の外を眺めていた。
「旦那様、海ですわ!」
「そうだな」
「わたくし、海は初めてですわ!」
「そうか」
「旦那様は?」
「俺も初めてだ」
「まあ! 一緒ですわね! チュッ!」
「だから突然するな」
「ふにゃ……」
ヴァレン王国の港に降り立つと、王国側の出迎えが待っていた。
海洋国家らしく、出迎えの者たちは日焼けした肌に、動きやすそうな装束を纏っている。
「ウィレム連邦公爵コルネリス閣下、ようこそヴァレン王国へ。第五王女ソフィアのご紹介により、今回の訪問を心よりお待ちしておりました」
「ご丁寧にありがとう。ついでの訪問で申し訳ない」
「とんでもございません! 閣下のお越しは我が国にとって光栄でございます」
(ついでと言っているのに)
カールが耳打ちしてきた。
「閣下、ここでも英雄扱いですね」
「面倒くさい」
「相変わらずですね」
ソフィアが苦笑いしながら「まあ、閣下の噂はここまで届いていますから」と言った。
歓迎の式典が終わった後、街の散策が始まった。
イレーネとエルナ、カール、ソフィア、コルネリスの一行が、ヴァレン王国の港町を歩いていた。
「旦那様、あのお店を見てもよいですか?」
「ああ」
「エルナ、一緒に見ますわよ?」
「うん!」
イレーネが目を輝かせながら、色鮮やかな布地を扱う店に引き寄せられていった。
カールが「俺も付き合います」と自然にイレーネたちの護衛に入った。
(あいつ、さりげなくソフィアから離れたくないだけだろうが)
俺とソフィアは、祠の場所へ向かって歩き始めた。
「海底の祠は島の沖合にある。まずは地上の祠の場所を確認しておきたくて」
「ああ。案内してくれ」
「港から少し歩いた先の崖の上に……」
その時、ソフィアが足を止めた。
「……あれ、マルコじゃないか」
路地の向こうから、がっしりとした体格の男が手を振ってきた。
「ソフィア! 久しぶりだな! 生きてたか!」
「失礼な挨拶だな。生きてるよ」
男がソフィアに近づいてきた。日焼けした顔に、いくつもの傷跡がある。
「こいつは昔、一緒にダンジョンに潜った仲間で……」
「先に行っていてくれ」と俺は言った。
「でも閣下、一人では」
「すぐそこだろう。問題ない」
「……わかった。すぐ追いかける」
俺は一人で路地を進んだ。
港町の外れに差し掛かった頃、人通りが少なくなってきた。
(この先に崖があって、そこに祠があるらしい)
石畳の路地を歩いていると、路地の両側から人影が現れた。
五人。全員、顔を隠している。
(……まずいな)
「ウィレム連邦公爵コルネリス……確認が取れた」
低い声が言った。
(顔を知っている。事前に調べていたということか)
「何の用だ」
「用は一つだ。バルト家の恨みを晴らす」
(バルト家……)
「お前の父親はどこにいる」
「死んだ。お前のせいで」
男の声が震えていた。
(若い。二十代前半か)
「俺がお前の父親を殺したのか」
「お前がダルム公国で民衆に英雄扱いされなければ……父は功績を求めて後を追わなかった。先に進んだところで帝国の待ち伏せに遭い……皆殺しにされた。お前のせいだ」
(そういうことか)
(帝国が先で待ち構えているとも知らずに、俺の後を追って……)
「……そうか」
「覚悟しろ!」
五人が一斉に動いた。
俺はとっさに雷剣ドンデルに手をかけた。
(……駄目だ)
街の中だ。
こんな場所でドンデルを抜いて全力で振るえば、周囲の建物や人に被害が出る。
(使えない)
(ならば)
俺は素早く周囲を見回した。
路地の脇に、屋台の食器が並んでいた。
「借りる」
俺は食器を掴んで投げつけた。
バンッ!
一人の顔面に直撃した。
「なっ……!」
「レベル1・土魔法」
足元の石畳を隆起させた。
二人目が躓いて転倒した。
「レベル1・水魔法」
転倒した男の顔面に水を叩きつけた。
三人目が剣を振ってきた。
俺はとっさに身を屈めて避け、その勢いで地面に転がった。
(泥が……まあいい)
地面の砂を掴んで、三人目の目に向かって思い切り投げつけた。
「うわっ……!」
四人目が俺の背後から来た。
俺はとっさに屋台の台を蹴って倒した。
ガシャンッ!
台が崩れて四人目の足を止めた。
「レベル1・風魔法」
砂埃を巻き上げて視界を奪った。
(五人目……一番大きい。しかも魔法使いか)
「魔法など、レベル1が何の役に……!」
男が高レベルの魔法を構えた。
(まずい。これは直接受けたら終わりだ)
俺は素早く考えた。
(雷剣……街中では振れない。でも)
(投げるだけなら、どうだ)
男が魔法を放とうとした瞬間、俺は雷剣ドンデルを鞘ごと引き抜いた。
重い。
本当に重い。
「……はあっ!」
全力で投げつけた。
男が「しめた」と言わんばかりに雷剣を受け止めた。
次の瞬間。
「……っ!? 魔力が……!? なんだこれは……!!」
男の顔から血の気が引いた。
魔力食いの剣だ。
受け止めた瞬間から、男の魔力をごっそりと吸い取り始めた。
男がぐらりと崩れ落ちた。
「……魔力食いの剣だと知らなかったのか」
俺は息を整えながら、崩れ落ちた男を眺めた。
周囲に散乱した食器。砂。泥。
(……これが俺の本質だ)
(後方支援の一兵卒が、手近なものを全部使って、なんとか生き延びた)
(派手さもなければ格好よさもない)
足に力が入らなくなってきた。
(体力の限界か)
俺はその場に膝をついた。
「閣下!!」
駆けつけてきたのはヘンドリックだった。
後ろにソフィアとカールが続いている。
「……遅かったな」
「申し訳ございません! 騒ぎを聞いて……閣下、お怪我は!?」
「怪我はない。ただ……少し疲れた」
俺は地面に散乱した食器と砂と泥を眺めた。
「……食器の弁償をしておけ」
「かしこまりました! それより閣下……!」
ソフィアが俺の前に膝をついた。
「……すまない。俺が足止めされなければ」
「ソフィアのせいじゃない。俺が無警戒だっただけだ」
「でも……」
「終わったことだ」
カールがそっとソフィアの肩に手を置いた。
「閣下がそう言っているんだから」
ソフィアが少し驚いて、しかし振り払わなかった。
ヘンドリックが倒れた五人を確認しながら言った。
「閣下、この者たちは……バルト家の縁者のようです」
「そうらしいな。息子がいたか」
「留学中だったようで……帰国したら家が取りつぶされていたと」
俺は膝をついたまま、意識を取り戻しかけている若い男を見た。
「……お前の父親はどこで死んだ」
男が震える声で答えた。
「ダルム公国の……国境近くで。帝国の兵に囲まれて」
「帝国の伏兵を配置したのは俺じゃない」
「でも……お前の後を追わなければ……!」
「お前の父親が自分で判断して動いた結果だ。俺はついてこいとは言っていない」
「……っ」
「恨むなら帝国を恨め。俺を恨むのは筋違いだ」
男が崩れ落ちた。
しばらく、静寂が続いた。
「……わかってる」
男が絞り出すように言った。
「わかってるんだ……でも……父が……家が……」
俺はしばらく黙ってから、静かに言った。
「……それでも、俺を恨んでも何も変わらない」
「……」
「お前はまだ若い。家がなくなっても、お前自身はまだここにいる」
ヘンドリックが静かに言った。
「閣下、処遇はいかがいたしますか」
「ヴァレン王国の法に従え。ここはヴァレン王国だ。俺が口出しすることじゃない」
「かしこまりました」
その夜。
ヴァレン王国の重臣たちが、真っ青な顔で謁見の場に並んでいた。
「このたびは……我が国において、貴国の公爵閣下に対し、かくも不埒な行為が……! まことに申し訳ございません……!!」
全員が頭を下げた。
「いい」
「しかし閣下……! 自国でこのような不祥事が起きましたことは……!」
「終わったことだ。怪我もしていない」
「しかし……!」
「ただ一つだけ」
重臣たちが顔を上げた。
「食器の弁償だけ頼む」
「……は?」
「屋台の食器を武器にした。弁償しておいてくれ」
重臣たちが固まった。
ヘンドリックが「閣下が戦闘中に食器を投擲されまして……」と補足した。
「食器を……投擲……」
「武器がなかったので手近なものを使った。それだけだ」
重臣の一人が「こ、公爵閣下が……食器を……」と呟いた。
「面倒くさいから早く終わらせたかっただけだ」
重臣たちが顔を見合わせた。
その日の夜、ヴァレン王国の宮廷では「公爵閣下は食器と砂と泥だけで五人を無力化し、最後に魔力食いの剣を投擲した」という話が広まった。
翌朝には「公爵閣下は手ぶらでも無敵」という噂になっていた。
(面倒くさいな)
イレーネへの報告は、ヘンドリックが先に行った。
俺が部屋に戻ると、イレーネが青ざめた顔で立っていた。
「旦那様……!」
「怪我はしていない」
「でも……満身……」
「体力の限界なだけだ。寝れば治る」
「……もう!」
イレーネが珍しく声を荒げた。
目に涙が浮かんでいた。
「心配させないでくださいませ! わたくし、懐妊中なのですよ!? そんな状態で旦那様に何かあったら……!」
「……すまなかった」
「旦那様が謝るなんて……! それだけ大変だったということですわよね……!?」
「無警戒だったのは俺の失態だ。認める」
イレーネがそのまま俺の胸に飛び込んできた。
「……もう、絶対に一人で行かないでくださいませ」
「ああ」
「約束ですわよ?」
「約束だ」
イレーネが俺の胸でしばらく震えていた。
(心配をかけた)
(本当に、すまなかった)
俺はそっとイレーネの背中に手を回した。
ワタが三匹、心配そうに俺たちを見ていた。
エルナがとことこと歩いてきて、俺の足にしがみついた。
「おとしゃま、だいじょうぶ?」
「大丈夫だ」
「ワタが、おとしゃまのことしんぱいしてた」
「そうか。ありがとう、ワタ」
ワタが小さく鳴いた。
「おかあしゃまも、しんぱいしてた」
「わかってる」
「エルナも」
「……ありがとう」
エルナがにこっと笑った。
「おとしゃま、もうどこかいかないで」
「……しばらくはここにいる」
「やった!」
(面倒くさいことになったが)
(まあ)
(悪くない)
後方支援兵コルネリスの苦難は、まだまだ続く。




